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戦後に現人神を求めた大横綱 ~『双葉山の邪宗門』を読んで~

1936年から39年にかけて69連勝を達成した戦前昭和の大横綱、双葉山。
白鵬の連勝記録の時に名前は聞いていましたが、功績を含めて本稿を書いているれいすいきは知りませんでした。
しかし、本書の表紙とタイトルのインパクト、そして扱っている時代がとっても興味のあったので思わず手に取りました。

※文章は平易に書いているので書籍と表記や表現の仕方が異なっている箇所があります。また本書から連想される内容をつらつらと書いています。

・双葉山定次とは

この本では本名の穐吉定次時代からその足跡を追います。
春秋園事件(力士によるボイコット事件)が契機となり、活躍をしていったという記載がありますが、不勉強なれいすいきとしては、こんな事件があったのかと発見でした。
戦後、後述する新興宗教の璽宇に関わり璽光尊事件で逮捕されますが、のちに時津風親方として相撲協会理事長となります。タブー視された戦後の空白となっている約2年間に本書は切り込みます。

・資料発掘のすごさ

本書はこれまでの新聞資料や双葉山の自伝など既刊の資料はもちろんのこと、璽宇の最高幹部(教団内の璽宇内閣では総理)だった勝木徳次郎の書き残した「璽宇と双葉山の関係」を入手し、書籍の中でも生かしています。この資料があるからこそ、本書は深みのある内容になっています。
単に変な宗教に捕まった大横綱ではなく、時代背景や双葉山が何を求めていたのか、そして教団は双葉山をどう見ていたかが浮かび上がってきます。

・天皇の人間宣言後に双葉山が入信した新興宗教

戦死した遺稿がベストセラーになった杉本五郎中佐の『大義』。この本を愛読し、周囲に勧めていた双葉山に著者の加藤さんは注目します。『大義』にはこうあります。

天皇は、天照大御神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。

この本を愛読していた双葉山にとって、戦前の国民が抱いていた「天皇の赤子」としてだけでなく、賜杯を頂くなどして実感として天皇という神を感じており、相撲は神事でもありました。この文章にも当然共感していたというわけです。
そのため、加藤さんは、戦後不在となった天皇=神の代わりを双葉山は求めたのではないかと推察します。その神が璽宇の璽光尊だった。
1947年1月21日、金沢で璽光尊(璽宇の神様)事件という事件が起きます。教団に警察の強制立ち入りを受け、双葉山が逮捕された事件です。
その後、"改心"した双葉山は弟子を部屋に置き去りのまま璽宇に入信した自分の行いを「自分には学がなかった」と自身の不勉強を理由と説明し続けます。
しかし、本書では本人の語る言葉とは裏腹に本人が自発的に教団に近づこうとしたのではないかと資料で明らかにしていきます。

・マッカーサーに直訴

戦争が終わり、今までの価値観がひっくり返った戦後初期。本稿では割愛しましたが、囲碁の名人も敵無しだった大横綱も新たな依代(よりしろ)を求めていたのかもしれません。
しかも璽光尊の言葉が的中します。これは中島岳志『血盟団事件』でも描かれますが、予言の的中が求心力を高め、信者の獲得につながっていきます。
戦後の混乱期。GHQのマッカーサーは日本を統治するリーダー、彼は天皇よりも権威のある存在となっていました。なんとそのマッカーサーに「璽宇に参内せよ」という御神示が璽光尊から下ります。
ここでなんと双子の巫女(璽光尊のお告げを告げる存在)がマッカーサーに御神示の神を手渡すことに成功します。
走行中のマッカーサーが乗車しているキャデラックの前に双子の1人が武田鉄矢の「僕は死にましぇーん!」ばりに立ち塞がり、
止まった車にもう1人が乗り込み、手紙を渡すことに成功。しかもマッカーサーは「センキューセンキュー」と言ったというのです。
ちなみに「日本のお嬢さんが踊っていて、マッカーサーは涼しい顔をして愛用のパイプを咥えている」と目撃したようにその時の状況を描写する文章も残っています。
こういった出来事が「マッカーサーとやりとりができる」という神話になり、文字通り神がかりの存在として神格化されていったと想像できます。

・新興宗教もマッカーサーは神格化していた?

混乱期の戦後初期。璽宇内閣を組織するほど新しい国家体制も意識していた新興宗教だった璽宇。しかし、進駐軍の権威は無視できずむしろお墨付きを与える存在だったようです。このことは天皇という神がいなくなった戦後にマッカーサーを神格化して、神の不在を補完しようとしていたとも見ることができます。

それでは璽光尊とは誰か、璽宇とは何だったのか、なぜ警察は双葉山を逮捕したのか。本稿では省きましたが、詳細は書籍をお読みください。

(誤字脱字ありましたら申し訳ありません。)


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