物質世界で神はサタンに負ける

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「神の性質」は「弱い」ということですが、人は往々にして自分自身の弱いところにコンプレックスを持つものです。コンプレックスがあるのだろうかと思うような人にもどこかしらにそういうところはあるもので、それがその人の内なる神の部分と言えるでしょう。これは容姿などにも言えることで我々は子どものうちから人を見た目で判断してはならないと教えられ、確かに相手の姿に違和感は覚えても内面にまで違和感を持つことは稀という経験を誰しも積むものと思います。

ただこういった話は白人には当てはまらないことで、彼らは「如何にコンプレックスを無くすか」という方向に「進化」してきた人達ですが、アジア人男性からすると白人女性の容姿は濃すぎるといいますか、アジア女性なら素の顔と社会的な化粧をした顔の二つがありますが白人女性は常に化粧をしているように見え、そこにさらに化粧などをするととてもどぎつい派手な見た目となってしまいます。男性なら分かると思いますが女性の化粧を落とした顔というのは質素というと失礼かもしれませんが男性からすると安心する何かがあります。一言で「自然美」というものだと思います。しかし白人は質素といったコンプレックスに繋がり易い性質を排除することで、その「化粧」をどうやっても落とすことのできない存在となったと言えるでしょう。そんな経験はないし必要でもないが、あんな姿を間近で見続けていて愛着が沸く要素があるだろうかと思います。神の性質とは「弱い」であると同時に人を安心させる何かもあるのでしょう。

白人はアジア人の特に男性の外見を忌み嫌うところがあり、見下しているところのあることがあからさまに分かる場合などもありますが、そういったことは我々アジア人自身にもあることであり、美醜の感覚は主観的なものではあっても姿の良くない人に対して拒否感を抱いたりしがちですし、人生の一時期には誰しも道を誤ったりするように容姿をもとに差別的な態度を取ることまでする人も少なくないでしょう。しかしそのように中身を知ろうとする努力もせずまず容姿の段階で拒否する態度というのは、そのまま白人が我々アジア人に向けてきた態度でもあり、この世は物質的であるがゆえに半分は「神」で構成されているはずの日本人にもそのような「ベクトル」が働きやすいと言えるでしょう。白人は日本人を容姿で差別した結果何が行われたかというと、アメリカでは日本人が排斥され、現代に至るまでもアメリカでは日系人男性は恋人やましてや妻をもつことのないようにという白人の悪意に晒され続けてきました。彼らは以心伝心というのか白人は男性も女性も区別なく日系の特に男性には冷たく当ってきたでしょう。容姿差別というか誰かの容姿に嫌悪を持つことは、最終的にはその人物の遺伝的排除に繋がるのでしょう。

だが我々は一度立ち止まり、白人がそのようなベクトルを持ったことでどのように「進化」するに至ったのかを胸に刻む必要があり、我々は容姿に拒否感を抱くような相手であっても決してそのような態度を見せてはならず、容姿ではなく内面を評価すべきだということ、そうすることによってのみ我々は「神」の性質を守っていけるのだということを、若い人や子どもにも分かり易いようにもっと簡単に説明する方法を模索。個人的な容姿をもとにした拒否も本来もすべきでないし、それが集団による拒否となると、その結果はその人物を遺伝的に排除しようとする行為に他ならないでしょう。その点、恋愛や配偶者の選択といった場面では主婦を目指す女性はさすがに人生が掛かっているところもありますが、そうでない場面、例えば接客業などで日本女性が容姿をもとに差別的な態度を取ったり、明らかに個性的な容姿の男性であってもあからさまに不快感を示すような場面は見たことがなく、そのような意味では日本女性はそういった精神性の部分に「神」の性質が色濃く表れていると言えるでしょう。

最近日本に帰化したナザレンコ・アンドリーは「(おそらくは日本人女性と)同棲していたこと」、「結婚など最も簡単な方法ではなく努力によって日本国籍を得た」ことを誇るツイートをしていましたが、これなども馬鹿にするのもいい加減にしたほうがよく、日本女性は外見で男性を差別しないが故にどの人種が相手であっても配偶者となりますし、それは外見ではなく内面で判断しているという何よりの証左です。アフリカに貧しそうな集落に嫁いでいったとても綺麗な日本女性だっているのです。そういったことを、君ら白人女性には出来るのかと問いたいが、もちろんして欲しいという意味では全くないです。我々に必要なものは「神」の属性であり、これを失えば「空気を読む」だけのサタンを頂点としたディストピアと世界は化してしまうでしょう。我々に必要なのは今後のアメリカとの人の往来を含む文化的な断交です。多くの人が貧しさや飢えに苦しむ傍らで、富の大半を独占する一部の者の遺伝子を拒否することには正当な理由があり、日本人はまだ良心的なので良いですが、アメリカなどでは資本家や経営者やその血筋は「遺伝的に」抹殺されるような事象が起これば世の中少しは良くなるでしょう。しかし彼らが特異なことは、遺伝的にはその資本家や経営者も、大半の中・下層民も遺伝的には大して変わりがないことであり、それこそがサタンの支配する「空気を読む世界」の真骨頂でしょう。彼らは必ず人の上に人を作らなければ気が済まず、であるから常に他人が自分よりも上か下を気にし、それが序列意識に現れるでしょう。これは日本でも主に車や家のランクといったもので他人との差別化をはかろうとする意図があるとするなら、それは人の上に人を置こうとする行為ということを自覚されたし。

そういう私は人を容姿をもとにして非難するということをしょっちゅうやっているわけですが、この場合の容姿はかの大統領が言ったように「四十歳になったら責任を負わなければならない」方の顔であり、40歳になって「変」な容姿をした男性がいるなら、その男性は「変な」生き方をしてきたのだと信じていますし、男性は若い時分の価値観では「不細工」な容貌であったとしても加齢するごとにそういった部分が逆に人を安心させる要素になったりもします。小沢一郎さんの若い頃の姿を想像するに、どう想像してみても決して美男子ではなかったろうということは誰しも思うところだと思いますが、中年を過ぎてからの氏の人望は厚いものがあったでしょう。あのように失脚に追い込まれなければ総理にもなり得た器の人物という評価は少なからずあるでしょう。

このように神の部分を持つことで如何に生きる上でのハンデになるかということですが、容姿に優れない女性に関して言うならば、独身男性の意見としてはもしかするととても大きな「武器」を持っているかもしれないということです。男性の性的興奮は視覚的な情報によるところは大きなものがありますが、実はこれも加齢とともに別の要素を探すところはあり、大抵の日本人男性は壮年ともなると女性の尿の匂いに拒否感が全く無くなるものです。引退して家にいれば洗濯籠の中身が気になって義理の娘や孫の下着を嗅いだりすることもあるでしょうし、それが如何に心地の良いものであるかを知るでしょう。匂いは尿に限らず体からも発せられており、とはいえ「容姿的に好ましい異性であるほど体臭は好ましくなく、逆も然り」という研究あるように、おそらく容姿に優れる人はパートナーに事欠くことがないことで異性と肌を接する時間が相対的に長いことが考えられ、その結果異性の体臭が移るという現象が影響しているのではないかというのが私の意見です。ですので「体臭」という要素に関していうなら独身の長い女性ほど有利で「武器」となるのは間違いないでしょう。もしそういう機会があるのであれば、相手が女性に困っていなさそうな男性の場合を除き、敢えて冬なら最低でも一週間は髪の毛を洗わないなどで体臭をアピールすれば良い結果を得られるかもしれません。男性は女性の「顔」と「頭皮」に匂いに弱いです。

他人を容姿で判断してはならないわけですが、一例として「菅野完」などももちろんそうです。あのようなものを見ると誰でも不愉快な気持ちになり、ついそれだけで見下したくなるものですが、それこそがサタンの策略といえ、サタンは常に我々に罪を犯させようとするでしょう。私も夏が終わったと思ったら一挙に冬がやってきたことで日課としている水温計測に暖房を全開にした軽トラで出かけたくなったりもしますが、スーパーカブという超高燃費の乗り物があるにもかかわらず軽トラで出かけたならそれも一つの罪となり得ます。サタンは罪を犯すよう唆し、神から離れさせようとしますのでそれを常に意識して裁きを受けることにならないよう気をつけましょう。しかし菅野完が糾弾されるべきは、奴がこれまでにどのような生き方をしてきたかという「責任を負う」べき顔であり、その姿であり、どう逆立ちしても身の丈にあっていない生活や身分をひけらかすことで、どれほどの巨大な悪い影響を及ぼしているかという視点で観察することをお勧め致します。色々と我が身を振り返ることもあるもしれません。なお、東海アマは「人は強姦されたくらいでは死なない」という文言に自身の鬼畜行為を隠しており、菅野完は第二東海アマです。なんとなく雰囲気も似ており、男性とすればあのような存在はつい「最終的には」という意味での遺伝的排除の願望をもったりするものですが、我々が手を下して人の下に人を置くような行為をせずとも神様は東海アマに放射線を浴びせましたし、菅野完に至っては5人いた子は全て死にました。そして東海アマ同様、今後も子ができることはなく、子が出来たとしても死ぬためだけに生まれてくるでしょう。最低でもあと515人。

最後に、我々が白人との混血を拒否せず流されるままでいることでどのような結果となるかです。簡単に言えば日本が南米になるということですが、例えば私は日本女性には第六感が備わっていると確信していますが、その萌芽は子どもの頃から既にみられ、白人女性がアジア人の子どもと関わったりすると白人の子どもであれば普通は気が付かないようなことに気が付いたりすることに驚くことがあるらしく、しかし我々日本人からすると女性の勘がするどいことは幼少の頃よりなんとなく知っていることなので特段驚くようなことではありません。白人女性は「神」の部分を捨てるように「進化」した人達であるがゆえに第六感が備わっておらず、それを補うためにサタンは奔走しているのでしょうけど、サタンは神に近い能力をもつとはいえ神とは対等ではありませんから、ずいぶんと大雑把な守護となっているでしょう。白人女性の神経は女性でありながらとても鈍いもので、ウスノロです。今回のアメリカ大統領選でも分かったように彼女らは「馴致」された存在です。