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Frank Sinatra『In the Wee Small Hours』(1955)

アルバム情報

アーティスト: Frank Sinatra
リリース日: 1955/4/25
レーベル: Capitol(US)
「『歴代最高のアルバム』500選(2020年版)」における順位は282位でした。

メンバーの感想

The End End

 映画の中にいるみたいな気持ちになって、格好つけた顔で聴いちゃう。ただ、ホント申し訳ないんですけど、ノスタルジック/ロマンチックに楽しむ以上の意味は見出せませんでした……声も演奏もメロディも美しいけれど、少なくともしばらくは私の血肉となることはなさそう。
 田中宗一郎氏が“マイクが生まれたことでヴォーカリストは必ずしも声を張り上げる必要がなくなり、それによってフランク・シナトラのような囁く歌唱が可能になった”というようなことを話していた記憶があり、実際に聴いて非常に納得。テクノロジーやハードウェアの在り方が芸術の在り方に影響を与えている例、いくつ聞いても興奮するな。

コーメイ

 音楽の原稿としてどうかと思うけれども、読書が出来るアルバムであった。Sinatraの歌声が、読書の速度と一致したからだ。『In the Wee Small House』の声色に聴いていると、卓上の本に手が伸びた。数頁を繰って、またアルバムに集中すれば良かったのである。が、音楽の雰囲気と本の内容が絶妙な配分になったため、もういけない。後者に引き込まれていき、気付けばアルバム最後の曲であった。これも、Sinatraが為せる一つの業であろうと思う。ゆめゆめ本を目に付く所に置くなかれ。そのようなアルバムであった。

桜子

 眠れない夜に、こんな音楽があったら良いなと思います。天井に綺麗な模様を映すプロジェクターが無くとも大丈夫。これを再生して目を瞑れば、綺麗な映像が私の頭を巡ります!それが、すっと身体に溶け込んで、邪念、雑念を追い払ってくれそう。

俊介

 スキャンダラスで豪奢な生活を送ってた、とにかく派手でクールな人という印象だけ知っていたから、はじめて聴いたらその歌声の繊細さに拍子抜けした。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカみたいな古き良きアメリカの個人的イメージってここから来てた。the voiceて渾名にも納得。大統領にマリリン・モンローを斡旋する人からこの声が出るんだ。
 彼の音楽作品はハリウッド俳優、ジャズシンガー、マフィアの繋げ役、プレイボーイのように数多くの顔を持つ彼の才能の一端が表出しただけに過ぎないだろうけど、それでいてこんな風にランキングにくい込んでくるんだからフランク・シナトラ、とんでもない。

湘南ギャル

 ポピュラー音楽を聴いているというよりは、クラシック音楽を聴いているような気持ちになる。なんとかのための協奏曲みたいなやつの、ヴォーカル版的な。そう思うのはきっと、編成だけじゃなく彼の声にも起因していると思う。弦楽器のような繊細さと管楽器のような響きを併せ持った声は、とにかく深い。
 ポピュラー音楽がどうやって生まれたか私は詳しく知らないし、音楽を聴くときに19世紀以前との繋がりを考えることはほとんどない。しかし、普段聴く音楽が20世紀以降に唐突に生まれたものではなく、それ以前のものと同じ地面から生まれてきたことをこのアルバムから垣間見ることができた気がする。

しろみけさん

 マイクロフォンの発明がクルーナー唱法を用意し、その朴訥な響きを男性的なキャラクターへと収斂させることによって、フランク・シナトラの声は「フランク・シナトラ」というイメージを獲得した。私たちがシナトラの声を聞く時、網膜には口角を上げてハットを被った白人男性が映っている。視覚的に彼を認識していなくとも、伊達男の述懐の体裁をとった歌詞が否応なく情景を立ち上がらせるだろう。ロマンチックな記号を振り撒くストリングスだけでも十分なのかもしれない。聴覚と視覚が補完し合うことによって対象のイメージは半永久的に増幅させられる。しかもレコードによって、偏在的に。このシステムはポップ・ミュージックと呼ばれ、現在もなお親しまれている。全てのポップスが個人的で、クルーナー的であるのは、シナトラがそうだからだ。

談合坂

 楽器も声も良い音だし、やけに意識に入ってくる。けっこうハイファイで生々しさはあるのだけど、ヘッドホンから聞いていてもスピーカー越しに聞いているような感覚になる。たぶん、オーディオ屋さんの大きなスピーカーから流れているシチュエーションで出会うことが多いタイプの音楽だからだと思う。という程度のざっくりした印象でしかまだこの辺りの音楽を語れないけど、これから年代を追うなかでどういう気付きを得られるのか楽しみ。
 そういえば、子どものころAMラジオから聴いた深夜の世界はこんな音をしていた。これからは夜に流す音楽に迷ったとき、これを聴くことが増えるかも。

 普段音楽を聴く時、「あぁこういうアーティストから影響したんだな」「あぁこの流れで生まれたのね……」みたいなことを考えてしまう。フランク・シナトラを聴いている時はそのようなことに頭は回らず、自分が知る音楽の歴史からは離れていて、映画の中で鳴っている音楽のような印象を受けた。こう思う理由が1950年代の音楽ということからなのか、ビートルズ以前の音楽を全く知らない自分の感性からなのか。

みせざき

 今2024年に聴いても歌声の表現力は健全であり、当時の人々を虜にさせたカリスマ性もすぐに分かった。また美しいストリングスのバックミュージックと合わせて、一つの音楽作品としてのまとまりも感じ、それが今回アルバム作品として選考された理由の一つなのだと思う。
 ジャズというジャンルへの興味がここ最近増し続けており、私の好きなミュージシャン達もシナトラを絶対リスペクトしているはずである為、フランク・シナトラの本作以外の曲も頑張って聴いてみたが、まだ上コメント以上の感想は申し訳ないが出てこなかった。納期もあるので今後は自分から積極的に触れながらもっとフランク・シナトラの世界の更なる素晴らしさを理解し続けていきたいと思う。

六月

 あまりにもこういう音楽を皮肉や批評や憧憬を伴ってリファレンスした作品が多すぎて、そのオリジナルであるところのこの音楽を純粋に聴くことができない、むしろそれらを踏まえて聴くからこそ、単なる消費音楽ではない凄みを感じさせる。
 この曲が生まれたアメリカで発生した狂喜乱舞や悲愴や憤怒や、恐慌やセックスや虐殺。この国で起きたそれらによって溜まってゆき、ガスのように噴出した呪いのようなものが、重々しく充満する中でボーカルが浮かびあがって圧倒的に存在し続けている。なぜこんな甚大なものを背負った声が一人の人間から発されているのかがわからない。

和田醉象

 歌上手ヤクザ過ぎる。
 マイクロフォンが発達したのでこういう囁くような歌い方になったと聴いたことがあるけど、たしかにところどころ楽器の音量と不釣り合いな声量の箇所が何個か。でも美しい。
 それまでは声量張ることでしか歌えなかったあんな歌やこんな歌が可能になって、全曲その喜びをたた
えているような感じもする。
 それまでは絶対に聴こえる、伝わることが前提の口頭伝承のお話が、筆記という手段を得て多様化したように、そのことを喜ぶような、讃えるような歌声だ。

渡田

 RS誌が選んだ500枚の中でも一番古いアルバムなだけあって、聴き慣れた後の時代の音楽とは作曲のルールや目的が少し違うのを感じた。
 不自然な音のが一つもない単純でゆっくりとしたピアノと、それに合った穏やかで低い声からは、演奏の技術、あるいは曲の斬新さや個性といった分かりやすい見どころより、その音楽がどういった印象をもたらすか、といった点が重要視されているのを感じた。
 イヤホンでだけでなく、どうせなら上品な部屋のレコードでかけて聴きたい。
 通勤通学の中、イヤホンで色々な音楽を聴いていると、現実を忘れて音楽の世界に没頭することができるけど、この音楽はそういった音楽とは逆に、聴き手の目の前の現実を彩る音楽なのだと思う。

次回予告

次回は、Elvis Presley『Elvis Presley』を扱います。

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