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恋愛モノ好き≠恋愛したい

世の中のコンテンツは恋愛モノで溢れている。

夜に放送されるテレビドラマでは最終回で男女2人が結ばれていき、スポーツ漫画では男子部員の誰かが女子マネージャーのことを好きになる--。

アニメの女性キャラは同じ1人の男性のことを好きになりがちで、大ヒット小説では愛し合うカップルに悲劇的な別れが訪れる--。

『逃げるは恥だが役に立つ』、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』、『君の膵臓をたべたい』・・・。

それぞれ思い浮かんだ作品は違うかもしれない。というより別作品が思い浮かぶ人がほとんどだろう。あなたが別の作品を思い浮かべる、まさしくそのこと自体が、恋愛要素が入った広義の「恋愛モノ」が豊富に存在していることを示している。

・唐突な自己紹介

僕自身、恋愛要素の入った作品は嫌いではない。
そもそもお前、誰? と思う人もいると思うので、僕の紹介を挟みたい。

僕こと、れいすいきは、
他人に対して恋愛感情を抱くこともなければ、性的に惹かれたなーという経験もない、そんな人生を歩んできた男です。性別は男で、20代後半。男性にも女性に対しても恋愛的な感情で「好き」と思ったことはありません。そんな人間です。
現時点では、自分自身のセクシュアリティをAセクシャル(アセクシャル、ace)で、おそらくAロマンティック(アロマンティック、aro)だと定義しています。

・恋愛モノを見なくなった

そんな僕だが、先述の通り、恋愛を描いた作品は別に嫌いではない。
あまりにキスとか性行為に結びつく描写の多いものは見ていられないが、恋愛要素が入っているものも拒否感なく見ることはできる。

アニメのラブコメも嫌いではない。
お互いの距離が近づく描写だったり、関係性の変化を楽しむことはできる。

だったら、恋愛が好きなんじゃ...
自分でもそう短絡的に結論づけたくなる。
そんなふうに自覚しようとしたとき、それをかき消すように、どこかから「自分は恋愛に興味がないんだから」という接頭辞を付けて自分の行動を規定していくようになる。

恋愛に興味がないんだから、身だしなみに気を使いすぎてもしょうがない。
恋愛に興味がないんだから、誰が誰を好きとか気にしないようにしよう。

そうして、恋愛要素の入った作品は?と自らに問い、「恋愛に興味がないんだから」、"嫌い"になった。つまり、見なくなった。

もちろん恋愛要素を感じた瞬間にアニメや小説の続きを見るのを読むのをやめる、なんてことはしない。
ただ、タイトルを見て、あらすじを見て判断する時に「恋愛要素があること」が見ないと判断する材料になっていた。

・腐女子が読むBLは?

そんな時に女性漫画家2人がBL(ボーイズラブ)作品について語る、ある対談記事を読んだ。2人のうち1人は『昭和元禄落語心中』で知られる雲田はるこさん。「自身のBL作品を読めない」と男性ファンから言われたことについてこう語っている。

そもそも描いている私がゲイじゃないのに。セクシュアリティが一致しないと読めない、というのは不思議な感覚です。

『週刊文春WOMAN』2021年夏号

肩の荷がすっと消えるような言葉だった。自分自身を覆っていた「不思議な感覚」が消えた。

そうだった。作品の楽しみ方と自分のセクシュアリティが異なるのは、何もおかしなことではない。

考えたら、BLを読む女性に「BL好きなら、なんで性転換して男性になって、男のこと好きにならないの?」と聞くだろうか。

そもそもナンセンスな質問な気がするが、答えは「いやそういうんじゃない」「この世界観、関係性が好きで、別に私がその間に入りたい訳じゃない」というものだろう。

もしかしたら「BLに身を投じたいので性転換したいんだけど、ハードルが高くて」という答えもあるだろうが、多くの腐女子(と呼ばれる人達)は自分のセクシュアリティとは切り離して作品を楽しんでいるはずだ。

・恋愛モノが好き≠恋愛したい

翻ってアセクシャル、アロマンティックの僕はというと、好きな作品やキャラを話せば、そこから恋愛好きや好きなタイプなどの情報が抽出され、こんなことを言われたり、囁かれたりする。

「じゃあやっぱり彼女が欲しくて、恋愛をしてみたいんだよ」
「そしたらこういう女の子がタイプなんだ」

その断定は、たとえるなら、女性アイドル好きの女の子に、「じゃあ男に性転換して その子と付き合えるといいね」とアドバイスするくらい推論が行き過ぎていると思うんです。

別にリアルの世界で恋愛対象としてその人を求めている訳でも、恋愛をしたくてしたくてしょうがないという訳では必ずしもありません。(もちろん中にはガチ恋という人もいます)

男女2人がセットになる「恋愛」という枠に、僕を、私を当てはめないでください。
その枠は窮屈でとても居心地が悪いんです。

あなたが良かれと思って言っていることは予想以上に、というより予期せずに、その枠に入ろうとしない人を苦しめています。

・Aro/Aceは腐女子レベルまでには、「理解」されていないのが実情

こう考えていくと、AroAce(と呼ばれる人達)は、腐女子(と呼ばれる人達)のように「ああ、そういう存在なんだね」と理解されるフェーズにまで、今現在ではまだ、たどり着いていない。そんなふうに、自分自身の体験を通して感じています。

『逃げ恥』が好きなのは、ガッキーみたいな人と結婚したいからではなく、様々なパートナーの形とお互いの心の揺れ動きを描いて人の様々な思いが読み取れるから。

『キミスイ』が好きなのは、恋をしたいからではなく、思いが積み重なった結果、儚さや命の尊さを感じ、精一杯生きなきゃなと自分の人生に意識が向き、前向きにさせられるから--。

恋愛モノを作品として味わうのは好きでも、恋愛に身を投じるのは好きじゃないんです。
 

あなたの推論が当てはまらなくてすいません。
ただ、その推論を押し付けて、縛ろうとしないでください。苦しいんです。
危うく自縄自縛で、、、Aro/Aceとしての意識を失うところでした。

ヘッダー画像はcanvaの Text to Imageから作成しました


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