臨機応変力を武田勝頼から学べ
どうもシロです。
今回は武田勝頼をテーマに書いていきます。
武田信玄ちゃうの?と思ったそこのあなた。
おそらく信玄さんは良いイメージが多く
勝頼さんはあまり良くないイメージがあると思います。
信玄さん=成功
勝頼さん=失敗
しかし、実は勝頼さんは無能でもヤンキーでもないのです。
度重なる不運が彼を襲い、この時代では評価は最悪になったのです。
今回はそれも書きますが、結果としてはやはり失敗と言っても過言ではない。 その為、失敗から学ぶというスタンスで書いていきます。
いやー失敗なんて聞いたらこっちまで失敗するよと思っているあなた。
失敗例を1つでも多く知っている人に負けちゃいますよ、、、。
では、、
①なんでおれ(勝頼さん)が後継者なの?ーいきなり後継者になったー
実は元々勝頼さんが後継者になるなんて誰も想像していなかったんです。
もちろん本人も。。。
実は勝頼さんは武田家ではなく諏訪家を継ぐ予定だったのです。(諏訪勝頼)
そして、勝頼さんは信玄さんの正室の子供ではない。
側室の子供だったのです。安土桃山時代は正室の子供が後を継ぐことが一般的でした。(江戸は違いますが、、、)
織田信長もそうですよね。 側室で先に生まれた織田信広は兄のはずなのに、家督相続はされなかったのです。
それなのになぜ勝頼さんは家督相続されたのか。。。
1番相続の有力候補だったのが、武田義信でしたが、謀反を疑われ相続権無し。
2番目の武田信親は盲目だったことが原因で相続権無し。
3番目の武田信之は若くしてお亡くなりになりました。
それで回ってきたのが4番目の武田勝頼だったのです。
本人もびっくり仰天です。
会社で言えば、入社3年目の人が突然、上司に呼び出されて、
「社長は警察に捕まり、COOは引きこもり、私(部長)はこの会社を辞めるから、これから君が社長になるんだよ、頑張ってね。」
こんなことを言われるわけです。
いやいや、この会社のことまだよくわかっていないし、他の社員には50歳以上の大ベテランがいるわけです。その人たちに命令してもいうことを聞くのかな、、
このような状況下に勝頼さんは置かれました。
本当に同情しますねこれは、、、
②武田家に急ブレーキ
そして、みんながよくご存知の 『長篠の戦い』
この戦いでは宿老(会社で言う大ベテラン)に慎重にいこうねと言われていましたが、勝頼さんは主戦論(今すぐ行っちゃうよ)で戦いました。
この主戦論が負けを導いたのかどうかはハッキリわかっていませんが、信長は柵の内側に立てこもり構えていたので、びびっていると思ったのかもしれませんね。
この戦で武田家は多くの家臣を無くします。
有名な武将で言うと、甘利信康、馬場信春、内藤昌秀、真田信綱・昌輝、山県昌景、原昌胤、などなどざっと約15名。
こんなにも家臣が亡くなったら、内政はとことん厳しくなります。
会社で言えば、社長になったばかりで仕事内容もやっと覚え出した頃。 経理部長が退職、営業部長が退職、営業担当のセールストップ3人が退職。マーケティング部のマネージャーが退職。CMOもCTOも退職、SEエンジニアの内部のセキュリティを管理していた人たち敏腕5人退職。
これ最悪ですよね、、、崩壊寸前です。これじゃあ、もう会社としてやっていくのに精一杯です。でも、勝頼さんは諦めずに営業しまくりました。(外交)
それでも課題は山積み。。。()の中は会社で言うと
家臣の相続管理(次のボジション決め)、軍団再編成(仕事用チャットグループ再編成)、信玄さんのお葬式(元社長の逮捕の謝罪会見)、領内における整備や保護、、、することはたくさんあります。
勝頼さんの営業成績はまずまずでした。 上杉家と同盟(甲越同盟)、佐竹家と同盟(甲佐)同盟。 ですが、もうシステムは崩壊の一途。
この後は織田家と徳川家にボコボコにされるわけです。
③学ぶべきポイント
結論 『いつでも人の上に立てるように準備をしておく』 これが大事です。
僕は記事やニュースを見て、いつも自分ならどうするのか。
経営者の立場ならどう考えて行動するのか。
もし、最悪の場面になったら、、、
このように日々考えています。
いつ何が起きてもおかしくないのです。
それを今回は勝頼さんが教えてくれました。
勝頼さんは不運が重なりまくった人です。
僕が書いている内容以上に彼は色々不運なことが起きています。
さらに知りたい時は調べてみて下さい。
何か他にも不運があれば、コメント等で教えて下さい。
あれ、noteってコメントできますよね、、、
#note
#初心者
大事なのでもう一度
『いつでも出陣できるようにイメージしておく』
今回はこれにて