AI小説「東京魔術倶楽部」18話
18話
1.
土曜の昼下がり、東京魔術倶楽部のサロンは、いつもより賑やかな雰囲気に包まれていた。華やかな服装の伯爵夫人が、占い師とその助手を引き連れて訪れたからだ。
夫人の趣味は占いで、この日も会員たちに
「是非ともこの方々の占いをお試しください。」と勧めていた。
占い師は中年の男性で、細い眼鏡の奥に鋭い目を光らせている。助手の少女は彼の隣で控えめに立ち、どこか疲れた表情を浮かべていた。占い師を見て、橘は興味津々の表情を浮かべた。「面白そうですね、僕も占ってもらいます!」と手を挙げる。
占い師は深々と頭を下げると、
「私どもは、人から受けた怨みや妬みの影響を見極め、それを元に未来を占います。」と説明した。
会員たちは早速、順番待ちの列を作り、次々と占ってもらう。「商売で大きな利益を得た代償に、取引相手の怨みを買っていないか心配で……」と相談する者もいれば、「家族の間で何かしらの不和がないか知りたい」と語る者もいた。
占い師は一人一人の話を聞きながら、それらしい答えを返していった。「あなたの商売は誠実さを重んじています。だからこそ大きな問題はないでしょうが、油断は禁物です」「家庭内では、やや厳しい態度を和らげることで、より良い関係が築けますよ」と、言葉巧みに安心感を与えていく。
2.
橘は笑顔で「僕も占ってください!」と席についた。占い師がじっと橘を見つめ、「親御さんに少し心配をかけているようですね。自分のやりたいことを優先しすぎているのではありませんか?」と言うと、橘は苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。
「まあ、当たらずとも遠からずですね。」
その一方で、伊達は少し離れた席で冷たい視線を向けながら紅茶を飲んでいた。「全く馬鹿らしい」と心の中で呟きつつ、橘たちの様子を眺めていた。
そんな彼に目を付けた伯爵夫人が、ニコニコしながら近づいてきた。
「こちら、帝国大学の先生なのよ。」と占い師に紹介されると、伊達は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「研究のライバルに妬まれるのは、学者として避けられないことです。ですが、学生には厳しすぎないよう心がけてください。」と占い師が言うと、伊達は内心で「くだらない」と思いつつも、
「ええ、そうですね。」と適当に相槌を打った。
3.
その時、倶楽部の扉が開き、河村が顔を出した。手には近江屋洋菓子店の紙袋があり、中には焼きたてのアップルパイがぎっしり詰まっている。彼は満面の笑みを浮かべながら、
「賑やかですねぇ。」と言って部屋の中に入ってきた。
「これ、皆さんでどうぞ。」と給仕に袋を手渡す河村。
「僕の分は多めにね。」と冗談めかしながら笑い、会員たちを和ませた。伯爵夫人とは初対面のようで、空気を読んだ河村は「河村学と申します。海軍所属の軍医です」と軽く一礼した。
占い師は河村を見つめ、「あなたは人の恨みを買うような人物ではないですね。」と断言した。河村は柔らかい笑みを浮かべ、「光栄です。」と答えたが、その微笑みの奥には、どこか陰りがあるようにも見えた。助手の少女がふと河村に視線を向け、一瞬だけ顔色を変えた。
その後、河村は伊達の隣に腰を下ろし、アップルパイを一口頬張った。
「全く当てにならん占い師だな。」と伊達が皮肉を言うと、河村は小さく笑って「いえいえ、本物ですよ。」と返した。そして、小声で「あの助手さんはね。」とその後何か言いかけて言葉を飲み込んだ。
河村は最近ある「汚れ仕事」を引き受けたばかりで、心がざわついていた。しかし、それを一切表に出さず、いつも通りの穏やかな態度を装っていた。
橘が、
「なんとなく元気がなさそうに見えるけど。気分転換に出かけない?」と声をかけた。
河村は少し驚いた表情を見せたが、
「そうですね、たまには悪くないかもしれません。」と答えた。
「乗馬なんてどうだ?」と伊達が提案すると、橘は目を輝かせた。
「いいね!」と勢い込む。
河村は微笑みながら頷いた。
「では、ぜひお供させていただきます。」
4.
翌日の午後、三人は東京郊外の乗馬クラブに集まっていた。そこは広々とした敷地には立派な厩舎が立ち並び、整えられた砂地の馬場には数頭の馬が歩いていた。貴族や軍人など上流階級が利用するこの倶楽部は、格式高い空気を漂わせながらも、どこか穏やかで落ち着いた雰囲気があった。
伊達は乗馬服を纏い、すでに厩舎の前で準備を終えていた。黒い乗馬帽を深く被り、白の乗馬ズボンとダークグレーの上着をきっちりと着こなしている姿は、まるで絵画から抜け出したように端正だった。
革靴に足を通して鐙を踏むと、力強く馬上へと跳ね上がる。流れるような動作で手綱を取り、美しい姿勢で馬を操る伊達の姿に、厩舎の係員たちは感嘆の声を漏らしていた。
「貴族の嗜みとはこのことだな」と橘がぽつりとつぶやく。
一方、河村は軍医らしく機能的な乗馬服を着て、静かに馬の横に立っていた。馴れた手つきで馬の首を軽く撫で、体を確認してから鞍に乗る。軍人として馬術の訓練は当然受けているが、その動きには実用性を超えた洗練があった。
馬の動きに合わせて体をスムーズに揺らし、無駄のない指示で馬を操る様子は、周囲の人々に一目置かれていた。
「伊達さんほど優雅ではありませんが、私も馬には少し慣れていますので。」と河村は軽く微笑みながら馬を歩ませた。
橘は、河村と伊達を交互に見比べながら、自分も馬に乗ろうとしていたが、周囲の係員が慌てて駆け寄ってきた。
「橘様、馬が懐きすぎているようです。少しお待ちください!」
「懐きすぎ?」と橘は首を傾げた。実際、彼が乗ろうとした栗毛の馬は、橘に頭を擦りつけるように甘え、じっと目を合わせて離れようとしない。その様子に伊達が思わず鼻で笑った。
「君は馬にも甘やかされる性分なのか」
「いやいや、馬にも人にも好かれるたちなんですよ。」と橘は胸を張った。
三人三様の乗馬を楽しむ中、厩舎の係員やクラブの利用者たちが遠目からその姿を見つめていた。伊達の完璧な優雅さ、河村の熟練した技術、そして橘の愛される天性の魅力。それぞれが異なる個性を持ちながらも、どこか調和が取れていた。
乗馬を終え、三人が厩舎に戻る頃、河村の視線がふと遠くを捉えた。倶楽部のテラス席で、一人の海軍高官が他国の外交官らしき人物と親しげに話しているのが見えたのだ。二人の表情は穏やかだが、交わされている会話の内容が気にならないわけではなかった。
河村は目線を切らず、しばらくその場で立ち尽くしていたが、やがて橘と伊達に向き直った。「申し訳ありませんが、急な用事を思い出しました。」と静かに頭を下げた。
「何かあったのか?」と伊達が眉をひそめて問いかけたが、河村は微笑みを崩さず、「いえ、ただの仕事です。」と答えた。その言葉には明確な裏があることを察した伊達は、それ以上追及するのをやめた。
「河村、また一緒に乗ろうぜ。」
と橘が声をかけると、河村は軽く頷き、「ええ、ぜひ。」とだけ答えた。そして、足早に乗馬クラブを後にした。
河村が去った後、橘は馬小屋に寄り、再び栗毛の馬の首を撫でながら微笑んでいた。
「河村、何かあったのか?」と呟く橘に、伊達は短く「それが彼の仕事だ。」とだけ返した。その言葉には深い憂慮が含まれていたが、橘は気づかないふりをした。
乗馬クラブの空は夕暮れに染まり始めていた。遠くで響く馬の蹄の音が静寂を埋めるように響き、風が涼やかに吹き抜けていった。