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個人的に優秀だと思う歴史上の人物(後半)
こんばんは。レジュメ太郎です。
最近鎌倉殿の13人というドラマにハマってます。
小学校の時好きだった源平合戦あたりが舞台なのでとてもおもしろいです。
余談はおいといて前回の記事で優秀だと思う歴史上の人物を5人紹介しました。
今回は残り5人を紹介していきたいと思います。
少しマイナーな人を紹介するので前半5人程は優秀かと言われると怪しいです。もはや部分的に優秀であり知名度上がって欲しい人みたいな人物になってるかもしれないので御了承ください。
※あくまで個人の感想になります。
6.サラーフ・アッディーン(1138年〜1193年)
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彼はイスラム最大の英雄と言われた男です。
一般的にはサラディンと呼ばれたりします。
彼は元々ファーティマ朝の宰相でした。後にアイユーブ朝を創建し、エジプトを支配します。
彼の凄いのはまだこれからです。
当時キリスト教の十字軍が持っていたエルサレム国家を奪還ことになるんですね。
ただやはり十字軍側もエルサレム王国を再び取り返すために第三回十字軍を派遣しますがこれもサラディンにやられてしまいます。
戦いに関しても強い人物だったんですね。
またサラディンはとても寛容な人物としても知られます。
かつて十字軍がイスラムからエルサレムを取り戻した際、エルサレムのイスラム教徒たちはかなり虐殺されてしまいました。
ただ、サラディンは、キリスト教からエルサレムを取り戻した際は虐殺などせず、キリスト教の信仰に対しても敬意を払い共存していくことになるんですね。かつての仲間を大勢虐殺した敵を認めていこうという姿勢は頭が上がりません。
また、サラディンの城「カラット・サラーフ・アッディーン」は世界遺産となっています。
7.ジョン・フォン・ノイマン(1903年〜1957年)
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彼はハンガリー出身の数学者であり、人類史上最もIQが高いと言われた人物です。彼の天才エピソードは何個も残されています。
8歳で微積分をマスターしたり、暗算がめちゃくちゃ早かったりととにかく圧倒的な頭脳を持っていました。
彼の1番の功績は僕はなんといってもコンピューターの仕組みの開発でしょう。彼はプログラムをデータとして記憶装置に入れ、順番に実行するというシステムを確立しました。現代のコンピューターはほぼ彼のシステムを採用しています。
今現在、ほとんどの仕事でパソコンが必要な世の中になっていますので、それを開発したのは情報社会にとって革命的なことなんやなあと思います。
8.楊堅(541年〜604年)
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言わずとしてた隋の初代皇帝です。彼の時代、300年以上ぶりに中国が統一されました。
6世紀、北周で外戚として権限を握り、帝位に就き国の名前を隋にしました。そして南朝の陳を滅ぼし、中国統一を果たします。
ただ彼の個人的に凄いと思うところは戦いではなく施策だと思います。
まずは律令制度の制定。税制の増大を測る均田制や、租庸調制、府兵制などの、隋が滅んでからも長く採用される制度の基礎を作ったのは圧倒的に評価されるポイントでしょう。
そして彼の始めた制度の中で僕が1番画期的だなと思ったのは科挙です。
当時、ヨーロッパなどは世襲制で役職等が受け継がれていくことが当たり前でした。中国も昔は郷挙里選や九品中正など、官僚を登用する制度はあったんですが、主観的であり有力な家柄の子が推薦されがちな部分がありました。
ただそれを科目による試験とし、身分関係なしの完全能力制度にした科挙という制度はもの凄い進歩だと思っています。この制度は清が滅びるまで長い間使われ、また朝鮮など他の国にも浸透していく制度となりました。ただ当時は倍率3000倍とも言われる恐ろしい試験みたいでしたね・・・
9.冒頓単于(?〜B.C174年)
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古代中国の時代に脅威となっていた、匈奴という民族はご存知でしょうか?
匈奴は中国北方にいた民族であり、長きに渡って中国を苦しめてきました。
また始皇帝が匈奴を恐れて万里の長城を築いたことからよっぽどですね。
その匈奴国家を建設した男こそが冒頓単于です。彼の父は頭曼単于という男でした。元々冒頓単于を跡継ぎにしたいと考えていましたが後妻に子供ができ、徐々に邪魔者になります。
そして頭曼は冒頓を月氏(敵国)に人質に出し、月氏に攻め入ることで殺させようとします。月氏は当然怒り、人質の冒頓を殺そうとしますが、冒頓は自力で月氏の守りを突破し、自力で帰還します。冒頓単于には自分の言う事を忠実に聞く部下を育てるため、自分の愛馬や妻を殺し、最終的に頭曼を殺し下克上を果たしました。
また彼は下克上を起こしただけでなく、漢とも戦う事になります。当時の漢のリーダーは、項羽を破り中国統一を果たした英雄、劉邦。彼と戦ったのが有名な白登山の戦いです。
冒頓単于は、老兵などを前線に使い、敗走するふりをして劉邦を白登山に追い込み、最終的には勝利します。
その後、漢は毎年匈奴に貢ぎ物を送り続けることになります。
僕も高校時代、世界史の授業を受けてて、最強だと思っていた中国が屈服していたのを聞き圧倒的な衝撃を受けたのを覚えています。
10.グスタフ・シュトレーゼマン(1878年〜1929年)
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みなさんは世界史を学んでいてこんな疑問を持ったことはないですか?
第一次世界大戦でドイツが負けたのはみなさんご存知だと思います。そしてその後のヴェルサイユ条約で連合国と超不利な条約を結ばされましたよね。そしてドイツはその条約により莫大な賠償金を払うことになります。その額は絶望的な額で、大量に紙幣を印刷したせいでインフレが起こり、物価が1兆倍くらいに跳ね上がり、大量の紙幣を目の前に絶望しているサラリーマンの写真を資料集なんかで見たと思います。当時のドイツからは絶望しか感じられませんでした。
ただそのわずか10数年後にはヒトラーが台頭し、第二次世界大戦では既にフランスなどの列強国に対抗する戦力を持っています。
この10年ちょいで何があった?と疑問に思いませんか?僕は思いました。
もちろんヒトラーの力もあります。ただそのヒトラーが台頭し戦争できるまでにドイツを立て直したシュトレーゼマンの功績はバカでかいんじゃないかと思います。
シュトレーゼマンは、元ドイツの首相できしたが、彼の首相在籍期間はわずか100日程度なんです。しかし彼はわずか100日でものすごい成果を上げています。
まずはなんといってもレンテンマルク。フランスが賠償金の支払いの滞納を理由にルールを占領し、それに対しドイツは生産停止(いわゆるストライキ)で対抗するんですね。そのせいで一時的に死ぬほどインフレが起こってしまいます。シュトレーゼマンは1兆マルク=1レンテンマルクとし、そして労働者の反対もありましたが説得し、再び生産停止するのを停止させます。そうすることでフランスとの関係も悪化せず、ドイツ経済も立て直しました。そして物資不足も解消されました。
ドイツ経済を立て直したシュトレーゼマンは、続いて外相を務めることになります。
1923〜1929年の6年間で、ドイツは外交に於いて驚異的に良くなります。
まずはドーズ案の導入。これは画期的なシステムでした。アメリカ資本を導入しドイツを経済的に発展させイギリス、フランスに賠償金を払うシステムです。これにより劇的に経済が進歩。
これはシュトレーゼマンもですが考えたドーズは天才ですね。
さらにシュトレーゼマンは国際協調を目指していたため、ロカルノ条約を結び、国際連盟に加盟。そしてパリ不戦条約にも合意。こうしてドイツの国際的立場をのし上げていったのです。その後シュトレーゼマンは、ノーベル平和賞を受賞することになります。
彼は不運にも1929年に脳卒中で亡くなってしまいますがもし生きていたら第二次世界大戦はもしかしたら起こってなかったかもしれないと僕は思っています。
後にヒトラーが台頭し、国際連盟を脱退して戦争に向かっていくのはまた別の話。
以上、前半5人に続き後半5人を紹介しました。
サラディン、ノイマン、楊堅、冒頓単于、シュトレーゼマンとマイナーな人物ばかりで初めて聞く人もいると思います。もちろん今回挙げた10人よりももっと優秀だよって人もいると思います。今回は僕の個人的な考えですので異論も沢山あると思いますが、一意見として捉えて頂けると嬉しいです。
それでは次回の記事でお会いしましょう。