新幹線の陽気な外国人
ゴールデンウィークに新幹線に乗った。
のぞみの15号車最後部、三人掛けの中央席に外国人男性が座っていた。
「Your seat?/君の席か?」訛った英語で尋ねられた。
頷くと、彼は一番奥の窓側の席に移った。
後から来た前の席の日本人女性がスーツケースを棚に上げようとした。
彼はすかさず立ち上がって補助をした。
口髭を生やし、ちょい悪オヤジ風だった。
背中のリュックを棚に上げ、前座席の背のフックにワインの入った縦長の紙袋を掛けた。
ぶら下がったその紙袋が彼の膝に当たってしまった。
「My legs too long./脚が長すぎるからね」彼はそう言い、何が面白いのかゲラゲラ笑った。
「I'm sorry.」そう言って、紙袋の位置を変えようとしてみた。
「No problem at all. I don't care./全然問題ないよ。気にしないから」彼はそう言いながら、背中を擦ってきた。
申し訳なく思い、前座席の背のテーブルを下げると、彼の脚に紙袋は当たらなくなった。
「Great!/いいね!」彼は親指を立てサムズアップ・サインをし、ウィンクした。
「This train goes to Nagoya?/この列車は名古屋に行くの?」彼が尋ねた。
(もしかして無賃乗車?)
「Yes」平静を装って答えた。
「Where to?/どこに行くの?」彼が尋ねた。
「Nagoya. /名古屋」
「Same! Traveling?/同じだね!旅行?」彼がまた尋ねた。
一瞬、Yesと嘘を答えようと思ったけど、逆に余計にいろいろ聞かれるかもしれないと思い直した。
「It's my home town./帰省」正直に答えた。
「Your parents' house?/実家?」彼がそう聞いた。
「Yes」
「My house in Oharu./自分の家はオハル」彼が言った。
(オハル?おはる?お春?おーはる、ああ、大治町のことか。行き先不明の電車でそんなマイナーな町に?)
「Uh-huh/へえ」曖昧に頷いておいた。
「What's your job?/仕事は?」
(面倒臭くなってきた)
「computer/コンピューター」キーボードを叩く仕草をしてみた。
相手がIT関係でない場合、大体これで会話を打ち切れる。
彼の仕事はIT関係には見えなかった。
彼はいきなり、納豆がどうたらと言い出した。
「I don't like natto./納豆は苦手だ」そう答えてみた。
「ノー、ナットオ、ナットオ」
(一体、何の話をしているんだ?)
「ナットオ、ソージャー」彼は両手で銃を構える仕草をした。
「Oh, NATO, soldier?/オゥ、ネィトゥ、ソゥジャ?/ああ、NATO?兵士だね?」英語の正しい発音で指摘してやった。
「Yes, Yes!」彼は手を叩いた後、笑いながらウインクして、指をピストルの形にして撃つ真似をした。
(なんだこの大仰なジェスチャーは)
彼は軍人を辞めた後は豪華客船の警備員もしていたらしい。
そして、スマホを取り出し、クルーズ船の写真を見せた。
彼は自分はトルコ人だけど、父親はイタリア人だと言った。
(なるほど)
彼はスマホのアルバムから、日焼けし少し垂れ目のいかにもイタリア人といった高齢男性の写真を見せ、去年亡くなったと言った。
「I am so sorry./本当にお気の毒に」
「Thank you.」彼はそう言った後、今度は小さい女の子の写真を見せて娘だと言った。
「She is cute./かわいい子だね」実のところ、あまり興味はなかったが、そうお世辞を言うと、彼は嬉しそうにひとしきり娘自慢をした。
(そろそろ勘弁してくれ)
彼は話しながら、やたらと肩を叩いたり膝を擦ったりしてくる。
トルコの文化って、そんなにボディタッチが多いのだろうか?
彼がいきなりトルコ料理は知っているかと聞いた。
「kebab? /ケバブとか?」
彼は、日本で売ってるあんなのは本物のケバブじゃないと言い、スマホのYoutube動画を見せて、これはなんたらケバブだと説明しだした。
この時点で新幹線に乗ってから既に30分が経過していた。
動画の長さを見ると1時間以上はあった。
(うわあ、夕飯食べる時間がない)
幸い彼は、動画をスキップしながら他の肉料理やらスイーツやらを自慢した。
そして、日本には米とラーメンしかないと日本食をディスった。
夕飯にお握りと卵焼きのお弁当を作ってきていたのに、テーブルに置いたナフキンの包みをほどけなくなってしまった。
料理動画が終わると、今度は自分の故郷だという島の動画を見せ始めた。
彼が動画の説明をする間、スマホの上部に頻繁に通知が出ていた。
「Shinkansen?/新幹線だよね?」彼が突然メッセージアプリらしきものを見せて床を指差し、尋ねた。
「Yes」
「Really?/本当に?」彼はまた聞いた。
(この人は、本当に大丈夫なのか?)
彼が名古屋に行くのかとまた聞くので、「Yes」と答えた。
メッセージの相手は友達なのかと尋ねてみた。
「No」彼が答えた。
家族か親戚か知り合いかと聞いてみた。
「No」彼はいずれにもそう答えた。
「man or woman?/男か女か?」聞いてみた。
「I don't know./わからない」
「Why?/どいうこと?」
「I don't know./わからない」また彼はそう答えた。
(やばそうな人だ)
彼は相手のプロフィールを表示させた。
いかにも欧米人がイメージするような日本人女性らしき画像があった。
彼はメッセージ画面にまた戻して見せた。
自分のスマホのGoogleレンズを彼のスマホにかざしてみた。
そして、メニューから翻訳を選択した。
「私はトルコ語が詳しくありません。あなたは新幹線に乗っているのですか?乗り間違えていないですか?」そんなことが書かれていた。
その後、彼と相手のメッセージのやりとりが幾つかあり、最後の行に相手が英語で「You are wrong./あなたは間違っている」と書いていた。
彼が最後の行を指さしてどういう意味かと聞いてきた。
(分かるはずがないだろう)
一瞬、犯罪か何かかと思ったけど、おそらく出会い系なのだろう。
あまり関わり合いたくないと思っていたら、Youtubeに戻してまたトルコの観光案内を始めた。
夕食があるなら食べなよと、彼は勧めた。
「It's OK./大丈夫」
彼のスマホにメッセージが頻繁に来だし、彼はそれに集中し始めた。
新幹線に乗車してから1時間近くが経過していた。
その隙を逃さず帽子を目深にかぶり、狸寝入りを決め込んだ。
そしてそのまま眠ってしまっていた。
間もなく名古屋に到着するというアナウンスで目が覚めた。
降りる準備を始めた。
「Nagoya?/名古屋か?」彼がそう聞いた。
「Yes」
彼は自分も降りると言った。
「Sightseeing?/観光か?」前の会話なんてすっかり忘れていたから、そう尋ねてみた。
「No, no, my house, Oharu./違う、違う、自宅、大治だよ」彼は言った。
(ああ、嘘じゃなかったんだ)
彼が立ちあがった。
10cm以上の上背があった。
名古屋駅で一緒に降りた。
「Nice to see you./会えてよかった」彼が手を差し出した。
「Nice to see you, too./こちらも会えてよかった」握手をして別れた。
彼は颯爽と人混みの中に消えて行った。