1 + i 人で回るVket、メタバースという言葉が曖昧に感じる理由
はじめに
記事を開いていただき、ありがとうございます。こちらの記事はメタバースという最近流行りなのに誰もはっきり説明してくれない言葉について、Pimaxに釣られた筆者の解釈、Vketで深まった理解の内容について記したものです。前提として、筆者はメタバースとは「人と人を繋ぐ仮想世界の総称」と捉え、そこから解釈をスタートしています。
筆者について
筆者(以降:私)はVRChatへ基本的にVketのときぐらいしかログインしない観光客とか旅行者に近いプレイヤーです。一応VRChatは2018年5月の時点で始めており、Vketには第一回から参加しています。顔見知りは数人いますが、基本的に一人で遊んでいます。
メタバースとは
フェイスブックがメタになったことで広まったメタバースという言葉ですが、辞書やネットなどで解説されている内容で言ってしまえば「仮想空間やそこで行われるサービス」の一言で片付いてしまいます。しかし、今騒がれているメタバースという言葉の説明を「仮想空間」だけで済ませようとすると、多分こう言われるでしょう「ザッカーバーグがそんな目新しさの無いものに会社賭けるわけが無い」「インターネットからそんなに変わんないんじゃないの」「いやいやネットゲームも既にメタバースだよ!」
私も、ただ「仮想空間」というだけではメタバースという言葉のイメージにしっくり来ないと思った人間の一人です。そこで色々考えていた結果辿り着いたのが「人と人を繋ぐ仮想世界の総称」がメタバースであるという考え方です。
Vket(バーチャルマーケット)
Vket(バーチャルマーケット)は仮想空間内で3Dモデルなどの商品を販売する即売会イベントです。最近では企業の参加も増え、現実世界における食品などの贈答品の販売も行われています。ライブイベントなどもあり、現在では仮想世界における最大のお祭りです。毎回多くの参加者が訪れ、一つの市場として日々大きくなって来ています。
Vketはメタバースという言葉のイメージにかなりしっくり来るイベントだと思います。特に公式配信やVRChatのpublicワールド(誰でも参加できるワールド)などで沢山の人が動いている様子が見えると尚更説得力があるのではないでしょうか。ただそこにあるだけの「仮想空間」では無い、「人々が息づいている仮想世界」としてすっと理解することが出来ます。
では、私のようにVketをprivateワールド(参加資格が必要なワールド)で 1人で遊んでいる場合はメタバースでしょうか?
ゲームかメタバースか?
Vketと言えども流石に独りぼっちで回られたらメタバースっぽく無い。と思われた方もいるんじゃないかと思います。実際、私自身も 1人でVketを回っている間に「すごい!メタバースだ!」と強く感じたことはありません。何だかんだでゲームをプレイしている感覚に近いのかなと思っています。ただ、ゲームをプレイしている感覚と違うものを感じることもあります。それについては記事の後の方で取り上げます。
ここで考えたいのは参加人数、参加可能人数とメタバースっぽさの関係です。
「仮想空間やサービス」がメタバースであるならば、VRコンテンツは全てメタバースのはずです。じゃあバイオハザードとVRChatが同じぐらいメタバースかと言えば、それは違うと思われるのではないでしょうか。逆にVRでは無いマインクラフトを複数人で遊ぶするのはメタバースか、モンスターハンターのオンラインプレイは?
私は何となく、人が多い方がメタバースっぽい気がします。VRのバイオハザードよりもモニタ内のマインクラフトの方がメタバースっぽい。
VRChatには先程登場したようにpublicとprivateというワールドの概念があります。VRChatのシステム的にはこれらの違いはワールドへの参加資格の有無ですが、私はこれも参加可能人数の違いと言い換えられると考えました。
n人のメタバース
ここでその仮想空間の参加可能人数を n人とし、その仮想空間のことを n人のメタバースと呼びます。
突然、読者をふるいにかけるようなことを言い出しますが、メタバースという言葉の理解を深める上でこの考え方は非常に有用だと思ったので、あえてこのまま進めます。あくまで数学っぽい言い回しをしているだけで、実際に数学はしません。
ただメタバースという言葉の中に、この n人というのが定められていない、決まっていないということだけ分かっていただければ大丈夫です。
1人のメタバース
n人が何人か決まっていないということは、1人のメタバースもありということになります。つまりこの考え方で行くと、私のVketの回り方も仮想空間を旅した 1人のメタバースです。さらに 1人プレイ専用のゲームも、小説も、漫画も、綺麗なお庭を想像して下さい、今あなたが想像したお庭も、広い意味で言えば 1人のメタバースと言えるかも知れません。
では逆に n人が多い場合はどうなるでしょうか?
有限人のメタバース、無限人のメタバース
ここで関係して来るのがprivateとpublicのワールドの概念です。参加資格の有無というのは言い換えれば、参加可能な最大人数が決まっているか、決まっていないかの違いとも言えます。これはさらに言い換えると n人が有限人か無限人かの違いと言うことも出来ます。
また読者が減ったかと思いますが、トドメに無限人のメタバースにも複数の種類があり、大小関係があります。VRChatプレイヤーの方なら完全publicとfriend+では拡散の仕方が違うと言えば多少感覚的なものが分かってもらえるでしょうか。それでは最も大きな無限人のメタバースとは何でしょうか?
私はそれは現実世界だと思います。「仮想空間」という定義からは外れてしまいますが、他のメタバースに現実世界に存在しない人間を参加させることは出来ませんから。将来AIでメタバースに人間を創るような未来もあるかも知れませんが、少なくとも今は。
メタバースという言葉が曖昧に感じる理由、その壱
n人のメタバースという考え方をした場合、そもそもメタバースというのはこれまであったゲームや現実世界そのものと別に並べるものでは無く、それらを含んだより広い概念ということになります。そのため、メタバースという言葉は「受け取る側」によって、1人のメタバースから無限人のメタバースの間、個人で楽しむ創作世界から現実世界の間で解釈がブレてしまっていると考えられます。これがメタバースという言葉が曖昧に感じる理由の一つ目です。
1人?のメタバース
n人のメタバースの考え方によって私も晴れて 1人のメタバースというメタバースの関係者です。とはいえ、ここまで記事を読んで下さっている方の中にはきっと心優しい方もいることでしょう。そういう方はこういうはずです。「わざわざ詭弁を弄さなくても、Vketは沢山のクリエイタさんが参加して作品を展示、販売しているのだからメタバースだ。」と。
モノを介したメタバース?
Vketは展示即売会であり、展示されている3Dモデルには必ず作者がいます。ブースによってサークル名や作者名を前面に出している場合もあれば、ワールドに溶け込むようにモデルだけを展示されてる方もいます。
また、マーケット、商売というのは元々コミュニケーションの一種と言えます。商品という「モノ」を媒介として、人と交流をしているわけです。
じゃあ自動販売機はコミュニケーションなのか、通販サイトはメタバースか。モノを介したメタバースというのは有りか無しか。これは人によって解釈が分かれる部分のように思います。
ここで、Vket2021には商品とは違うモノの中に、モノを介したメタバースに対する理解を深めるのに面白いモノがありました。伸びるビルです。
世界への干渉
Vket2021では企業出展ワールドの中のギミックの一つとして「合計来場者数に応じて高さが高くなるビル」というモノがありました。つまり、1人のメタバースとして他の人が入って来れない環境で遊んでいても、ビルを見れば他の人もVketを遊んでいることが直感的に分かったわけです。
他の人の行動によって間接的に仮想空間内のモノが変化することで、モノを変化させた人の存在を認識する。これはメタバースのように感じられます。
1.x人のメタバース
直接会って話をするのを「直接的メタバース」とすると、仮想空間内の「モノの変化」によって同じ空間にいない人を認識するのは「間接的メタバース」と言えるでしょう。
n人のメタバースに当てはめて言うならば、これは相手のことを丸ごと 1人分感じられてはいないということで、1.x人のメタバースでしょうか。
では「モノの変化」で相手を認識する 1.x人のメタバースは、商品を媒介とした作者の存在をメタバースと呼ぶ理由として十分かというと、まだ足りないと思われます。1.x人のメタバースは「変化」に気付くところに軸があるため、展示が毎日更新でもされない限り、作者の存在を強く感じられないからです。
他に何か似たような感覚、1人なのにメタバースのような気がする何かは無いか、そう考えて思いついたのは所謂「聖地巡礼」というVketの遊び方でした。
公式配信とワールド訪問
私は元々VtuberからVRChatを知ったため、今でもVketの公式配信やVket以外でもVRChatで行われたイベントの紹介配信などを見ることがあります。例えばVket2021であれば、大丸の企業ブースで餃子フォースの皆さんがわちゃわちゃしている配信を見ました。そうやって配信を見てからVketに行くと、配信で見た場所に着いたときにこう思うわけです。「あっ、ここ偉い人が草羽エルさんにプリンあーんされてたところだ。」と。
他にもローソンブースの前にぽんぽこさんとピーナッツくんさんが、かなえるプロジェクトブースにおきゅたんbotさんが、という風に、様々な動画や配信で見たイメージを元に今いない人の気配を感じるというのもメタバースなのでは無いか。1人のメタバースなのにまるで 1人では無いかのように感じるこれはメタバースなのか。
1 + i 人のメタバース
私はこれを「補間的メタバース」と考えることにしました。今いない人を過去の記憶や知識から想像して補間していることで、仮想空間を共有しているように感じる、メタバースとして感じられるというものです。この考え方であれば、販売されている3Dモデルの作者を意識することもメタバースに含むことが出来るでしょう。
これも n人のメタバースに当てはめて 1 + i 人のメタバースとでも言うことにしましょう。いない人の存在を感じているということで、虚数単位 i を使ってみました。
メタバースという言葉が曖昧に感じる理由、その弐
先程その壱では、メタバースは n人の大小の規模の曖昧さによって解釈が分かれているという話をしていました。しかしさらに考えてみると、そもそも n人というのが整数じゃなくてもメタバースとして感じられているんじゃないかという話になってしまいました。これが、メタバースという言葉が曖昧に感じる理由、その弐です。
今の状態を一般的に書くと a + bi 人のメタバース(a, bは実数)ということになります。文系の方は頭痛がして来たことでしょう。理系の方は興奮しといて下さい。また、理系の方はこの時点でメタバースという概念が凄まじく広い解釈が可能であることが分かるかと思います。
人がいる仮想空間であればメタバース?
ここまでずっと参加可能人数を軸に話をして来ましたが、そもそもそのことに納得していない方もいるかと思います。「マトリックスとかレディプレイヤーワンとかそういう話をしているんだ!全然メタバースの話してないじゃないか!」という方々です。
個人的にはロジャーラビットなんかも含めて怒って欲しいところですが、そういう方々が考えるメタバースとは何か、人数を軸にした話でしっくり来ていない理由は何か。
それはメタバースという概念がもう一つ別の軸を持った 2パラメータの概念だからです。
Vketがやって来たこと
Vketの第一回か第二回のときに主催のフィオさんがVket終了後の挨拶かブログかでこんなことを言っていました。「Vketを通じてバーチャル世界のモノを充実させてバーチャル世界を豊かにするのだ。」細かい言い回しなどは違うと思いますが、主にこういう趣旨のことを。
個人的には、モノが多いのは豊かさの前提ではあるけど豊かさそのものでは無いと思っているので当時微妙に引っかかりを覚えたのですが、それは置いておいて、Vketはモノを増やすことを目的として仮想世界を発展させて来た側面があったと言えるでしょう。先日のnoteのyoutubeチャンネルの対談でHIKKYの舟越さんが企業同士を繋いだりしたいと話されていたので、今は少し変わっているのかと思います。
情報量
モノが増えるということはどういうことか、選ぶ楽しみが増えるとか、オシャレの幅が広がるとか、色々なことが考えられると思います。
しかし私はもっと抽象的にまとめてしまって、「情報量」が増えるというのが重要なのだと考えています。この「情報量」がメタバースを構築する 2つ目の軸であり、パラメータです。
メタバースとしてのパワー
マトリックスとかレディプレイヤーワンとかに登場する仮想世界は、それこそ現実世界と遜色ない情報量を持った世界として描かれています。それらの世界をメタバースとして考えている方にとっては、例えVketであってもまだ足りないと感じられるのではないでしょうか。
メタバースでなら現実以上の体験、宇宙旅行とか魔法を使ったりとか、そういうものをウリとして考えている方もまた、この情報量を重視してメタバースを捉えている方だと考えられます。
Vketにおいても出展ワールドに様々なバリエーションを用意したり、BGMに力を入れたり、ワールドの情報量を増やすことに力が入っていることが感じられます。
そうです。この情報量という軸はメタバースを表現するに当たり、そのメタバースの魅力として、そのメタバースのパワーを表すパラメータとして、宣伝や集客に使われることが多いと言えます。そのため、メタバースを知ったばかりの方は特に情報量を見てメタバースを解釈しているんじゃないでしょうか。
メタバースという言葉が曖昧に感じる理由、その参
メタバースを語るときに人を軸に話す人と、情報量を軸に話す人がいるため、会話が噛み合わないことがある。これがメタバースという言葉が曖昧に感じる理由、その参です。
その参に至るまでの話では数式が登場しませんでしたが、あえてここで書くのであれば、(a + bi 人, x byte) でしょうか。メタバースは人数と情報量を軸にした関数になってしまいました。ああもうダメだ。もう何でもかんでもメタバースだ。そのくせ図に書こうとしても虚数がいやがる。お終いだ。
なのでせめて、話題になっているメタバースだけ少し考えて終わりにしましょう。
ザッカーバーグが言ってるメタバースって?
メタ社の発表を見て、特にメタ社の紹介したPVを見て「いやいやそんなメタバースじゃ全然ダメよ。」という旨の発言をしているVtuberさんやVRChat民の方を時々見かけました。私は、それは違うんじゃないかと思っています。
メタ社は元々Facebookで爆発的に成長した企業であり、言ってしまえば「人と人をインターネット上で繋ぐサービス」の老舗です。PVでは足も腰も無いアバターが楽しそうに遊んでいましたが、多分、メタ社としては情報量のパラメータは最優先では無いんだと思います。むしろ、人数の方に重点を置いているはず。
ヒトが先か、モノが先か
Vketはモノを増やすこと、情報量を増やすことで仮想世界の魅力、パワーを底上げし、ヒトを呼び込むアプローチをしているイベントだと思います。
では、逆にヒトをとにかく取り込むことに注力した場合、モノは増えないのか?私は、ヒトが増えれば次第にモノも増えていくだろうと考えます。増えれば増えるほど加速度的に。
おわりに
長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。今後のメタバースがどうなっていくのか、それは分かりませんが、この記事のメタバースという概念への考察が何か皆様の役に立てば幸いです。
理系の皆さんは折角なので体験から a + bi へ行ったのとは逆に、現存する数学の概念から新しいメタバースのサービスを考えたりすると面白いかも知れません。元々、有限人のメタバースと無限人のメタバースのところを閉じたメタバースと開いたメタバースと呼ぼうとしてたんですが、数学的な意味での閉じた、開いたと意味がズレるかなと思ってやめたりしました。理系の方は今興奮していると思います。
今後もVketとメタバースが輝かしい発展を遂げますように!
レカ
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