”唯一無二”の将軍「足利義稙TERAKOYA(2023.2.11)」
プレゼンターは戦国時代一筋くどはん先生。
今回は室町幕府十代将軍 足利義稙(よしたね)。プレゼンターが歴史上の人物で一番好きなんだそう。
超マイナーな人だけど、実は鎌倉時代~江戸時代までで唯一、”二度”将軍になった人なんだって。
戦国時代の将軍は大名に実権を握られ衰えていくだけ。これまでそう言われてきたけど本当にそうなのか?を探究する90分の始まりです!
義稙の父は銀閣で有名な足利義政の兄。
彼は将軍の甥として生まれた。
元々は仲が良かった兄弟なのに周囲の策略により敵対。結果、応仁の乱が勃発。
敗軍の将となった父とともに美濃に落ちのびたのが12歳。
(生まれてすぐに乱が始まり、終わった時には敗者って・・・)
ということは、とても将軍になれる立場じゃなかった。が、なんやかんやで将軍に。
室町将軍というと金閣とか銀閣とか貴族っぽいイメージだけど、義稙はかなりの武闘派。自ら戦に出たり、暗殺者に斬られながらやり返しちゃうような人だった。
この人の人生、アップダウンが激しすぎる。
将軍になったかと思ったら腹心とも言える人にクーデターを起こされ、将軍の地位から追われるも再起を果たし将軍に返り咲く。しかし、最終的には京都から出奔、再び将軍になる夢を持ちつつ失意のうちに亡くなる・・・。
25歳 将軍になる
27歳 クーデターで将軍職を追われる
43歳 将軍に返り咲く
55歳 京都から出奔
58歳 失意のうちに阿波国で亡くなる
くどはん先生の真骨頂は、その人物の奥底にある”真実の姿”を語ることだと私は思っている。
これまで語られた「織田信長」「北条早雲」は戦国の覇者という今までのイメージとは違う、彼らの想いや愛を感じることができた。一方、義稙は波乱万丈な足利将軍という面白さはあったけど、正直、あまり共感できるものがなかった。
と思った最後の最後。義稙の死後、ある二人の武将が成しえたエピソードが心憎い。
二人の武将とは細川晴元と三好元長。
義稙に味方した細川澄元とその家臣・三好元長の息子だ。義稙が亡くなったとき、晴元7歳、元長20歳。成長した彼らは、義稙と敵対した細川高国を倒すべく兵を挙げ、数年にわたる激闘を展開しついに勝利したのだ。
自前の軍隊を持たなかった足利将軍は、常に「誰を味方につけるか」が運命の分かれ道だった。どうすれば将軍としての権威を示せるか、誰を味方につけるか。そういう”政治”をしながら、自らも最前線で戦にのぞむ究極のプレイングマネージャー。
二度も将軍になりながら、その地位に安穏とすることなく戦い続けた義稙。だからこそ、「この人の成せなかったことを引き継ぎたい」と思わせる何かがあったのだろう。
自分の意志を貫き、多くの大名を味方につけ戦い抜いた。足利将軍家にも男気のある将軍がいたことを知ることができてよかった。
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