白人(男性)至上主義の鮮明になりつつある世界

ネアンデルタール人が現生人類に駆逐された理由は集団規模の差にあったと言われており、それはそのままコミュ力の差だったとされているということは以前から書いています。そして結束の強いはずの日本人が白人に喰い荒らされている理由とも関連するでしょう。ただそれでも日本人が白人にコミュ力で劣っているということではないはずです。

森林を切り拓くゴルフがオリンピックの正式種目となったのは2016年のブラジル大会からというのは因果を感じさせるような話ですが、また多くの人を傷つけることになりますが、他人がゴルフをするのを見て何が楽しいのか全く分からないのは野球と同じですが、しかしどちらも見るのではなくプレーすること自体は私も嫌いなわけではなく、ゴルフの打ちっぱなしや草野球に興じたり、バッセンに通う人がいるということは分からないことでもなく、私もバッセンが気晴らしになったりすることはあります。自らするのなら面白くないなどということはなく、キャッチボールにしてもそうで二人以上でする運動で最も基本的なものかと思います。ただ繰り返しになりますが、それを公共の電波を使ってまで放送すべきものかというと疑問ですし、年俸が平均50億円支払われる大リーグのようなものには別の問題もあります。それらの原資はもちろん民間企業の余剰資金ということになりますが、資本主義社会においては会社は資本家によって投下された資本によって成立してきた背景があり、資本家の言い分としては「リスクを負って投資して成長させた」ことで「その配当金を得る権利がある」ということになりますが、実態としては多くの業種は必要不可欠なインフラとして機能しており、であるなら資本家の投資によらずとも遅からず誰かが成立させただろうとも考えられるわけで、資本主義の本質とは如何に早く需要を察知して有り余る資本によって独占するか、という競争の側面を抜きには語ることはできないでしょう。それに将来の需要の見通しなどについても、一般的には「博打で利益を上げることは出来ない」ということが社会通念としてありながら、「ネイサンの逆売り(ただの空売り)」と言われるように博打で巨万の富を成した勢力が実在することからも、そういった将来の見通しにはなんらかのイカサマが行われているのではないかという疑問をもつことは、賭場では必ず胴元が勝つようになっていることと同様に不自然なことではないでしょう。

最近はもうジャンクフードを食べる機会はないですが、私は一時期ハンバーガーという食べ物に憑りつかれたかのように食べていた時期があり、パテと野菜にソースをかけたものをバンズで挟み、そこに揚げたポテトを組み合わせることで本当に万人受けする食べ物になることは大手ハンバーガーチェーンが繁盛していることからもが良く分かりますし、マクドナルドのような自由主義社会の象徴であるかのようなそれがロシアでも大衆に大きな支持を受けていたことは、ウクライナ紛争によるマクドナルドのロシア撤退騒動からも別の側面としてクローズアップされていたように思います。なので私などはマクドナルドに限りませんが、とても大きな成功を収めた企業に対しては「Oパーツ的企業」という感想を持ちたくなるほど先を見通すなにかを見出さずには気が済まず、当時の創業者は未来を見通すような何らかの慧眼を持っていたのではないかとしか思えないようなことでもあります。

そのように人から支持を受けるものには何らかの理由があるはずで、日本では代々お米を食べてきたという文化背景があるためと思いますが小学校の給食で出されるコッペパンを食べられないという男児は割といるそうですが、それでもハンバーガーなら別の話で、大々的に広告を打ったりメディアによる世論操作などをせずとも勝手に客が集まってくるものなのでしょう。

ということで早くて安くて旨い食べ物というのはそれだけで消費者の利益にかなうものですが、食べることも出来ず、MLBのように法外な年俸を取ったり、ゴルフのような「優雅な」道楽の観戦に熱狂することからどのような利益を大衆は得ているのかという疑問は以前から抱いていました。

これも繰り返しになりますが上記のような理由から民間企業のお金は元々は「皆のもの」とも考えることもでき、であるならそれは本来なら値下げや社会への還元といったことから、環境対策やCO2回収などに費やされるべきですが、大リーグ選手などに全く分不相応な年俸を与えたり、森林を伐採する優雅な道楽であるゴルフにあれだけの観客が集まってプレーヤーの一挙手一投足に歓声を上げることは不可解ですらあります。決して安くはない球場への入場料を払う人にしても、普通はゴルフプレーヤーは優雅にカートで移動する広大なゴルフ場を炎天下に歩いて周って観戦する人にしても、一体彼らはそれで何を得するのかを考えてみても納得のいく動機というものが思い当たりません。

ゴルフをオリンピックなどに採用して熱狂することの問題は、ゴルフが大変な努力を必要とするものというよりも、練習場所とお金さえあれば多くの人が一定の実力を得られると考えられることで、であるならそんなものに熱狂することは「特定の裕福な環境にある(主に)白人を礼賛することになってはいないか?」ということです。

大リーグについても同様であり、大リーグは他の主要なアメリカの競技と比べて白人の割合が大きく黒人の割合が少ないことが知られています。

これなども全く正当でない巨額の報酬を得ることでカルト宗教の色彩を帯びることとは別に、白人至上主義や優生的思想に基づいているのではないかと疑うに足る十分な材料と言えるでしょう。

ですので私の結論としてはそのような色彩を帯びる大リーグや、わざわざ現地へ赴いて選手を盛り立てるゴルフの観客などは端的に「偶像崇拝」と見なすことができ、それは個人の利益というよりも「白人種」全体の利益に資するものと考えられることからも冒頭の話に戻るなら、そのような「競技」が他の競技を駆逐してまで採用される理由は、彼ら「盛り立て役」の観客は通常のコミュニケーシヨンではなく「なにかを受信」して「人々の支持を受けている」印象を作る役割を果たしているとは考えられないでしょうか、ということです。

その受信する「なにか」とは以前から書いてきていますように、「テレパシー」というのが私の主張であり、実際にテレパシーは実在するものですが、そのようなことは実体験してみるまで信じられないという人の方が圧倒的に多いでしょうから、それを信じてもらいたいという思いで書いているわけではなく、そのようなことが白人を主とするガイジン勢力に日本人が喰い荒らされている理由の一つとしてあるのではないか、ということを私と同じ日本の人にはその可能性だけでも頭に入れておいてほしいということです。「ネイサンの空売り」のように博打で世界最大級の財を成すようなバカなことがあるものかという常識以前のところまで立ち返り、「この世界はどこかなにかがおかしいぞ」という認識を皆で共有することが、この世を白人とその混血だらけにしようとしている「サタン」を退散させる一歩になるということを皆さんには知ってもらいたいのです。

黙示録では「終末にはサタンは奇跡を行って人々を惑わす」とされており、その奇跡の一つがテレパシーであり、もっと不可思議なことも起こせますのでその結果としてカルト宗教に嵌る人がいたり、大リーグやゴルフ観戦に熱狂する人がいるということになりますが、結局のところサタンはその魔力を「白人至上主義」に用いようとしており、サタンという「神の敵対者」は 白 人 の 守 護 神 そ の も の で あ る というのが私の意見でして、しかしサタンは最終的には神様に負けてしまいますので、決して白人などに靡いたりサタンを拝んだりすることのないように自戒を込めて警告を発するものです。

本当に酔狂な話と思われても仕方がないですが、この世とは「白人を歓迎したり混血してしまうか」、「日本人の敵である白人の側についてしまうか」という選別場となっているという突拍子もないような側面もこの世には大いにあるのではないかということを頭の片隅にでも入れておくことで「サタンを拝む」ような失敗を避けることができるかもしれません。

ということで何度もでも書きますが、私の血筋に1/nの混血を含む白人やユダヤの血が入ることは絶対に認めない。許さない。千年の菜食と淘汰、血反吐を吐くような人生はどれだけの莫大な金銀財宝を積まれたとして当然のことながら全く比較になるようなものではなく、勝手に私の血筋に入ろうとしても必ず「なにかが起きる」ということを白人や混血、それからサタンを拝んで白人を日本に引き入れようとしている日本人にも強く警告するものです。