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なんで売れてもないnoteを有料で出し続けているの?

初めまして、都築怜と申します。開いていただいてありがとうございます。
平日毎日18:00、こちらnoteにて記事を投稿しております。
投稿するほぼ全ての記事が「課金コンテンツ」となっており、全文を読むには月額有料マガジン『都築怜の自撮り展』の購読が必要です。

現時点で、有料購読者は数名程度。元々ファンがいる人間でもないですし、まぁそんなもん。いやむしろありがたい。

もう一度繰り返すが、全文を読むことは基本できず、購読者は数名。

…。

"え、なんで投稿しているの?"
"というか、そもそもなんで有料にしているの?"

シンプルにそんな疑問を持つ人もいるだろうなと、この直近の三連休でふと思った。実際にそう言う声を聞いたわけじゃない。いかんせん、購読者が少ないもので。

とにかく、「まずは文章を無料後悔して読者をかき集めた方が…」とか、確かに思われてもおかしくないよなとは思うのだ。
そして、自分のなかで、思い出すようにしてこの件の回答を考えていたなかで、思い出せなくなる前に書き残しておこうと思い、筆を取ることにした。

結論から言うと、きっかけは実にしょうもない。
3~4年前、起業家みたいないわゆる成功者的な人が、メディアでサービスグロース論みたいなのを話していたときのこと。

「無料から有料にするのは悪手」

そんなことを話していた。もちろん、きっと前後の文脈あっての発言だったとは思うけれど、当時の自分にとってこの発想が妙にしっくりきた感覚だけは今でも覚えている。こうして、一旦、有料メディアとして出発することにした。

それから丸2年、今でもその形式を変えていない。
無料マガジンに切り替えることもできたんだろうけれど、惰性でダラダラと続けているなかで検討すらしてこなかった。

それでも今、改めて考えてみても無料に切り替えるつもりはない。
なぜならば、将来的にこの文章だけで食べていきたいと思っているから。

具体的に、読者側の立場に一旦立ってみる。
仮に、ずっと僕の記事を無料で全文読めていたとしよう。
そして少しずつ、僕は読者数を獲得していく。
そしたらある日、読者からしたらずっと今まで無料で読めていたものが、読者数が増えたからといって、急に「来月から有料です」なんて舵を切られるのだ。これはやはり違和感があるだろうと思うのです。

これは、売ってるものがただの文章(ブログ)というのが大きい。ブログなんて、そもそも無料で投稿している人が多いもの。だからこそ、僕が無料で投稿し出したら、僕の文章が無料であることに慣れ切ってしまうだろうと思う。それゆえに、有料化したときの反動は結構大きいと思う。

現在、僕のマガジンは月額120円。
仮に、僕がこのマガジンを月額200円に値上げしたとする。
それでも、「元々無料だったマガジンですが、有料課金することにしました!月額100円だけど読んでね!」の方が反動は大きいと僕は見ています。

まとめると、「いつか文章だけで食えたら良いな」と思ってる以上、誰にも読まれなかったとしても最初っから有料でやらせてもらおうと決めたのです。まぁそんな決意も、成長の面影も見られない客観的なデータを前にすると、すこぶるダサいのであるが、色々と、あの手この手で増やしていくしかないですね。

そう、あの手この手が僕には必要なのだ。

その話で、本記事を締めることにしよう。

元来、僕は粘り勝ちができる人間ではなかった。
ある種、猫騙し的というか、ちょっとしたすばしっこさで、その場をやりくりし続けてきたようなタイプの人間である。
ここに僕の強烈なコンプレックスがある。
もう少し歯を食いしばっていれば、もう少しだけ耐えていれば。
そんなことを後から振り返って思うことが多い。
僕はnoteを通して、その克服がしたい。

1点、補足事項を述べさせてもらうと、「苦手より得意に目をむける」という考え方について、僕は両手(もろて)をあげて賛成する。
一方で、苦手にもいくつか種類があると思っていて、「得意を強烈に阻む苦手」は排除した方が良いと思っている。

無料コンテンツでは無いので、購読者数も少しずつしか伸びないだろう。

それで良い。いや、それが良い。

平日毎日18:00に欠かさず記事を投稿し、あの手この手で集客するのだ。

そして、いつかマガジンの購読者数を1万人にしたい。

改めて、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

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