自己紹介|借金を極めた愚者|はじめてのnote
「マジでやばいな…。来週支払い分の金が全然足りないわ。他の支払い分を原資にスロットかFXでどうにか稼がないと…」
足らない金をギャンブルで稼ぐ。
この失敗を何十、何百と繰り返してきた。
運良く勝って切り抜けられた過去体験が余計に期待を煽り、自分の行く末をギャンブルに託す。
後になって冷静に振り返れば結果はいつも分かりきっていた事。
けれども、その時点では頭がまわらない。
毎月の支払いが収入を超えている以上、運任せのその場その場の金策しか手段が無いのだ。
行きつけのパチンコ屋。
力の入らない手でサンドに最後の札を突っ込み、残り数枚のクレジットを残したまま力が入らずフワフワした体になんとか力を入れて店を出る。
またある時は、手足にじわっと汗をかき、歯を思いきり噛み締めながらポジションとは逆行するチャートを見つめる。
お祈りトレードに損切りという言葉は無い。
ポジションはカットされ口座内資金はたちまちゼロだ。
2024年、気付けば今年で40歳。ピーク時の借金は900万を超えていた。
まさにクズ。どうにも救いようのないギャンブル狂いだ。
令和借金道という愚者
はじめまして。
令和借金道といいます。
ギャンブル歴25年超え、負のループから未だに抜け出せない生粋のギャンブル中毒者です。
仕事は大手メーカーの期間工で年収は350〜400万。※独身彼女無し
借金と共に生活する時も長くなりいよいよメンタルが揺さぶられるようになってきた為、何か新しい事に挑戦しようと思いこの度noteを始める事にしました。
何をコンテンツにするか現時点では細かく考えてはいませんが、ひとまずは借金にまみれた底辺中年の本音とリアルを記事にしていこうかなと思ってます。
思春期に出会ったV字フラッシュ
私が初めてギャンブルに手を出したのは○学3年生の時でした。
友達に連れられ町のパチンコ屋で打ったサンダーVが初めてのスロットです。
あの日の事は今でも忘れずに覚えています。
打ち始めて直ぐに起きたリールの激しいV字点滅。
「入った入った!!」
そう言いいながら友達が得意気にVを揃えるのと同時に大音量で流れ始める低音の効いた疾走感あるBGM。
気付けばドル箱は満タン。
初めて打ったスロットで、私は訳も分からないうちに28000円を手にしました。(当時は8枚交換…)
中○生の28000円は言うまでもなく大金です。
このビギナーズラックが私の人生のレールを方向づける大きな要因となったのは言うまでもありません。
数時間楽しんだだけで1000円が28000円になったという事実。
ましてや、お金の教育もろくに受けていない家庭で育ち、バイトすら経験もしていない未熟な年齢です。
効果は絶大。
のめり込まない理由がありません。
祭りの型抜きで1000円の型抜きを成功したのとは訳が違います。(型抜きは大概おばちゃんにケチつけられ交換してもらえませんでしたが…)
これがきっかけとなり、私のギャンブル依存人生は○5歳からスタートしました。
来る日も来る日も自転車でパチンコ屋へ向かう日々。
○学生がお金を持っている訳ないので小遣い1000円だけ握りしめて打ちに行ったり、友達と落ちてるメダルを拾い集めて何回転か回したりする程度ではありましたが、やってる事は依存症そのものです。
人生に置いて貴重な10代の時間、そのほぼ全てを私は健全な遊びやスポーツ、または勉強でもなくギャンブルに費やしてきました。
高校は中退し、16歳で働き収入を得るようになりましたが、仕事の給料は給料日から1週間以内にはスロットでスって全部無くなる。
そんな生活を送っていました。
消費者金融での借金がかさみ金融ブラックへ
いくら負けようがスロットへの依存度が下がる事はありません。
それどころか、当時は爆裂機と言われる非常に射幸性の高いスロットが次から次へと登場していた時期だった為、私はさらに依存度を高めていきました。
消費者金融でお金が借りられる歳になると、直ぐに無人契約機をかけまわりカードローンを契約。
当時の消費者金融はなかなかえげつないもので、今より簡単にお金は借りられたものの、利息は今では考えられない27%とかでした。一括で返済するかある程度まとまった金額で返済していかなければ利息ばかり取られて元金に充当されていきません。
また、3か月~半年程返済を遅れずにしていれば限度額もどんどん上がっていった為、私の借金はあっという間に300万を超えました。
当時の消費者金融で300万の借金。これはもう完全に詰みです。
もう大分前の事なのではっきり覚えてはいませんが、各消費者金融への支払いが毎月計10万だとして、元金に充当されるのは3万前後といったとこでしょうか。
とにかく、普通に働いているだけでは完済が不可能に近い状態に陥っていました。
なんせ当時の月給は20万前後なのですから、、、
それでも最初の方こそ返済を頑張ってはいたものの、減らない元金に心が折れ、私はある日を境に返済を完全に止めます。
22歳にして人生初の金融ブラックです。
凄まじい数の督促電話、督促状。
委託回収業者の直接訪問。
その全てが最初はメンタルにこたえましたが、親に借金がバレると気持ちにかなりの余裕ができるようになり、消費者金融の督促に対しても居直るようになりました。
(借金で気を病む理由の一つが家族の存在です。
家族に借金を知られたらどうしようというプレッシャーは本当に神経を擦り減らします。もう返済が無理だと思った時点で借金がある事を打ち明けた方が結果はともあれ気持ち的には良いと思います。)
結局、この時の借金は一件は貸倒、何件かは和解をし元金のみの返済で30歳まで返済を続けました。
逃げられないギャンブル思考。2度目の金融ブラック
ギャンブル依存というのは本当に恐ろしいものです。
やっとの思いで借金完済後、2度とギャンブルが原因で借金は作らないと決めていたのに気付けばまた借金をしていました。そしてまた返済困難による滞納…
2度目の金融ブラックとなった直接的な原因は仮想通貨と株の信用取引ですが、一攫千金を夢見たギャンブル的な思考が引き金となっています。
そして負けを少しでも取り返そうという気になりさらにギャンブルトレードやスロットにお金をつぎ込む。
特に金融商品はスロットと違い突っ込めるお金も桁が違う為、借金の増加スピードも早くあっという間に金額が膨れ上がりました。
(投資はリターンも大きく、含み益が400万になったり、fxで1日で350万勝った事もあったので私の金銭感覚はますます壊れていってしまいました。)
もう正確に計算する気にもなれずしていませんが、現在も500万以上の借金が残っていると思います。
諦めたらそこでなんちゃら…
この先、私に一般の人と同じ生活を送る事はほぼ不可能でしょう。
学歴も実績もない。
今の私にあるのは借金とみじめな生活。
一般の人が学校で勉強し、社会に出て真面目に働いてきた期間、私は好き勝手やってきた訳ですから当然です。
でも、このままカスな人生で終わりたくはありません。
諦めたらそこで試合終了です。
私の場合、諦めたら周りに迷惑かけただけの底辺人生で終了なのです。
私が迷惑をかけた人からあいつはマシになったと思ってもらえるような人間には最低限ならなくてはいけません。
まずは借金をいち早く片付ける。
全てはそれからです。
四の五の言ってられません。
令和借金道、足掻き続けます。
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