
井伊直弼(なおすけ)の天命
井伊直弼は、彦根藩13代藩主・井伊直中(なおなか)の14男として生まれた。直弼は、大した役割は与えられないだろうと達観し、「埋木舎(うもれぎのや)」と自ら名付けた邸宅で17歳から32歳までの15年間を過ごした。直弼は、この間、茶道や禅、居合術などを極めようとした。
そんな直弼に転機が訪れる。第14代藩主・井伊直亮(なおあき)とその養子となっていた井伊直元(なおもと)の急死である。直弼が彦根藩15代藩主となったのだ。「天が自分に何をさせようとしているのか?」自らの天命について直弼は考え始めた。
直弼は、彦根藩15代藩主として、藩士には積極的に意見を述べることを奨励し、また有能な藩士には褒賞・人材登用の道を示した。積極的に領内を巡察し、藩の実情を知ろうとした。
1853年、ペリー来航により幕府がその対応に困惑すると、直弼は意見書をもって江戸に向かう。その頃幕府は、2つの大きな問題を抱えていた。1つは14代徳川将軍を誰にするかであり、もう1つは、ヨーロッパ列強に開国をするかである。
この混乱の中、直弼は幕府最高職たる大老に就任するのであった。
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