「いのちの書に名のない罪人」
以前から東海アマブログを毎日チェックしていましたが最近は特に有用な情報もなく見ていませんでしたが、原発の危険性など有用ではあっても代替案が示されないことが問題で、私などは車を使い捨てにすることをやめ、木で家を建てるのをやめ、代わりに鉄で家を建て、余った木をバイオマス燃料にするべきだと主張しています。日本の国土に生えている木質資源を余すところなく使い切れば結構な量の石油に相当することがだいぶ以前にした大まかではありますが計算をしてしっており、これが最も難しいですが国土の木質資源を100%使い切れば日本が輸入している石油の3割くらいを代替できる量だったと覚えてます。もちろん伐採、植林、成長というサイクルでです。
そういった核心にせまる内容もなく、以前から自身で仄めかしていた「人生での失敗」について自ら語り、では何を誤ったのかということの啓蒙を始めるのだろうかと固唾をのんで見ていました。最近では自分自身で「地獄に堕ちる」とか、「次の転生に望みを託す」ようなことを書いており、今世で大変なことをやってしまったという自覚はあるのでしょう。しかしどう誤り、どうすべきかという核心はやはりなく、読者を繋ぎとめるための手段の一つとしているように受け取れます。
私はその次に書くべきことに期待していましたが、毎日見ていると分かりますがそのような本音らしきものが見える日もあれば核心には触れずにどう考えても白人を利するものでしかない日もあり、どうやら自分自身の思いを小出しにする日とそうでない日がモザイクとなって存在するように私には見えます。そうでない日とは主に韓国人や朝鮮人を非難するもので、今日のブログではその根拠を儒教としており、他方で現在の温暖化の状況が書かれることはなく寧ろ温暖化を否定したりあからさまな「CO2原因論」を否定する内容は以前にはよく投稿されていました。現代社会の抱える問題には触れず「儒教に問題がある」から韓国朝鮮人は存在自体が悪いという論調であり、白人に否定的な考えは決して述べられないことからも結局のところ「空気を読んだ」内容となっているでしょう。
東海アマに「来世」があるのは私から見ても尤もらしいもので、それも良い場合に転んだとしても、私の予想は自殺してしまうほどの鬼畜行為を加えられる女性の人生ではないかと思いますが、しかしいまは終末であり、そんなに生温いものではないでしょうというのが私の率直な感想です。我々は日常的に肉や魚を食べますが、その意味は日常的に殺され肉にされる生命が存在するということで、問題は誰がその生命に転生しているかです。どの生命も「意識」らしいものをもっていることは生命を観察してみれば明らかであり、その「意識」は肉体で感知する様々な「感覚」と結びついており、それが「喜び」「悲しみ」「痛み」「恐怖」といった感覚として「意識」されることで生命はなるべく捕食されることのないように生きることができます。つまり普段何気なく食べている肉、つまり元となった生命というものは「肉のなる木」などではなく、人の場合と同じように体の感覚を「意識」しながら生きている「存在」であり、そういった根源的な生命の仕組みの上では人も動物も魚も違うものではないです。問題は誰が捕食され、殺され肉にされる生き物に転生するかです。
私の見た範囲では東海アマは性犯罪を正当化しようとする言説を過去にしており、それも男性同士の馬鹿話の延長ではなくSNSで発信してきており、様々なところで「三つ子の魂百まで」を見る機会があるわけですが、東海アマもその例外ではないようです。ですので仏の顔も三度までと言われるように東海アマが人に生まれ変われるほどの包摂性を「この世」が持ちえるのかが問題です。私の個人的意見としては日本経済は長く低迷していますが、それを神様が許している理由は、日本においても歴史時代を通して女性に出産を強要したり性犯罪による「不法な」生殖が行われてきた結果ではないのか?と疑っています。中国では歴史的に「纏足」が行われましたがこれなどは現在は行われていないとはいえ女性を奴隷化するための悪しき風習です。宅間守の母親は宅間守を身ごもった際に「堕ろしたい」といったそうですが出産した結果あのような事件が起きてしまったというように書くと批判はあるでしょうけど、本来は女性は男性よりも勘に優れており、私などは女性は超能力に近い第六感を備えているのではないかと思う程で、そのような存在の意見を無視したり圧殺することでどのような弊害が生じ、実際にそういったことが重なることで現代の問題に繋がっているように思えてなりません。
昨日見ていた動画ですが、気になる文言がありましたので勝手ながらキャプチャさせて頂きましたm(_ _)m。
「いのちの書に名のない罪人」はそのような存在を指すのではないかと思えてなりません。差別にも繋がる難しい問題ではありますが、なぜ一部の国では貧困が連鎖し犯罪が問題となるのかということも現代の重大な問題です。とても難しい問題ですが敢えて書きます。「いのちの書に名のない罪人」とはずばり性犯罪によって設けられた子ではないかということ。そして非常に広義には男性が優位な社会で生まれる子にもそういった傾向はあるかもしれず、でなければ宅間守のような存在をどう解釈できるかです。
性犯罪に限らず「経済レイプ」によって存在する「白人との混血児」も同じく「いのちの書に名のない罪人」だと私は確信しています。