この世は借り物世界
2020年5月12日
おはようございます。5月12日火曜日、今日もradio sufi始めます。
昨日はちょっとお休みをしていました。3月から通っていた介護の学校、介護職員初任者研修の学校も、緊急事態宣言で5月末までお休みになっていますので、また月曜、木曜日が時間ができました。まぁ、やることはたくさんあるんですけども、昨日はちょっとお休みということで色々やってきたんですよね。
次なるステップに向けて、変化の予兆を受け取ると、動かずにはいられない自分でありますので。波が来てから、
変化の波が来てから乗っかるのはしんどいんですけど、
来る前から準備をして波乗りの準備をしておくと、後が楽
なので、なるべく早く動くようにしているんですね。
そんなのはいいんですけども、ipod、Appleのポッドキャスト配信ありますよね。あれにもこのラジオが配信されてるので、検索で“radio sufi”って入れてもらえると、同じAnchorの同じマーク、いろんなポッドキャストが聞けるんですよね。Googleポッドキャストとか、Spotifyとかそういったのも聞けるみたいなので、それと同じマークで出てくるかなと。“radio sufi”なんか赤と青とか、フニョフニョフニョンってなってる赤いマークの中にradio sufiって書いてあるやつ。あれがAppleのポッドキャストでも聞けるようになってました。
Appleのポッドキャスト以外のやつはわからないですけど、ダウンロードしてスマホとかパソコンに入れておけるので、例えばインターネット環境がなくても聞けるという利点はあるのかなぁと思います。私は、いつもAnchorっていうアプリでやってるんですけど、自分で録音するのはいいけど録ったやつを、パソコンの方には乗っかっているんですけど、やっぱりインターネットが環境ないとハードには記録されてないので、ポッドキャスト、Appleのポッドキャストが楽チンですね。
スマホでもAppleのポッドキャストのアプリを入れておけば、聞きたいなと思った時に、ダウンロードしておけば後でも聞ける利点があるのかなと思います。もしよかったら、そういうふうに利用してみてください。というのも、結構自分で自分のラジオを聞くことがあるんですよね。
台本なしで喋ってるので、
降りてきた言葉そのまま口にしてるから、何を喋ったかあとで記憶がないんです。
あんまりね。
喋ってる時、自分はいるんですけども、誰かに喋らされてる感じがあるので、収録が終わってから自分で聞いて「こんなこと言ってたんだ。ふーん。へぇ。」なんて言ってることが結構あります。
なので車で、田舎ですからどこか買い物へ行くって、うちは町ですけども市に買い物へ行く時、1時間ぐらいかかるんですけども。たまに自分のラジオ聞きながら移動したりとかしてて、「ほうほう、面白いな」とか思いながら。喋ってる時にあまり自分で記憶がないので。
ただ、「あ、これを喋ろうかな」って、要するにネタですよね。これを喋ろうかなと思うネタを、パッと思いついたやつをその辺のメモに書く癖があって、これ昔から、ブログをもう10何年やってます、最近ちょっとブログの方はおサボリ気味ですけども。いつもそうやって、メモをベベってするんですけど、悪い癖で空いているスペースの紙に書いちゃうんですよ。
咄嗟にくるやつだから、今書かないとすぐ忘れちゃうじゃない。だから目の前にある封筒があったら、封筒にベベって書いちゃったりとか。大事なことを書いてあるメモの隙間にベベって書いちゃったりとかして。私の机の周りにはあちこちに、いわゆるメモ帳というものだったりノートだったりするものが、何個か置いてあって。
頭で浮かんだものを、即書くんです。この頭で浮かんだものっていうのは
右脳キャッチモードになってる時のひらめき。
要するに宇宙からの導きだったりそういったもののことの方が多いので、すぐ書き写さないと、すぐ忘れちゃうじゃないですか。
人間の頭ってすぐ左脳に切り替わって、自分の目の前のやるべきこととかに追われちゃって、「さっきいいこと思いついたんだけど、なんだったっけなぁ」って。しまいには思いついたことすら覚えてないっていう状態になっちゃうので、すぐ書くんですね。なるべくネタ帳みたいな感じで、ひとつにまとめたいんですけども、いつもネタ帳ポケットに入れておくわけにはいかないですよね。
鉛筆を持ってることは多いですよ。大工仕事してても、長さ測って線書くのに鉛筆は絶対に必要ですから、いつでも鉛筆で何かを書いていることは多いですけども。ひらめいて書いたことも長くは書けないんです。忙しい中でビッと書くから、単語一個とかなんですよね。例えば今ここにあるノートを見ると、物、○って囲んであって、執着、それしか書いてないですね。
これについてなんの話だったっけなっていうのを、思いながらマイクの前に向かうんだけども、なんだったっけかなぁみたいな、
左脳で考えると思い浮かばない。
そんな時はいつものように右脳に切り替える、そうすると「あぁ」口を開けると喋ってくれるっていう便利な。便利ですね、私の口。
いい加減じゃなくて、良い加減っていう言葉もありますけど、良い加減で喋れたらいいのかなと思っております。物、執着これを右脳の方に聞いてみると、おそらくどんなことが言いたかったかというと、
きっと、
大事なものほど手放してみた方がいいよ、
要するにそれは執着だから。
心の中にある物に対する欲、欲求。いわゆる小さい欲の小欲の方です。仏教でいう大欲ではなくて、小欲の方。その欲をなくすと心がどんどん身軽になっていって、手放した分、無条件の愛のエネルギーが自分の中に入っていって、ちっぽけな自分がどんどん大きくなるよっていう、自分を小さくさせているのは欲だったりします。
手放さない欲、自分を限定してしまっているということ。自分は何かに執着してるかな、これは捨てたくないなぁとか、手放したくないなぁと思っている物ほど手放してみると、すごい大きな自分に氣付けるようになります。
手放せないっていうことはやっぱり自分の中で掴んでいる物、それが実は自分を小さくさせてしまっているのに、無限の自分、可能性があるのにそれを小さくしてしまっているのは自分なのに、氣付けてないっていうところもありますね。
それで、本当に大事な物だったら、それ手放してもまた返ってくるんです。形を変えて、人を伝って、同じものかどうかはわかりませんけれども、3次元の物ですから、死んだら持っていけない物なんですよ。
お金にしても物にしても、土地にしても、何にしても、肉体すら死んだら持って帰れないです。すべて置いて帰らないといけないから、
要するに全部借り物ってことですよね。
生きてるうちに目に見えてる世界、身体全てが。借り物はやっぱり大事にしなきゃいけないですよね。だから大切に扱うこと、自分をいじめたりしないっていうこと。物に対しても、いろんな物に対しても大切に丁寧に扱うってことは借り物に対しての礼儀なのかなって私は思うんですよね。
だって、
いつかこれを脱いで、
この借り物の世界から無限の愛の調和の世界へ帰るわけです。
まぁ、要するに死ぬということです。ということは、どんなふうに生きたらいいのかな日々っていうふうに、何かヒントになるのかなぁと思うんですよね。
そんな話をしたかったかどうかはわかりませんが、メモ帳には○物、執着って書いてありました。
よくやります私も、「あぁこれは自分の欲で、所有欲で持っている物なのかなぁ、それとも必要だから持っている物なのかなぁ」って。例えば、必要だと思っていて自分が持っていた物だとしても、自分自身は変化していくから、いつかそれが必要じゃなくなる時もくるんですよね。
それを過去に縛られたまま持ち続けるっていうことは、自分が過去に生きているっていうことにもなりますので、
自分が変化したのであれば、古い物は手放していく。
古い考え方、価値観、そういったものも手放していく。
ということが、とても自分自身の役に立つと思います。そうすると、どんどん身軽になっていきます。
昨日、Facebookで回ってきた動画で面白いものがありましたね。バシャールの最新情報みたいな感じでアップしてくれている方がいて。外国の方なのかな、日本語喋ってましたけども、このコロナ時期をどうやって、どういうふうに過ごすのかっていう話をアップしてくれてたわけですけども、私がいつも言っていることと同じでした。
なんで同じなのかって言うと、同じ周波数帯域で生きていれば、バシャールだけがすごいわけじゃなくて、私以外にもたくさんそういう同じ周波数帯域で生きてる人いますので、いろんな人が同じようなこと言ってると思います。
自分の中に思う思考だったり、アイデアだったり工夫だったり、いろんなことを表現しますけども、どれも自分のものなんてひとつもないんですよ。
「俺が考えたんだぜ」っていうものはひとつもないです。
考えたと思っているだけで、要するにどこと響き合ってるか、どんな周波数帯域で響き合っているかというだけです。
例えば10人いて、同じ周波数帯域にみんながそこと響き合っていたら、大体10人同じこと考えたり思いついたり、ひらめいたりするんです。でも、周波数はいろんな種類があるから10人いたら。。10人じゃ少ないけど、例えば10通りの周波数帯域にそれぞれが響き合っているとしたら、全員が違うことを思ったり感じたりするんです。
それで、これだけたくさん人間がいるから、10人一緒っていうのはあまりないですよね。世界中にもう何億、もっと?人間いるわけですから。
だから自分のアイデアだと思いがちなんだけども、大きな視点で地球を上から見たら、「あ、この人とこの人とこの人は同じこと考えて、周波数帯域響き合ってるもんね」っていう感じで、不思議でもなんでもない話。だからバシャールという周波数帯域に響き合ってる人は、ダリルアンカさんだけではなくて、地球上にたくさんいると思います。
今だったら、たくさんいると思いますね。同じようなことみんな言ってるはずです。どういうことかというと、いつも言っているように、
身軽になりましょう、
重かったら地球に振り落とされちゃうよっていうような話
でもあるんです。
でもそれもその人の選択だから、地球から振り落とすといっても、二極化していくっていう話があるわけで。神的人間と、野獣、獣的人間にかなり大きく離れていく、もう最終段階じゃないですかと。3月20日宇宙元年が始まってから、ガツガツ来てますよね。
大体、夏あたりで完全に扉が閉まるっていう話もありますし、もう本当に本当に狭いトンネルみたいな道に入っているっていう。バシャールの方は針の穴を通る様なぐらい細い道だと言っています。今この状況でめっちゃ楽しいって言ってる人もいれば、なんかすごい辛いんですけどみたいな、そういう人もいますよね。
どっちを選ぶかっていうのはその人次第だし、魂の青写真で決めたことだし、いいも悪いもないけれども、もし辛くてその明るい道が見えたのであれば、最後の最後で扉の向こう側へ、私の側です、こちら側にポーンと。
思い切っていろんなものを手放したり、バシャールにしては許すと言ってました、いろんな人を。もう、怒ってる人もいないんであれば、別に許す必要はないでしょうけど、
何かについて恨んだり、怒ったりしてる人がもしいれば、
それを許すっていうことと、
日々を本当に楽しく生きる、選択をワクワクで生きる
っていうのはやっぱり、すごく大事なことです。
「えー、だってでも、そんなことやったらさ、こうなっちゃうじゃん、こうするべきじゃん」っていう自分を止めるのは左脳の仕業です。
左脳の言うことを聞いてたら、
二極化の楽チンで生きる方にはなかなかいけないです。
いい悪いじゃないけど、楽しいか辛いかっていったら、楽しい方がいいじゃないですか、私はそう思うので。きっとこのラジオ聞いてくれている人、楽しいことを選択したいと思っている人だと思うんです。もう、辛いことを選択している人たちには会うことはなくなっていくと思います。
本当に周波数帯域が離れていってしまうので、「あぁ、そういえばそういう人もいたよな」って時々思い出すかもしれないけれども、なんかもうスピードがガンガンガンガン上がっているので、ここでしっかりと、その良い方の楽しい、軽い方の地球にヒョイっと乗っかっていないと。宇宙船地球号に、乗ってないと違う地球に行っちゃうんじゃないかなっていう感じがします。
新しい地球が出来上がる
そのぐらいの勢いの変化が起きてるんじゃないかなって思うんですよね。自分たちの目の前の環境とか現実の話も、全然変わってくるわけですよね。
例えば、同じコロナの中でも、「そういうこともあるからこそ、人間が成長できるよね」とかそういうふうに思えてる人もいれば、「なんでこんなこと起きるんだこのやろう」みたいなね。
私たちだってあれです。飲食業ですから、観光業にいるわけですよ。すごく大打撃を受けている飲食業の真っ只中というか、メインですから。もちろんお客様も止まっているし、夜の営業もしてませんので、お酒の提供もないし、どうやって生きていくのっていう問題はあるんですけども、まったくネガティブには考えていないです。
次にどうしようかなとか、本当にいろんな方々とか自治体とか、町とか、そういったところに助けていただいていて、感謝しかないです、こんな中でも。だから、じゃあその感謝、助けていただいたり、よくしてもらっていることに対して、今度は自分たちは何がお返しが出来るかなぁっていう感じで、前しか向いてないんですよね。
だからふとニュースとか見てると、「あぁ、こんなことになってるんだ、うわぁ」と思うけど、そんなことは目の前にひとつも起きてなくて、それが周波数の違いなんですね。
その人が楽しく前向きにワクワクといい選択をしていくと、本当にそういう世界が広がっている。だけどそうじゃない、ネガティブに考えている人、怒り恨み辛み、そういったもので生きてる人は、きっと嫌な目にあってると思います。
同じ現実下の中で、現実の中でなんでこんなに違うのか。
それが、響き合ってる周波数帯域が全然違うよっていうところです。そして、これがどんどん離れていく、重たいのか軽いのかってところになっていっちゃうよって話なんですけども。
わかりにくいなっていう人は例えば、テレビをイメージしてみてください。映る現実っていうのは、フジテレビなのか、TBSなのか、またはローカルテレビなのかみたいなところです。みんな同じテレビを持っていますよ、テレビはチャンネルごとに買い換えないでしょ、ひとつのテレビだよね。
それを人間だと思ってください。
チャンネルを変えると画面に映るものがお笑いだったり、ニュースだったりする。TBSだったりフジテレビだったり、それ周波数が違うんでしょ。チャンネルを変えると、響き合う周波数、アンテナで引っ張ってくる電波が違うから表現されるものが違うわけ、テレビに映るものがね。
それとまったく人間も一緒。
チャンネルごとにテレビを買い換えないように、
周波数を変えるだけで、人間を変える必要はないんです。
このままでいいのです。
勝手に表現されるから変わっちゃうけれども、生まれ変わる必要はないですね。このまま、生きた状態でテレビのようにチャンネルを変えれば、楽しい癒しの番組になることも出来るし、おどろおどろしいホラー映画みたいなのを見ることできるし。今起きてる、現実で起きてるといわれているニュースばっかり、ちょっと煽るような、恐怖心を煽るようなニュースを表現すること、映し出すこともできるということです。
自分の中で選択があるというわけです。
じゃあ、どの番組を映していたいかな自分は。というところで、いつもうるさく言っているけれども、
もし、こういう楽しい番組、要するに自分の生き方のチャンネルをそういう番組にしたいなって、癒しの番組にしたいなとか、新しい軽い世界の番組にしたいなって思った時、執着とか、怒り・不安・恐怖で生きるのではなくて、愛・調和・癒しと響き合って感謝という氣持ちと、謙虚さとかそういったものを大切に日々、目の前のことにひとつひとつ取り組んでいくっていうことをしていくとチャンネルが合います。
テレビは、ピッピッピってボタン押せば、簡単にチャンネル変えられますけど、
人間の場合のボタンは、心のことを一生懸命勉強しないといけない
ので、なかなか一瞬で変わることは出来ないけれども。ずっと、準備をしてきた人はもう切り替わっちゃってると思うんですけども、まだボタンを押しきれてないって人は、もう少し頑張って。夏までですかね。
完全にもう出逢うこともないと言われているのが夏までですから。それが嘘か本当かは、どっちでもいいじゃないですかって私は思うんですよ。ただ、そういう楽しい生き方を選択したっていう、その経過があるじゃないですかね。
例えば何ヶ月間そういう風に努力したよっていうことは、必ずその人の身になるはずなので、無駄なことは絶対ないと思うんです。切り替わる変わらない、その結果が大事なんじゃなくて、その過程がすごく大事だと思いますので、そういうことを意識しながら生きてみてはいかがなと思うんです。
所有欲、所有っていうものは本当に手放した方がいいと思います、必要な物を持つ。所有欲っていうと、なんか自分のアイデアとかも「俺のモンだぜ」とか、「私のモンだぜ」とか「私が考えたのに」とか、それも所有欲みたいなもんですよね。もうそんなのはくだらないよね。
いろんな周波数と響き合ってる、同じ考え方、同時進行でそれをポッと、みんなのところへひらめきとして起きるんです。
101匹目の猿現象と一緒です。誰かが、猿が芋を洗うようになりましたと。1匹、2匹と増えていく、これスピリチュアルの世界でいうと、そういう愛・調和で生きる人が増えていくと、100匹で満タンになって、101匹目になった時、ほとんどの世界中の猿がやるようになったみたいな、日本中の話でしたけども。
そういう形で世界中がポンっと、意識が切り替わる時が来るかもしれない。それが、8月でドンっと大きく変わるのかなと思います。そういう101匹目の100の役割をする人もいれば、101匹目以上の役目の人もいるとは思います。
もし、自分が100匹目の波動を作り上げる人間だとしたら。たぶんこのラジオを聞いてくれている人たちはその100匹目、100匹の猿のような役目を持ってるんじゃないかなと。みんながいい波動を作り上げる、日常で。大きなことすることないんです。
ただ、日常をそうやって生きるだけでいいんです。
それが、とても大事なことになりますので、そういう役目をみんな持ってるんじゃないのかなと私は思っています。
すべてが共有の世界、シェアの世界。
自分のものなんてひとつもないですよっていう世界になると思います。その時までに、自分が辛くないように、自分の所有欲っていうのがもしあれば手放して、それは物だったり思考だったり、アイデアだったりなんでもです。すべては借り物だということに氣付いて、自分の人生を日々生きて欲しいなと思います。私も努力真っ最中でございます。
それでは、今日も良い一日を。