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結局、私はなぜTwitter(X)を辞めないのか 31歳男性セクマイアカウントの場合

TwitterがXになってからというもの、イーロン・マスクがTwitterを“乗っ取って”からというもの、Twitterの空間が居心地悪くなった気がします。

おそらくそう感じている人は多く、Xに代わりうる文字投稿&タイムライン閲覧がメインのSNSが出てくる度に「避難先」としてアカウントが作られていっています。

でも、本当にみんなXから離れているのか? そう考えると実感としてはXにとどまっている人が多い印象です。他ならぬ自分(れいすいき)もそのひとりです。(Xのアカウントはこちら

モヤモヤと他のどこか「移住先」を頭に浮かべながらもXに身を置き続けている、そんな自分の「動かない理由」を考えてみました。

1.コミュニティーの継続性

まずは、当たり前といえば当たり前ですが、Twitterにいた多くはそのままXに残っているというのが大きいのかなと思います。自分は避難先として名前の挙がったMastodonもMisskeyもThreadsもやっていません。(ただ、さきほど興味本位でBlueskyを始めました)

なので「移住者」の気持ちや状況がわかりませんが、新大陸でツイッタランド以上に楽しく過ごしている方もいるのかもしれません。ただ、ツイッタランドと同じ空間はないと思っています。

匿名アカウントでしたいのは単なる情報収集だけではありません。同じような趣味嗜好を持つ人たちの空間、コミュニティが好きというケースもあろうかと思います。自分の場合は、Aro/Aceという恋愛伴侶規範に懐疑的な人たち(超ざっくり言えばセクシャルマイノリティーの1つ、100人に1人くらいいると言われる)が集まっていて、共感したり、みなさんの考えを知り学んだりすることが多い。そのため、一定の分野に特化した匿名アカウントとしては「一からコミュニティに入ったり、Xにいた人を見つけるのが面倒くさい」という考えが正直あります。であれば「いまのXで(思うところはあるけど)いいじゃん」という判断になり、今もツイッタランドに土地を持ち続け、家はそのままの状態にしています。

2.インプレゾンビ、差別投稿…それもまた社会である

さきほどの(思うところはあるけど)につながりますが、ぶっ飛んだ人間が多いIT界隈でも変人と呼ばれる起業家がツイッタランドの国名をXと変えてから、タイムラインの雰囲気は変容しています。

例えば「トレンド」欄(赤枠のところ)。

リツイートやlikeが多い投稿が表示される話題タブのところにだいたいはそのニュースソースが表示されますが、最新を見ていくとトレンドの単語を拾った以下のような投稿も目につくようになりました。

最近ではインプレッション(閲覧数)稼ぎのためにトレンドワードに紐づいた迷惑投稿を指して「インプレゾンビ」とも呼ばれたりしています。(ちなみにそもそもインプレゾンビがなぜ誕生するのか。インプレがどうビジネスになるのかはこの記事に詳しいです)

それに加え、元々あった差別的な投稿だったり悪口だったりが、どんなアルゴリズムによってなのか不明ですが、タイムライン上に登場することが多くなったようにも思います。これはイーロン・マスクが率いているという前提からくる思い込み、いわば“逆ザイオンス効果”として自分がそう思っているだけかもしれません。ただ、感覚として間違いなくあるのは、Xフィールドが実社会と同等かそれ以上にギスギスしているんじゃないかという「厭世感」です。こういった、今のXの雰囲気に嫌気が差している人、意外と多いんじゃないでしょうか。

では、お前はXを辞めるのかというと、自分の場合はそうではない。なぜなら「それもまた社会の縮図である」と考えるからです。

やや冷たい言い方ですが、インプレゾンビも差別投稿もない平和な「新大陸」が恒久的に続くなんてことが有り得るでしょうか? 収益化が絡んでいなくても、何かしらの形でインプレ狙いの人はいるでしょうし、無意識の偏見から「差別投稿」になるケースだってあるでしょう。

そもそも、個人的には「投稿の自由」を制限することはできないと思っています。(もちろん人を傷つける投稿はあっていけないですが)

そう考えていくと、Xに見られるインプレゾンビも差別投稿もそこにあることを認めて、付き合っていったほうがいいのかなと思っています。(ただ、そういった投稿が本当につらい人は環境を変えて、新天地に移ったほうがいいと思います)

フィルターを使ってそういった投稿をなくす、という使い方もあるでしょう。ただ、フィルターをかけて社会の声を「選別」する怖さを個人的には抱いています。フィルターバブルの行き着く先には、SNSの泡に包まれる自分の姿が想像できます。

SNS上は居心地が良いのに、実社会は居心地が悪い。

そうして現実から、実社会から、遠ざかっていくのが怖いんだと思います。

だから、見たくない現実も“映し出してくれる”Xは良い勉強材料になっている、と捉えて今も情報収集のひとつの拠り所にしています。「こういう考え方をしている人がいるのか」とか「こういうビジネスが成り立っているのか」とか。

これは片足かそれ以下を「裏垢」としてツイッタランドに踏み入れているから無責任に言えることなのかもしれません。Twitterの変容もどこか距離感を持って見ていることができる。

ツイッタランドに見切りをつけて、去っていく同志(フォローしていた方)の姿も見てきました。

ただ、世の中的にはほぼ「見えない」存在であるマイノリティー的存在だからこそ、実社会では「見えない」もの、見たくないものにも目を背けたくない、と思っています。

これをすべてフィルターでかき消してしまうと、今度は自分が差別する側になってしまいそうなので。

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