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大使よりも遠い人、それは、水樹奈々。

 水樹奈々は、大阪府警外事警察民間協力者(当時)の筆者にとって目標だった。

 ある月例の検討会でのこと。
 小田急・新百合ヶ丘の「京町家」の、あの個室で、ウラと会食。

「武藤さん、水樹奈々がニュースになっていましたね」
「水樹奈々大使が?なんのことですか?」

 伊予観光大使をつととめる水樹奈々の敬称は、筆者にとって「大使」である。

「武藤さん、ご存知ではないのですか?」
「ええ、知りません。教えてください」
「ネット掲示板で脅迫をしたやつがいましてね、ウチ(警察)が捕まえました。水樹奈々に『会いたい』と書き込んだが、相手にされないことを根にもって、掲示板に(伏せ字)と書いたのです」
「水樹奈々大使に、『会える』と思うのは、思い違いも甚だしいです」

 三好は、爆笑した。

 後から聞いた話なのだが、筆者(コードネーム:武藤)は、ロシア研究者であれば誰にでも会って独自情報を入手する、途方もないネットワークを短期間に築いた大物、という扱いになっていたそうだ。一般論として、研究者は、公に出された論文の感想に関心を示す。見当外れの「意見」を表明される向きには歓迎されないのだが、文字数制限や編集の都合で割愛された部分を、その原稿のことを知らないはずの武藤に指摘されると、非常に喜ばれる。
 世間ではスポットライトの当たらないロシア研究者界隈だけの話なのかもしれないが、その当時の政権に有識者として招かれる高名な研究者ほど、立場や社会の都合で「書けない」ことを、若輩の武藤が挨拶ついでにツッコミをいれると、自身の書いたことを嬉しそうに「批判」する。だから、武藤は、誰にでも、会えた。

 そんな武藤が、「会えるわけがない」と言ってのけたのが、水樹奈々大使。

 三好には、大変お世話になった。
 水樹奈々大使が愛媛銀行のイメージキャラクターに就任した時のこと。愛媛銀行のクリアファイルを、筆者は「欲しい」と口にした。三好は、大阪府警勤務で同じ大学の後輩3人に打診するも、入手にはつながらなかった。しかし、その3人のうちの一人と同じ課の警察官が話を聞いていて、その人の友人が愛媛銀行に勤めているというご縁で(←カバーストーリーのにおいがするがw)、水樹奈々大使の愛媛銀行のクリアファイル3枚を入手できた。

 3枚のクリアファイルを入手して、欣喜雀躍した筆者。
 閑居で部屋の明かりで3枚についた指紋が別々のところで1カ所ずつしかついていないのを確認して、3枚のクリアファイルが「愛媛銀行のノベルティの束」から3枚無造作に抜き取ったものではなく、3通りの出所から苦心して届けられたものだと想像して、神棚に飾った。まっさらなクリアファイル。指紋のところだけが明かりで浮かび上がる、あの「光」は、日蝕を観測する時の太陽のようだった。

 その数ヵ月前の7月7日には、クリアファイルを文字通り、「拝む」ことしかできなかった。
 みずほ銀行町田支店ATMから777円を引き出して、愛媛銀行東京支店に向かう。
 日本橋(秋葉原)の支店で、その777円を窓口からみずほ銀行新宿新都心支店の自分の口座に送金する。送金手数料は、648円だった記憶がある。
 ATMでの送金をすすめる行員に、頑として窓口からの送金手続きをお願いした筆者を、彼女は怪訝に思ったことだろう。一連の事務手続きを終えた後、筆者は、彼女に、

「水樹奈々大使の、御行のクリアファイルを見せてください」

とお願いした。
 彼女は、銀行員として、上司の了承を受けることを忘れなかった。
 上司からの了解を受けた彼女は、奇怪な行動をしていた筆者への警戒心を解いたことだろう。

「裏面はこうなっていますよ」

 オモテもウラも、笑顔で見せ・・・・・・拝ませてくれた。
 ここまでして拝んだ、水樹奈々大使の愛媛銀行クリアファイル。
 
 その代表作だと思う、『魔法少女リリカルなのは』シリーズ(TV版)のBlu-rayは、ソトゴトからの謝礼でBOXをアニメイトで積み立てて購入した。

 人は言うかもしれない。

「公安のカネで買った」
「ソトゴトのカネで買った」

 そうなんだよな。

 大阪府警外事警察の三好を通じて渡された謝礼を、毎月積み立てて、3シリーズを購入するには、コツコツ積み立てなければならない。みずほ銀行の封筒に福沢諭吉の肖像の入った1万円札をためていくのは、

「今月も、ロシア関係情報を収集・分析するぞ」

という何よりもの動機となった。
 後年、三好は、水樹奈々大使を生で見かけることとなる。外事警察の所属する警備部門の仕事ではなく、プライベートで。
 三好の妻がドリカムのファンなのだそうだが、万博記念公園でのライヴに水樹奈々が出演。カバーもうまく、三好もその実力を認めたそうだ。

 嬉しかった。

 実力で、はいあがる。
 
 筆者は、そんな生き方をしたくて、実家のある大阪から、東京都町田市内に「亡命」した。

 大阪にいたままだったら、筆者は、怨望の人間として生きていただろう。

 芸能にうといことについては右に出る者がない、筆者。
 そんな筆者が、なぜ、水樹奈々大使のことを知っていたのか。
 時は、2010年12月31日にさかのぼる。

町田で民間協力者としてそれなりに成果をあげた、2010年12月31日。町田に来て、1年がたった。ロシア大使館でのイベントに参加する足がかりもできた。三好の前任の長門と、大阪・梅田の「個室」で会食をした。長門は、筆者を外事警察の協力者としてリクルートした公安警察官。でも、「個室」といっても、他の席と区切りがあるだけのスペースだった。

「写真とずいぶんと違うなー!」

 長門はその時、店内で聞こえよがしに不満を表明した。
 きっと、武藤に対して出された「予算」がその程度だったのだろう。
 あの不満の声は、「武藤」にくだされた当時の評価だった。

 実家に帰省して、足りない胃袋を満たした。
 「紅白歌合戦」が流れていたが、口パクだと思えるような「歌声」を、「生放送」で聞き流していたが、一聴してただならぬ声が耳に入った。筆者が驚いてTVに振り向いた時に歌っていたのが、紅白2回目出場の水樹奈々だった。

 長門・三好の運用する「武藤」は、町田でのびのびと活動した。その活力を、水樹奈々、その人が与えてくれた。

今(2022年1月21日)からさかのぼって一年前の今頃(2021年1月21日)には、『大阪府警ソトゴト――町田のヒューミント(修正版)』がなぜ売れないのか、不思議だった。コロナ禍やTOKYO2020やら色々あるだろうから、そのかげに隠れていただけだろうと甘くみていた。

 今は、違う。

 水樹奈々『深愛』(書籍)を読むと、その軌跡に「運」というものを感じるようになった。
 実力を持っていることは必要条件にすぎない。その「時」が来たら、のぼりつめるために。

「『スパイの書いたスパイ小説』というものがあるのだとしたら、私も読んでみたい」。

 使い古された表現のような気がするが、「スパイの書いたスパイ小説」なら、筆者は2020年に筆者が書いた。・・・・・・だが、素材は良くても、大阪府警外事警察に送った文書をそのまま本文に用いても、世の中の人は、それを本当のことだとは思ってくれない。「スパイ小説もどきのへたくそな文字列」だと思われていることだろう。

 拙著は、777円で発売中。
 もちろん、水樹奈々大使への畏敬の念を抱き、同年生まれとして、異なる分野ながらも第一線で活躍したいという野心のあらわれである。このまま終わってたまるか。

 拙著での武藤頼尚は「本名(コードネーム)」なのだが、長門・三好は、本名でもコードネームでもない。安寧を脅かす魂胆は寸毫たりとも持ち合わせていないから、そこは伏せている。ただ、拙著がフィクション・実話であれそれなりの「評価」を与えられるためには、筆者自身が励まなければならない。

 水樹奈々大使のデビューから20年遅れてしまったが、同じ学年の人間として、その高みを、目指したい。時代が筆者を必要とする「時」がくれば、名乗りをあげよう。


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