毎月くるよ。満月という試練日・評価日
おはようございます。6月5日金曜日、今日もRadio Sufiはじめます。
昨日はですね、久々の1か月半ぶりの学校でございました。丸一日...。まぁ本当に、座学が眠くて眠くて。しんどかった、という感じです。
眠いのを我慢するのが、しんどかっただけの話なんですけど。(笑)でもね、ちょっと寝てしまったんですよね。
そしたら急に先生に、「あっ寒いですか?」って言われて。ちょっと肌寒かったので腕組をして暖かさを保ちつつ、下向きながら寝たんですね、きっとね。寝てた瞬間に、ポンッって言われてハッ!ってなって「あっ、寒いです。」ちょっと慌てたっていう。一人苦笑したっていう場面があったりとかですね。
それにもかかわらず、まだ眠かったっていう...(笑)あーびっくりした、という感じです。でも午後は実技だったので、なんとか眠気も冷めたんですけど。 久々の開校ということで。
介護職員初任者研修の学校に今通っていて、今月の後半にテストがあって、その資格が取れるかどうかの最後の講座クラスなんですけども。取れるものは取れるし、取れないものは取れないし。全ては完璧だということですから、焦ることなく。日々やることも沢山ありますので。
そんな中で、月木とラジオをお休みさせていただくかなと思っているんですけが、どうぞよろしくお願いします。そんな中で、もしかしたら夜の配信もできるかもしれないです。
そんな事をしていまして、今ふとカレンダーを見たら、明日新月ですね。こないだも満月の話をしたかなと思うんですけども。
自分の昔の話、20年前くらいの話になっちゃうんだけども。その自分の氣分の浮き沈みが激しかった時代の話なんですが。
そんな生き方、自分自身に疲れてしまったていう話を一度このラジオでしたことがあるかなと思うんですが。
まあ本当に、上がった分落ちるっていう。
バネみたいなものなんですよね、心っていうのは。
イエーイ!って言った次の瞬間、ドーン。自分なんてみたいな感じで、上がった分落ちる。まあ、反対言えば落ちた分上がれるよっていう感じではあるんですけれど。それに、自分自身がついていくのが結構大変なんですよ。嬉しい時はスッゲー嬉しくて、ウェーイ!ってなってるんですけど。落ちた時は死ぬほど苦しい、辛いになっているわけです。
同じエネルギー量なわけなんですよね、嬉しいも悲しいも、落ちているっていうのも。陰陽のバランスが悪いわけです、とても。
両極のはじっことはじっこ、みたいな感じで。そんな自分のエネルギーが消耗していく感じです。
そうすると、仕事とかあんまり手につかなくなることもあるし。人間関係がうまくいかないとか、そういうこともあったりもしましたね。
そんな中で、もういい加減そんな自分に疲れて、
お願いだからもう、真ん中で生きたいよ。
ってすごい心底思った。
自分に疲れるっていう感覚、なんかちょっと不思議な感じもしますね。
普通ないかな、そういう感じって。
こんな自分嫌だな、認めるっていう所かもわからないですね。変わりたいと思ったというわけです。
そういう上下激しい、浮き沈みが激しい生き方をしている自分が心底嫌になっちゃったわけですよね。
もう、疲れる自分に...。という感じで。
もうこれを変えたいと。
決意をするというと、そうとう強いエネルギーで変わると決意しないと、実現していかないですよ。
やっぱり、自分エネルギー強いというのもあるので。それだけ、もう習慣的に上下浮き沈みあるというのは、普通にそうやって生きてきてしまうと、なかなかそういう習慣というか。習慣を変えるってさ、思い・言葉・行動全てを変えないといけないことですから。そう簡単な事じゃないですよ。
だから、時間もかかるとは思いますけれども。でも、意思の強さで何事も無駄にしないぞというくらいの取り組み方をしていけば、ペースは速いと思うし。
今の時代そういうふうに思う人がもしいれば、なんていうんですかね。もういわゆる、宇宙の二極化のゲートはどっちかで閉まっちゃうよというのは言われているわけですから。そのぶんエネルギー、背中を押してくれるエネルギーの加速は激しいわけです。
確かにね、獣か神かの二極化に分かれていくよ。
要するに我良しで生きていくのか、謙虚さや感謝、愛、調和、癒しで生きていくのか。どっちかといわれているんですけれども。
例えばその獣の道にいくぞ、っていうのも後押し早いっていうことですからね。
いいやそっちでって言えば、ガンっと落ちるということです。!
それもおっかない話ですけれども。まあ、エネルギーですから。陰陽どっちにも作用が働くということで。どう使うかは自分次第ですね。
まあその逆に本当に、良い方向へ、神の世界へ。
獣か神かとっていったら、神の世界。与える世界、与えあう世界に自分は生きるぞ。って真剣に思えば、そっちに後押ししてくれるエネルギーも強いということ。
どっちも強い状況ですね。氣抜けないですよ、この時期。夏まではね。
そういう感じです。落ちる時はスコーン、上がる時もスコーンという感じなんでしょうね。
与える世界で、ふと思い出したんですけれども。
天国と地獄の箸。
お箸です、あのご飯を食べるお箸ね。
その話を知っている人もいるとは思うんですけれども。閻魔大王さんがね、あるたぶん死んだ方が。たぶんこれ仏教の話だと思うんですけれども。
閻魔さんが、死んだある人をつれて地獄と天国を見せてくれるんです。そこではちょうど食事の時間でした。
そこでは亡くなった方々が、地獄住民と天国住民に分かれて、すごく美味しそうなお鍋、大きいお鍋をね、囲んでいるわけです。
地獄の住民達は、ふと見ると、まあ一応箸は与えられているわけです。みんなに同じ箸が与えられているんです。だけど、地獄の人たちはなんかいつも、貧しい感じで、ボロボロで、汚くて。なんか要するに獣っぽいかんじの。奪う感じの顔をしているっていうか。そういう感じで。同じ鍋を囲んでいる。
天国の住人達をふとみると、すごく穏やかで心が豊かだなという感じで。幸せそうな感じなわけですよね。
まあ、もちろん地獄と天国の住人だとすれば、当然という感じではあるんですけども。その人達は同じご飯を食べるように、鍋を囲っているんだよね。
そしてみんな同じ箸をもっている。
で、その箸がすごく長いんですよ。すごーく長いんです。だから、手でその箸をもって、そのお鍋の中のご飯をつまんでいます。
地獄の住人達はそれ一生懸命自分でね、こう食らいつくように。むさぼり食うように、食べようとするわけですよ。
地獄の住人ですから、そこに落ちたということは、今生でそういう生き方をしてきたっていう事ですよね。
むさぼる、奪う。
与える。なんてそんなもんするか!。
みたいな感じの、生き方をしているから地獄に落ちたわけですよね。
でも、箸は与えられる、ご飯も与えられてる。
だけど、すごい痩せこけてボロボロで、卑しい感じのまま。
箸を一生懸命使って、物をつかむんだけど、箸が長すぎるものだから。その箸が異様に長いわけ。何メートルもあるみたいな箸みたいですからね。
それを、一生懸命つかむんだけど口に運べないわけです。手の長さ決まってますから。
どう頑張ったって、そのご飯を食べることができない。
苦しい感じです。
でも、食べたい。
みたいなね。
おどろおどろしいイメージがわきますよね。
もう必死なんです。食べたい、食べたい言ってね。
だからみんな、食べられないわけです。折角目の前に素晴らしいご飯があっても、すごくそういう酷い状態。が地獄の人に与えられた状態。
じゃあ、天国の住人の方たちはどうだったかといえば。
状態は同じなのね。お鍋とお箸は同じ。長い同じ箸をもって、同じ鍋をつつくわけです。
じゃあ、どうやって食べているんだろう。なんか豊かそうだなと。
見ると、お箸をつまんで、お箸でご飯をつまみました。そしたらそれを、お向かいにいる人の口に運んであげてるんです。
「はい、どうぞ。これあなた好きだったでしょう。鳥のなんとかですよ。お野菜ですよ。」とかね
口に運んでもらった人(天国の住人)は「あー美味しいですね、ありがとう。」と言って食べてます。
次に、その口に運んだもらった人は、「じゃあ今度は、私が。」と言って、そのながーいお箸をお鍋の中に入れて、美味しいご飯をつまんで、今度与えてくれた人の所に。
長い3メートルぐらい先にいる人達のお口に運んであげるわけです。「あ、何が好きですか?このにんじん?」とか言ってね。
「にんじんが好きなの。じゃあ、にんじんをお口に運んであげますね。はい、どうぞ。」
「ありがとう。」ってやっているわけです。
なんですかね、この感じ。
これを人間界でも例えることができますよ、というお話でもありますね。
地獄の住人達は与えるということを、一切しないという。
与えるということをしないから、地獄に落ちたということでもありますし。
天国の住人達は、生きているうちに、与え合うという事をやっていたから、死の世界にいっても、同じように普通に。お箸は、あなたに、人に与えるものでしょ。使うものでしょ。っていう感じで生きて、何も疑問もなく生きているという世界。
要するに、これを現実界でお話をすると与え合う世界で生きている。
与えるということが当たり前で生きている人達というのは、幸せで豊かで、穏やかになれますよ。っという教えです。
逆にこの現実界でも、我良しで自分だけに一生懸命、誰かにあげるなんて、は?みたいな感じでね。自分だけ良しとして、食べようとしても、それ食べている事になりませんよ。
どんどんあなたの心が、貧しくなるだけの話です。だから、どっちがいいんですか?
一応選択肢は与えられているわけです。地獄の住人になりたいのか、天国の住人になりたいのか。自由なんですよね。
うーん、おもしろくないですか、このお話。
長いお箸、3メートルくらいあるお箸のね、すごいでかいお鍋を囲んでるわけですよ。つまんで、はいどーぞってお向かい、鍋の向こうは遠いわけなんですよ。3メートルくらい先なんでしょ、きっとね。
そこの人に、はいどーぞってあげて。というお話ですね。じゃあ私これ食べたいなと思ったら、誰かがそれをつまんでお口に入れてくれるわけです。
そしたら、ああ、与えてもらったわ。で今度は違う人に与える。
恩送りというお話もあるし、恩返しというお話もありますけども。
きっと天国でのお話では、恩送りも恩返しもない。もうそこには恩しかないよ、みたいな。恩を与えるということしか、与える事で回っている世界ということですね。
だから、この先の8月でもうブッチンと切れちゃうと思いますけれども。
扉は完全に閉まると思いますけれども。二極化のどっちかに行くかというお話です。
与え合うそういう穏やかな世界にいく人は、いわゆる神の世界という風に言われてる所。与え合う世界です。
獣の世界というのは、地獄の様な世界で。目の前に食べ物があったり、一見豊かそうに見えても、俺俺、我良しで生きている。与えるなんてことはするもんか。みたいな感じで生きていても、幸せにはなれないよというお話ですね。
そういう二極化が来るよ、っていう事です。なんかふとね、そういうイメージでお話をしてみるとなんとなくわかりやすいかなと思います。
お腹いっぱいになりたかったら誰かに、お箸で誰かのお口の中に、お鍋のご飯をあげないと、自分はお腹いっぱいになれないよという事です。
キリストさんも言ってますよね。まずは与えよっていうお話があります。どの宗教、その3大宗教の話です。新興宗教の方たちも言っているかもしれません。私あんまり、そこまで詳しく知らないですけども。でもたいがい、創始者の人達はそういう風に言ってるんじゃないかなと思います。
まずは与える。
欲しければまずは与えよ。
ってね。言いますよね。それはそういうことです、イメージで言うとね。
神の世界というのはそういう感じ。
だから、二極化どっち行くのか、もうゴールはもうギリギリの所に来ているという感じです。どっち行くのかは、自分の選択次第ということですね。
そんな感じで、満月っていうお話に一番最初にしてましたけれども。若いころね、満月は、満月の日というのは、真ん中で生きようと頑張っているわけですけども。
当時ね、最初のころはやっぱり浮き沈みそれだけ激しく生きてきた人間ですから。急にね、凪で生きられるということはないわけですよ。
ちょっとしたことで、自分の嫌な目みた、人になにかされた、ドーンおちた。なんかちょっと良いこと起きたら、イエーイってやってみたりね。
そんな、なんていうんだろうね。精神性の低い感じの生き方をしていたわけですよね。
でも、努力をし始めました。
ただ、満月。特に満月になるとですね、やっぱり感情が高ぶりやすい。
新月もそうなんですけども、特に満月の方が出やすい、というのがあって。
私は満月の日は、テストの日だと思っていたんですよ。
その半月、もしくは1か月、自分がどれだけ努力をしたかの結果を、満月の一日の自分を見ていると、すごくテストの結果がわかるんですね。
この1か月、自分はどれだけ努力してきただろうか。という事の結果が満月の日に現れるんですよ。もう面白い事に。
ちょっと、まあ、面倒くさいからいいや、とか適当にこう今までみたいな生き方。過去に生きるような生き方ね。その浮き沈みが激しいとか、自分を見ないとか。適当に生きるとか。だらしなく生きるとか。そういう事をしてしまうと、ちょっとでも氣を緩むと、緩ませてしまうと、その時の一番近い満月の日にドッカンするんですよ。何かが起きるんです。
うわー!!。それで反省するわけです。振り返るわけです。
今週、今月、過去の1ヶ月ね。どんな1ヶ月だったよ自分?、っていって。で、よくよく考えてみると、「あーですよね。はい、ごめんなさい。」って一人でやっているわけです。私の場合誰か怒ってくれるわけではないんですけれども。(怒られるとしたら見えない霊的神的存在。。)
その満月の日に何が起こるかというのを、よくよく観察していると、それまでの1ヶ月の間自分がどれほどの努力をしてきたか。っていう結果、テストの日っていうふうにね。合格結果が出るという日だったんです。
毎月そうやって、やっていましたね。
で、本当に穏やかに、氣を付けて。
1ヶ月氣を付けるって、本当に集中していないと結構大変で。
だけど、本氣で変わりたいんだったら、そのくらいのことをしなくちゃいけないので。本氣でしたよね、当時はね。
まあ、今も本氣ですけども。
本当に努力してるなって、毎日毎日を本当に大切に丁寧に生きてるなって思った、その満月の日はいい事が起きるんですよね。わかりやすいなと思うんですよ。いいこと、いつも穏やかないいことです。それが満月だから、少し増長しているわけなんですよね。なんか、心温まる、ハートがあったかくなるような、いいことが起きるんです。
宝くじが当たった、イエーイとか、そういう物質世界の話ではないんですよね。心の状態の事です。
で、まあさぼった1ヶ月は。1ヶ月後の満月というのは、だいたい泣いて過ごすっていうのが試験に落ちたわけですよね。自分がやってきた試験ですけど。
宇宙さんから、宇宙とか地球とか月。そういった宇宙の流れ、自然の流れからの評価が満月なんですよ。そういうふうに、満月新月を利用して。とくに満月、感情面に対しては満月を利用して、自分を高めていく材料に。戦ってきたというのはあります。
なんか、孤独じゃないですか、これ?(笑)
今これふと、思ったんですけど。 まあ、当時ね私はきっと、赤い人なので。これはマヤ歴の話です。あの、いわゆる開拓者なんですよね。だから、棘の道をまず、こうワーと切ってね。開拓していって、後ろから続いてくる赤、白、青、黄色と続くわけですけれども。起承転結ですね。
だから、若い頃からしょうがないですね。エネルギーも強いし、誕生日も117だし。誰かと群れるという数字ではないですね。孤島、、孤独ではないです。孤高で言葉あってますか?たまに日本語間違えます、漢字間違えます。あの、ごめんなさい。(笑)教えてください、間違っていたらね。勉強します。笑
私もね。そういう感じで、そういう生き方、生まれ持った星の流れどうりですから。それが、楽なんです。誰かと同じで、イエーイというのはあまり好きじゃないですよね。
ただ、人はついてくる。で、いつの時代もそうです、考えてみたら。
幼稚園の頃から、なんか誰かついてくるんですよね。幼稚園の頃って、そのみんなが幼稚園児だから。でも、自分の中では自分は宇宙人だと思っているから。なんだこの人間の子供達は、なんでこんなくっついてくるのかな、と思ったりしたこともあります。男の子も女の子も来るわけで。男の子はだいたいね、幼稚園児ですから。スカートめくりとかね。好きな女の子にこう、ちょっかいだすじゃないですか。そういう感じですよね。もう、うるさい、みたいな。そんなのばっかりですね、考えてみたら。
何かがあるんでしょうね、きっとね。人間じゃないのかな私。たまにいますね、私の事本氣で宇宙人だと思って疑っている人が。本氣で大人がそんな疑いますかっていう感じで、疑われたりします。自分も、地球人とは性格が合わないなって10代の頃本当に思っていました。
たぶん、そうなんだとは思います。どっかでね、1回臨死体験した時に、たぶんウォークインされている可能性はありますね。人が変わった可能性はあります。よくそういうことは、あると言われていますよ。肉体は人間ですけど、だから切れば血も出るし。人間の形をしているんだけれども、魂がもう人間界の人間じゃないよっていうのは。そういう人は沢山いますよ、実際に。そういうのは、私仲間だと思っていますけども。同じ星の仲間っていう人は見ればわかりますね。
だからといって、そういう人達だけでつるむというのは違うんですよ。同じ星の仲間、私達は金星から来てると思っていますけども。あの金星人がつるんじゃだめなんですよ。金星人はポンポンポンって、どっかに一人配置されているんです。で、そこで、教えをなんか色々やらなきゃいけないから、色々な人が集ってくるはずです。
だから、全員つるんでる人達が、全員金星人ではないんですよ。一個ポンって星に落とされるわけです。星にね、地球に落とされて。どこかの土地に日本だったり、海外だったり、どこでもいいんですけども。
どこかに一人でポンって派遣されるはずです。
そこへ、与えられた場所で花を咲かせるかのようにね。ミッションです、ミッション。
金星人のミッションをコンプリートしないといけない。
光の柱を立てる。
私は中富良野町に降りて光の柱を立てる、というミッションを国常立尊様からいただいていますので。やっています。
表には出す必要はないんです。こうやってラジオだからね、言ってるけども。そうやって大っぴらに、私はそんな事をやっていますと言う必要はないんです。
草の根運動で良いんです。 変な宗教じゃないですよ。(笑)あの、いわゆる何かを勧誘して、なんとかしようとしているわけじゃないですかららね。もう、そういう現実レベルの話じゃあないんです。まいっか、そんなのね。(笑)
要するに、明日はいわゆる満月のテストの日ということで。そんなふうに利用していたよ、っていう感じです。であとは、どういうふうに努力してきたかっていうのもね。孤独な努力の仕方ですけども。 私は変化の星の元に生まれているので。すごいいろんな場所を渡り歩きます。人間関係であったり、グループであったり、学校であったり。そこには周波数レベルというのがあります。職業も色々経験してます。嫌だから辞めた事は1度もないです。
そこで、全てを経験し、そこの会社がもっている理念だとか、そういったものを身に着けて。もう新しく学ぶ事はないなと思った時、次の職場に移るんです。そういうことをやっています。
職場といっても、正社員だと迷惑がかかると思うので、やっぱりアルバイトさんで入るわけなんですけども。パートさんとかね。でも、正社員に負けないくらい責任感をもって、仕事に取り組むという事はずっとやってきました。
それがまあ、働かせてもらう礼儀かなと思っていたので。
そういう氣持ちです。やっぱそういう先輩方に育ててもらっています。
「おまえな、看板背負ってるんだ。」っていわれてね。
バイトか社員なんて、お客様はわからないんだから。そういうバイトだからっていう甘えは通用しないんだぞっていう風に。すごく厳しい所を選んでね、なんか選んでいってしまうので。
本当若いころは、そうやっていろんな方々に育ててもらってますね。
社会というものは、社会にいかなきゃ勉強できませんので。
学校卒業しただけでは、卒業できないです。だから、色々な所に行くから、色々な大人をやっぱり見てきてて。
タラタラ生きてる人間もいれば、すごく真面目に努力に生きている人もいるし。苦しんでいる大人もいたし。すごく輝いでいる大人もいたし。
そんな中でね、色々な人を見る中で、自分はこういう風になりたいなとというのは思うわけですよね。何かを学ぶために私は働いてきたわけですから。
そういう風に生きてきました。 で、新しい海に飛び込むということをよくやるんです。
慣れた場所には行かないようにするんです。
例えば、飲食業をやっていました。例えばそこが居酒屋でしたと。飲食業の話でいうとね。そこでは大して接客が適当でした、という所があったとします。接客を学びたいなと思ったら色々な職業を見て。接客が学べそうな自分にはない、身についていないものがありそうな職場を選んで、そこへ働かせてもらいに行くということをしていきます。
だから、入った時はペーペーなわけです、当然ね。そこで、ペーペーのまんま適当に生きていると、ずっとぺーぺーなんですよ。
向上心がなければ、そこで学ぶ事ができないわけですよね。
だから、こう色々観察をして。どういう事を学んで身につければ、自分はもっとここを卒業できるだろうか。一つの学校ととらえた感じです。
新しい所に入ったら、みんなできる人達ばっかりだから。自分はこうね、出来ない人になっているわけです。
それをまずは、みんなと同じレベルまで行こうっていって、勉強するわけですよね。実践していくわけです。
ある時、身についたなと、なんかもう新しく学ぶ事がもしかしたらないかもな。新しいこういう事が学びたいなと思った頃に、次が見えてくるんでねすね、だいたいね。
次の職場です。誘われたりだとか、そういうことはもちろんあるし。それで、行ってみる。とにかくやったことのない事、自分に身についてないことに関して動いていくっていう、変化の仕方をしてきています。
小学校の時に、例えばその波動レベルの話ですけども。学歴とかね、職歴レベルとか、自分のレベルの話です。観察、人間関係をね、人間観察がやっぱりすごい好きだから。見てるわけですよね。小学校の時、すごいやんちゃで、強ぶって、偉ぶって、威張っていた男の子がいました。すごく弱いいじめをしたり、すごく嫌な奴なんですよ。でも、いい氣になっているわけです。えらそうにね。
それで、そのまんま中学校に上がりました。相変わらずそいつは、なんか威張っているだけの人間なのかと思いきや。中学校に入ると、色々な小学校から入ってくるわけですよ。
そうすると、自分今まで威張っていたレベルじゃない、もっと強い威張りんぼうが入ってくるわけです。そうすると、彼はすごく目立たない人になってしまった。そういう感じですね。
例えば、何々小学校の。これも波動レベルの話でも同じだと思います。自分が生きてきた周波数、何とかレベルの中ではトップだったけれども、違う所に行ったら、めちゃくちゃできない人になる可能性もあるわけです。私はあえてそういう所を選んで、自分を高めるために、向上心をもってあえて、自分がゼロになる場所の所に入っていくわけですけども。
そこで向上心をもってやれるかやれないかっていうのは、人それぞれの努力次第かなとは思いますね。
学校でも同じじゃないですか。例えばどこかの、私大学行ってないからわからないんですけれでも。大学にもね、レベルがあるじゃないですか。自分の学力レベルだったら、何とか大学を受けることができますよと。東大って一番頭良いんでしょ?たぶん。(笑)東大に行けるレベル、学力レベルがないのに、たまたまなんかのきっかけで入れたよって。入れました、そしたらそこの、入る前はすごく優秀だったのに。そこ行っちゃったら、すごい出来損ないになるじゃないですか。自分そう感じるわけですよね。
だけど、せっかくここに入ったんだったらといって、努力をするのか。あきらめて、自分の学力レベルに合った学校に入るのか。という選択をきっとすると思うんですけども。
これは自分の波動の状態とか、職業のレベルとかも同じだと思います。ある一定の場所で自分の波動レベル、学歴レベルでいれば、そこで入っていれば、そこでは輝けたけれども。自分より高い所にいってしまうと、自分は低くなるわけですよね。
それは、自分の生きる場所として、どこなのかというのも考えてもいいと思うし。
向上心がある人はどんどん、知らない所へ入っていくといいと思います。
知らない所へ入って、自分が変わるということは、ものすごいエネルギーを使うんですよ。
もう半端ないです。
変わることより、現状維持した事の方が、めちゃくちゃ楽ちんですから。
だいたいそういう生き方を選択してしまう人が多い中で、どれほど向上心をもってね。変化に対応していくか。
変化にエネルギーをつぎ込んで、自分を高めていくか。ということは、日々、今もね、私も心に置きながら生活をしています。
そんな感じで、明日の満月。もう少しで30分になって切れますね、これね。
明日の満月、皆さんにとっての試験結果。どうでしょうか。
そんな感じで、明日の1日満月を過ごして、自分を観察してみるっていう1日もいいと思います。
まだ1日あります。
テスト前のお勉強してみましょうか。
それでは、今日も良い一日を。