【短編小説】アニと冬の子【童話】
もうすっかり、冬のただなかでありました。
どっしりと厚い灰色の雲から、雪が音もなく降りてきて、村の三角屋根に白く積もるような、静かな夜のことでした。
外は暗く寒いですから、人々は皆もう家の中に入っています。
十二歳になる少女・アニも、暖炉で暖まったお部屋で、おばあさんがセーターを編んでいるところを眺めていました。
ソファに座るおばあさんの足元に寄りかかりながら、アニは楽しい出来事を思い起こします。
今日、広場でやった雪合戦や雪そり、もしくは秋にやった、収穫祭の出来事や、いろいろなことをとめどなく浮かべていました。おうちの中で火の温かさを感じながら、ただ、時間の中に身をひたす。こういった、ゆっくりとした冬の夜は、なかなか良いものだとアニは思います。
ぱちぱちと炎がはじける音と、おばあさんが身じろぎして服のこすれる音。
アニはぼんやりとまどろむような心地で座っていると、ふいに冷たい音が耳に入りました。
キュウ キュウ キュウ
それは、雪を踏みしめる音です。そしてその足音は、窓の前で止まりました。
アニはおそるおそる立ち上がってぶあついカーテンをめくりました。
すると窓の前には、アニと同い年くらいの男の子がこちらを向いて立っていたのです。
アニは声を張り上げて驚きそうになりましたが、それより先に男の子が大きく叫んで、おびえた目で慌てて逃げていきました。
しばらくアニは呆然とその後姿を見て立ち尽くしていましたが、ほどなくして、あの男の子を追いかけないといけない、と思いました。
男の子はこの雪の中、薄い長そでのシャツとズボンだけで、とても寒そうだったからです。本当なら、窓の前で立っていた見知らぬ人は怪しまなければならないのでしょうけれど、それよりも、あの子をなんとかしてあげたい気持ちが強くありました。
それに、男の子のあの目。どうして彼は一人でいるのでしょう。家族や、気にかけてくれる人はいないのでしょうか。彼の丸い灰色の瞳は、寂しい、寂しいと訴えかけておりました。
「おばあさん、私、少し外に出てくるわ」
アニは振り返りながらそう声を掛けますが、おばあさんはすでに、すうすうと眠りについていました。
アニはしばらく暖炉の火が消えないことを確認し、おばあさんに毛布を掛けてあげると、自分の衣装ダンスから冬用の服を上下とりだし、ランプをもって静かに家を出ました。
家の前の通りは、アニ以外も誰もいませんでした。オレンジ色の街灯と、カーテンから漏れ出す光が雪の積もる通りを照らしていました。まだ新しい雪で、男の子のはだしの足跡だけが点々と続いています。
足跡は、とぎれることなく、大通りをずっと続いています。男の子は、いったいどこに向かっているのでしょう。
村の中心から外れるにしたがって、灯の数も減っていきました。アニは歩きながら、すこし心細くなってきました。音はすべて雪が吸い込んで、自分の足音と、息遣いしか聞こえず、キィンと耳が痛くなってきます。
不安を抑え込むため、アニは手袋越しに自分の頬をたたきました。幸い、雪はやんで雲が晴れてきておりました。紺碧の空に満月がさえざえと黄色い光で大地を照らしています。神様も彼を追いなさいと言っているに違いないのです。
息を切らしながら歩いて、ようやくアニは男の子の姿を見つけることができました。男の子は、村の広場の中央で、ぽつんと佇んでいました。広場はアニたちが昼間雪合戦をしたりして遊んだところでしたが、その痕跡はすっかり新しい雪に覆われて、一面銀世界になっていました。月の光が白い雪に反射して、まるで内側から光っているようです。
アニは、
「ねえーっ!」
と大声で呼びかけました。
すると男の子はこちらに気づいて、慌てて逃げようとします。
「待って! 私、あなたに服を届けに来たの」
アニは必死で呼び止めました。すると男の子は戸惑った様子ながらも歩みを止めて、アニを待ってくれました。
「こ、これ! どうぞ!」
アニは温かな毛皮のコートと、ズボンを差し出しました。男の子はけげんな顔をして、小さく顔を横に振りながら言いました。
「いらない」
「だって、そのままじゃあ寒いでしょう」
「寒くない」
男の子は苛立ったように答えます。
よく見てみれば、男の子は全く震えていませんし、体調も、ちっとも悪くなさそうでした。
「僕は冬の子なんだ。気にかけなくていい」
男の子は、そう吐き捨てるように言いました。そしてまた、アニの前から立ち去ろうとします。
「冬の子? 冬の子ってなに?」
アニは言葉の意味がわからなくて、疑問を投げかけました。
「だから! 君たちの嫌いな冬の子だって言ってるだろう! ……いや、待ってくれ。君は初めて見る顔だな? 本当に知らないのか?」
男の子はじろじろととアニの顔を見ました。アニは頷きます。
「私はアニ。今年の秋、おばあさんのお世話をするためにこの村に越してきたばかりなの。あなたは初めて見る顔だわ」
男の子は少し黙って考え込んだ後、ぶしつけに言いました。
「君みたいに、見知らぬ人間に服を持ってくるようなおせっかいな奴はきちんと説明しないと帰らないんだろうな。こいよ、意味が分かれば、僕なんて気にもかけなくなる」
そういって男の子はずんずんと歩き出したので、アニもそれに続きました。
男の子は広場よりも更に奥にある、木の柵で囲われた小道を行きました。柵、といっても、雪が積もって、上のほうしか顔を出していませんでしたが。
道は小さな円柱形の建物に続いていました。石造りの建物は出入口の扉はなく、そのまま中に入れました。そして中には、四つの石の祭壇がありました。
「ああ、雪がひどいな」
横殴りの雪にやられたのか、祭壇の上には雪が積もっていました。男の子は一つの祭壇に近づき、積もった雪を落とします。するとそこから、横たわって眠る一人の女の子が出てきました。
「えっ!」
アニは手で口を覆って驚きました。
「収穫祭の子じゃないの!」
茶髪のくるくるとした髪がかわいい女の子は、アニも秋のあいだよく遊んだお友達でした。
最近はとんと見かけなくなっていたので、どうしたのだろうと考えていたところです。
男の子はそのまま残り二つの祭壇の雪も払います。そこでもそれぞれ、女の子と男の子が眠っていました。
「僕らは季節の子。季節を運ぶ子。一年の四分の一ずつ、交代で起き、季節を土地にもたらすんだ」
「……つまり、あなたは冬を運んできた男の子っていうこと?」
「そういうことだ」
アニは男の子をまじまじと見つめました。枯草のような薄い色をしたさらさらとした髪。ぼんやりと雪雲のような灰色の瞳。雪のように白い肌。なんだか話を聞いて、納得したようなところがあります。見れば見るほど、彼は冬そのものみたいな子でした。
男の子はむっすりとした顔で「正体がわかったならもういいだろう。帰った帰った」とアニに戻るよう言います。
アニはぐいぐい押されながらも反論しました。
「それで? あなたが冬の子だからってどうして気にかけない理由になるの? 正直あなたの正体となんのつながりも見えないわ」
その言葉に、今度は男の子がびっくりしたような顔をしました。
「だって……、冬だぞ? 暗くて冷たくて、草木も枯れて凍える、皆嫌いな冬を運ぶやつなんだ。僕に良いことをしてあげようなんて思わないだろう」
冬の子は目を伏せて、ただそう、当然のことのように呟きました。アニは一目見た時感じた寂しさの表面に触れたような気がしました。
アニの出会った秋の子は、積極的に人と関わるような明るくておてんばな少女でした。村の人々にも愛される、可愛らしい少女です。村のみんな、その女の子のことを知っていました。
それに比べて目の前にいる冬の子はどうでしょうか。もう冬も半ばだというのに、アニは今まで彼を見たことがありませんでした。村の人たちからも男の子の話は聞いたことがありません。
男の子の、この、自分がうとまれるようなものという認識は、村の人から言われたことなのか、それとも、男の子自身から生まれたものなのか。それはアニには知る由もないことです。けれど、自分自身がうとまれるような存在だと自分で思うことほど、悲しいことはないでしょう。
アニはたった今、男の子が冬を運ぶということを知っただけです。ほかに何にも、彼のことは知りません。だから言葉に迷って、それでも何か言ってあげたくて、たった一つだけ口にしました。
「私は、冬も好きよ」
気まずい沈黙が流れました。男の子はだんまりとしたままです。けれど、さっきと違って、無理やり追い返すような手も止まりました。
「そんなに冬を悪いように言わないでちょうだい。私が冬のいいところを教えてあげるから、その考えは改めてもらうわ」
アニはちょっと強気に言って、冬の子の手をとり祭壇の間から連れ出しました。冬の子の手は手袋越しにわかるほど冷たくて、一瞬手を放してしまいそうでしたが、気にしてないふりをして、強く握りました。
アニは片手にランプを持って、その灯とお月様の光だけを頼りに、村の家々が立ち並ぶところまで戻ります。もう深夜でしたから、街灯も消えて、家の人々も眠りについているようで、どこもかしこも暗いばかりでした。アニとおばあさんの家だけが、カーテンのすきまからまだあかりが漏れていました。
「たぶん、おばあさんが寝ているから、静かに入ってきてね」
そう言って、アニは冬の子を家の中に入れました。案の定、おばあさんはソファで眠ったままです。暖炉の火が小さくなっていたので、アニは薪を一本追加しました。
「……」
冬の子は借りてきた猫のようにそわそわと、家の中をあちこち首だけふって見ています。
アニはくすりと笑いながら男の子に「どうしたの?」と尋ねます。
「家の中にはいったら、手先や足がじんじん痺れてきたぞ。これが家なのか?」
「体がまだ暖かいのに慣れてないからよ。私もいま、じんじん痺れてる。この感覚は冬の醍醐味かもしれないわね」
冬の子はしばらく、じんじんする指先の感覚を珍しそうに見ながら暖炉の前に立っていました。とはいえだいぶ体が暖まってくると、いつもアニが座っている一人がけのソファに足を組んで座り、試すように言いました。
「それで? 今から冬のいいところを僕に教えるのか?」
「まさか、もう遅いもの。今日は眠るわ、お楽しみは明日からよ」
そう答えると、冬の子は調子が崩れたような、変な顔をして、そのまま気まずそうに目をつむりました。アニはそれを確認してから、彼に毛布をかけて、自分はカーペットの上で丸まりました。
さて翌朝、アニは三人の中で一番早くに目が覚めて朝食をつくっていました。それからしばらくしておばあさんが起きてきたので、男の子の正体は言わず、身寄りがない子を連れてきたとだけ言いました。そして朝食が完成した後、アニは冬の子を起こしました。
テーブルに並べられたキャベツのスープを、おばあさんとアニが食べるのを冬の子はおっかなびっくり、まねしながら飲みました。スープが温かいから、冬の子の顔がぽっと赤くなります。
「やっぱりスープは、寒い冬にこそ一番おいしいわねえ」
おばあさんはしわがれた声で、目じりをにんまりとさせて言いました。
「どういう意味だ?」
冬の子はおばあさんに尋ねます。
「手足がかじかむような寒い時に飲むスープが、特別においしいということですよ」
おばあさんはにこやかに答えました。
「……君は僕の正体が気にならないのか?」
「少しは気になるけれど……言いたくない人に、無理やり聞き出すものでもないわ。それよりも早くお食べなさい、せっかくのスープが冷めてしまいますよ」
おばあさんの言葉に冬の子は赤かった顔をもっと赤らめて、残りのスープを飲み干しました。
朝食が終わると、次はお掃除です。
「まさか君、『楽しいこと』にかこつけて、僕を働かせるために連れてきたんじゃないだろうな」
「まさか、そんなことないわよ」
アニは自信たっぷりに言いました。そして窓のカーテンを思いっきり全開にしました。窓の表面は全部結露していて、曇っています。
「さあ、これを拭いていくのよ」
アニは雑巾を差し出しました。冬の子は「僕が何でこんなことを」と最初はやりませんでした。
「そう? じゃあ私が全部お絵描きに使っちゃおうかしら」
そう言ってアニは雑巾を窓の表面に滑らしました。雑巾が通ったところは、水がぬぐわれて、線になります。
犬や猫、リス。アニが鼻歌を歌いながらあんまりにも楽しそうに窓を拭くものですから、冬の子は我慢ならなくて「僕もする!」と雑巾を持ち、窓を拭き始めました。
もみの木、三日月、トナカイ、キツネ。窓にはたくさんの素敵な絵でいっぱいになりました。いつのまにか冬の子の顔にも笑顔が浮かんでいます。
「これ、冬にしかできないのよ。冬だけのお楽しみ。ね、冬って素敵じゃない?」
アニが尋ねると、冬の子は照れたように口をつぐんでしましました。
家の用事が終わると、アニは冬の子の手を取って外に遊びに出かけました。
「今の時間なら、村の子供たちは皆広場に行って遊んでるわ。雪合戦にそり、スケート、冬の遊び、なんだってあるわよ!」
アニは友人たちが遊んでいるところに冬の子を連れ出そうとします。けれど、冬の子はアニの腕を引き留めました。
「どうしたの?」
「……」
冬の子はだんまりです。
「怖いの?」
「ちがう!」
「皆いい子たちばかりよ。誰もあなたをのけ者になんてしないわ」
「だから違うって言ってるだろう! 今回はたまたま君が冬が好きだなんて奇特なやつだったからこうなってるだけで。ほかのやつらは、僕が来たら嫌な思いをするかもしれないじゃないか。僕が怖いんじゃない、あいつらが怖いと思うだろうから、行かないって言ってるんだ!」
そう言いながらも、アニを掴む冬の子の腕は、ふるえていました。アニはそれを指摘することはなく「そう、じゃあ、少し離れて眺めていましょうか」と笑いました。
冬の子は、ほかの子供たちが遊んでいるのを真剣に見つめていました。
「どうみても、誰も冬が嫌そうには見えないでしょう?」
「さあ、どうだか」
冬の子は、フン、と鼻を鳴らしました。
何日かしてからは、夜、誰も広場にいなくなってから、二人は雪合戦をして遊ぶようになりました。夜空には、満点の星が浮かんでいます。
冬の子は呟きました。
「冬は嫌いだけど、この夜の空だけは認めてやってもいい」
アニはくすくす笑いながら返事します。
「そうね。冬は空気が澄んでいるから、小さな星までよく見える」
「ほかの季節は違うのか?」
「春はぼんやりとかすみがかったようにみえるのがいいの。夏と秋は星の流れる川が夜をそそぐ。どれも違って、どれもいいの。もちろん、冬も」
「詳しいんだな」
「星は好きだから」
「僕は冬しか見れないのが残念だ」
「次の冬、見せてあげるわよ。窓ふきで分かったでしょう? 私、絵が得意なの。来年の冬までに、ほかの季節の夜を描いていてあげる」
そうアニが言うと、冬の子は小さく、「じゃあ……頼んだ」と呟きました。
こんな風に、冬の間アニと冬の子は過ごしました。結局、冬の子が子供たちと遊ぶことはありませんでしたが、彼が子供たちを見る目は冬が終わるにしたがって、どんどん穏やかになっていたようアニは思います。
そうして季節の境目になって、冬の子がそろそろ眠る頃合いになりました。
眠る前、冬の子はアニに話しました。
「アニ。言わなきゃいけないことがあるんだ」
アニは尋ねます。
「どうしたの?」
冬の子は、言いづらそうに、もごもごとして言いました。
「本当は、人間が僕を嫌ってるから遊ばないでいてやるなんて、嘘なんだ。本当は、僕がただ臆病だっただけだ。だから、その、……来年は……きっと」
アニは言いました。
「来年は、皆とも遊びましょうね」
「……うん!」
二人は笑顔で約束をしました。冬の子は祭壇に横たわり、眠りました。
さて次の日。
アニが椅子から目覚めると、季節はすっかり春に様変わりしていました。
アニは走って、広場の祭壇のところまで行きました。銀世界だった広場はもう、春の花々と若草色の葉が鮮やかな花園になっていました。
「さあ、皆の大好きなわたくし春の目覚めよ! もっと祝いなさいな!」
一つの祭壇の上に、春の少女が立っていて、村の人々にそう言っています。人々は春の子の目覚めを祝って、彼女に花冠をかぶせたり、感謝の言葉を口々にしていました。
アニは冬の子の祭壇を見ました。すると、意外なことに彼の祭壇もほかの子たち、夏、秋の事同じように、春の花々で飾られていたのです。花以外にも、人々はおもちゃやお菓子なんかも供えていました。
アニが呆然としていると、村の青年に声をかけられました。
「やあ、たしか今年の冬、ずっと冬の子のそばにいてくれた子だね。ありがとう」
アニはその言葉に面喰らいました。
「どういうこと? 冬の子を知っていながら、あんなふうに今までほったらかしにしてたってこと?」
アニが憤ると、青年は慌てて否定します。
「違うよ違う! あの子は人間が嫌いだと思っていたから、僕らもあえて近づかなかったんだ。だけど、君があの子と一緒に過ごしているのをみて、そうじゃないって気づけたんだよ」
「冬の子のこと、嫌いじゃないの?」
「まさか。この村の全員、そんなこと思ってないよ。皆、春と夏と秋と同じように冬の子が大好きさ」
青年の言葉に、アニは、自分だけの宝物が、実は全員知っていたことのような、少し残念な気持ちと、でもやっぱり、うれしい気持ちが沸き上がりました。
祭壇で眠る冬の子の手を、アニは優しく握りました。
「きっと、きっと、約束を忘れないでね。次の冬になったら、今までで一番楽しい冬になるわ」
冬の子は眠っているから、無意識でしょう。けれど、まるで聞こえてるみたいに、アニの手はきゅっと握り返されるのでした。
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