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【実録】アクセルとブレーキの踏み間違い
筆者は「自動車を運転する一人」として、「アクセルとブレーキの踏み間違い」を経験したことを、公の場で発信する。
きっかけとなったのは、下記の記述。
「豊田会長は、『交通事故防止のためには、自動車会社だけ、クルマ側だけでは、出来ることには限界がある。交通安全を推し進め、事故死者ゼロを本気で進めるのであれば、道路インフラ側や歩行者側、自転車や(電動キックボードなどの)新モビリティ側など、社会全体が一体になって進める必要がある』と語った」。
引用元:ベストカーWeb「豊田章男会長『今の日本は頑張ろうという気になれない』の本当の宛先は…メディアだった」(2024年7月23日付)
なお、上記引用文に筆者がたどりついたのは、
池田直渡の「ぜんぶクルマが教えてくれる」『(free!)豊田会長の発言切り抜き問題とメディアビジネスの“宿命”』(2024年7月26日10:46付)。
「その時」まで、筆者が「アクセルとブレーキを踏み間違えることはありえない」。そう思っていた。事故もおこしてはいないし、ヒヤっとした(たとえば心理的領域における)当事者は、運転者の筆者一人だけである。だからこそ、発信しておこうと思う。
筆者は平成12年5月11日付で「普通自動車運転免許証」を取得した。もっとも、免許証の種類は「中型」となっているが、実家の乗用車のハンドルしか握らない。ゴールド免許ではあるが、若葉マーク(初心者マーク)をつけて走行している。
自動車運転能力に自信がないのならば、運転免許証を返納すればよい。それが「正論」なのだが、家族・親族の間では、自動車運転を通じてプライベートを支えておくのが、現時点での「最適解」だと認識している。
東京都内で自動車を運転したことは、「ない」。東京都町田市内の自動車教習所でペーパードライバー講習を受講して運転をしたが、教習所教官が助手席におられたのだから、本稿の趣旨からは「ない」という表現を用いる方が適切だろう。
自動車運転免許を取得した平成12年(西暦2000年)。
当時は、「アクセルを踏む際には踵(かかと)を車体につけ、ブレーキを踏む際には踵(かかと)を車体から浮かせる」と教わり、常日頃意識していた。
「『急がなければならない』という事情」に追い込まれることのないような人生をたどったので、自動車教習所でも「アクセルとブレーキの踏み間違い」という事態が発生することがないように(限りなくゼロになるように)と教わった通りにしていたら、「その時」が起きたこともなかった。
「以前の自動車はミッション(MT車)だったので、『アクセルとブレーキの踏み間違い』が生じることはあったかもしれないが、AT車の実家の自動車しか運転することのない私には無縁」
だと過信していた。
「過信」というよりも、自動車教習所(平成12年)の教習課程を「厳守」すれば、「起こりえない」ように、教わっていた、と思っていた。
「『自動車運転技能が低い』という自覚」が、筆者にとって何よりも自動車運転時に命じていたことである。
自動車運転を行う方が、自らの技能が劣っていることを「恥ずかしい」と思わない、すなわち、自動車運転技術の限界を誰もが認識することを躊躇しないように、という願いをこめて、積極的に発信していたのだが、もはや「自覚」というよりも、「交通安全」を啓発するための「自尊心」にまで肥大化している。
勝丸円覚『警視庁公安捜査官』(幻冬舎新書)
を読むと、著者(勝丸氏)は筆者の想像ができないほどに運転技能に優れているのだが、それは元警察官として当然だとしても、筆者の場合には、「自分の運転車両が尾行されているかどうか、左折を3回くりかえせばよい」(大意)といったことは不可能ミッションである。
大阪府警外事課の協力者(2006-2018)がよくつとまったなと思われるだろうが、そもそも情報収集・情報提供・情報分析等の席は「飲酒を前提とした宴席や会食の場」が主たる活動舞台だったので、そもそも自動車運転は必要とされていない(自転車運転もNG)。
「その時」。アクセルとブレーキの踏み間違いをしたのは、ほぼ無人の駐車場の出口。安全用の交通設備(逆U字型の黄色い設備)を避けるために、バックをしようとした時。思わぬところでバックをすることになったのだが、一旦ブレーキを踏んで、足をはなした。ギアを前進(D)から、バックに切り替える。このときは軽くアクセルを踏む。
ほんの少しバックしてブレーキを踏む。
前進(D)してハンドルをきる。「これでは駐車場から出られない」と思い、再度ブレーキを踏んだ。
バックにギアチェンジ。
アクセルを少し踏む。
ここで停止するために足をアクセル離して(浮かせて)、ブレーキを踏む・・・・・・つもりが、アクセルを踏んでしまった。
勢いよくモーター音がする(誤ってアクセルを踏んだ)。
その音に驚いたのか、反射的に足を浮かせてブレーキを踏んだ。
自動車製造工程において、大きなエンジン音を出すと同時に、人為的要因に起因する誤った操作だとして「発進」するまでに瞬間的な猶予を運転者に与える、という仕様がされていなのかもしれない。
結果として、無事故。
「ブレーキを踏む際には、足を浮かせる」
この経験で、「ヒヤリハット事案」で済んだが、何も起きなかったのは、「運が良かったから」だと思う。自動車に備え付けられた「交通事故を起こさせない仕様」などの技術的要因については、筆者は知見をもちあわせていないので、素人による想像の範囲内である。すくなくとも、筆者の聴覚と身体への反射的行動(ブレーキを踏む)の因果関係は、わからない。
ともあれ、「アクセルとブレーキを踏み間違えることは、私に関しては、自動車教習所課程を通して『ありえない』という認識だった」
という危険なバイアスで臨んでいた、ということを、恥を忍んで公開した。
本来ならば「黙っておく」のが筆者の社会的信用という観点からは「正解」だというのはわかっているが、たとえ「不正解」であっても、「交通事故ゼロ」に一助になるかもしれないと思うからこそ、甘んじてご批判とお叱りを受け入れたい。