満月と女性
2020年5月8日
おはようございます。5月8日金曜日、今日もradio sufi始めます。
昨日は満月でしたね。満月はどのように過ごされたでしょうか。満月といえば女性性、月ですからね。月は女性性と言われます。月の様な人とか、しっとりした優しい、ミステリアスなとか、そんな感じですね。太陽の様な人と月の様な人って考えるとイメージが湧くかもしれないですね。
女性の中にも陽が強い人もいれば、陰が強い人もいるので、自分はどっち寄りなのかなっていうのを知って、自分のバランスを、陰陽のバランスを取れるようなものを食べたりだとか、あとはそういう人と一緒になるとか、そういうのもひとつ陰陽で見ていくと面白いかなと思います。
満月と女性の関係といえば、女性が子供を産む、産まれる時、満月が結構多いんです。そういうサイトがあって、過去の日付を検索すると、その日は月はどうだったか、月の満ち欠けどうだったかっていうのを調べるサイトを誰かが作ってくれてて、いつだったか確認したことがあるんですけども。自分が生まれた日は満月になってました。満月の日にポーンと、産まれたんでしょうね。
女性のことでいうと毎月のもの、生理の話とかもしてみましょうかね。高度経済成長期になって女性が社会に進出、仕事を持って外に出ていくことになって、男性と違ってまず何があるかというと、毎月の生理っていうのがあるじゃないですか。
生理によってホルモンバランスが、すごくバランスが崩れたりとか、しやすいわけなんですが、まったくホルモンの影響を受けない期間っていうのが、
1ヶ月の中で、女性は1週間しかないと言われています。
1週間ですよ。ホルモンの関係によって、体調だったり体温だったり、氣分もそうですよね。生理前のそういう氣分のやつあるじゃないですか。ああいうのも全く影響を受けない日、日数が月のうち1週間って少なくないですかね。もうそれほどデリケートな身体なんですよっていうことですよね。
だからこの日本人っていうか、資本主義の社会でいう、女性の社会進出ウェーイっていうノリは私好きじゃないんですよね。だって、男性が作った社会に女性が進出してどうするのって思うのです。
女性が作った社会なら、月や地球のバランスとしっかり合わせて、
いろんな流れを組み込んでいくと思うので、
すごく地球や月、宇宙そういったものとの流れと、
共鳴した生き方が出来るんじゃないかなって思います。
そうは言ってもいまだに男性社会、男性優位社会ですから、だいぶ変わってきたとは言っても、やっぱりどこの現場行っても、そういう何とかの議会とか、私も理事会とか出たり、地域の会合とかしょっちゅう出ますけども、女性はいないんですよね。
一応家主ということで私はそういう会合に出ますけども、女性はいないですね。独り身になられた方もいるわけなんですけども、そこの奥様方は別にその会合に出てくるわけじゃなくて、やっぱり男社会なんですよね。なんか座ってて違和感を感じるような、感じないような。そういう時は中性の方の氣持ちを表に出して少年の様に装って、そういったふうに言われるので、少年の様に座っているんですけど。
女性性の生理のことでいうと、それで社会進出したことによって、やっぱり乗り出すわけですよ、ナプキンですよね。ナプキン、あとタンポンとかを使わないと男性社会では同じように働けないという時代に入っていくわけですよね。だから、たくさん開発されて、たくさん染み込むようにされてとか、何も知らずに私も生理になってからそういうものを使ってきたけども。
まぁ、調子崩して何度も病院に運ばれてるんですよね。
たぶんそういう菌だとかそういったものが、身体の中に染み込んでいったとか、そういうのもあるんだと思うんですけども。学生時代に、冷や汗が穴という穴から全部、毛穴から何から穴という穴から全部吹き出して、トイレから立ち上がれなくなるということを、生理中に何度か経験して、病院に運ばれているんですよ。運ばれるっていうか、救急車じゃなくて、隣にあった病院に運ばれるとかそういう感じなんですけど。
そういうものも今、問題になっているから、知ってる人は知ってるかな、このラジオ聞いている人たちは、きっとそういう意識があると思うから、知ってると思うんですけども。
化学的なところに血液が染み込んでいくことによって、
菌が発生したりだとか。
身体に密着しているわけですから、
その菌が吸収されちゃう、経皮吸収されたりとかね。
それが回りまわって、身体の子宮の中に溜まっていくとか、いろんな弊害があると言われているんですよね。
そういったものを10年以上ぐらい前に知って、じゃあどうしたらいいのとか言って、誰かが書かれていた本を読ませてもらった時に、当時で80代ぐらいのおばあちゃまが書かれたお話だったのかな、ナプキンに血を出すっていう、染み込ませてやるっていうのは、
あれはお漏らしみたいなものだって、
こういう衝撃的な言葉に目が覚めましてね。
「あ、オムツか」
みたいな。
昔、高度経済成長期が始まる前、昔の女性は本当にどうしてたんだろうって、確かに思ってたんですよね。ナプキンがない時代、要するに血液、経血はトイレで出すものだということを13,4年前ぐらいにそれを知って、「えぇぇぇ!」って大衝撃を受けて、それから練習をするんですよね。
膣口を閉じて、血液をプールしておくんです。普段はギュッと閉めておくんです。それで、トイレに行って血液を出す、バーっと出す、その繰り返しをしていく。どんなに多い日でもです。
それをやるようになって、その前に布ナプキンとかも使うんですけども、それをやるお陰で、要するに第1チャクラにめちゃくちゃ力が入って、地球とセンターに繋がるっていう状態で、すごく身体のエネルギーバランスも整うっていう、すごい相乗効果がたくさんあって。
今は一応布ナプキンの布は、そこに置いてあるけど、だけどほぼ汚すことはないですね。トイレで血液は出すっていう状態。別になくても、ナプキンというものが、布もなくてもなんとか生きていけるっていうぐらいにはなっていて、それでもそろそろ終わるんじゃないかなっていう感じで。
もっと早く、学生時代とかにそういうこと教えてくれる人がいたらよかったなぁと思うんですね。
今、子宮の病氣増えたりしてますよね。
そういうものも、
化学的なナプキンのせいだよっていうことは結構前から言われていますね。
それを実践するのは結構大変なんですよ。やっぱり、筋肉が衰えてるわけですから、垂れるわけですよね。筋トレみたいなもんです、そこもやっぱり。ゆくゆくはナプキンなんていらないよって、もう何年もいわゆるナプキンを買ったことはないですね。
その化学的なナプキンを生理中に使うことによって、経皮吸収されたものがオリモノに繋がっていくんですよね。だからオリモノなんとかってあるじゃないですか、オリモノ用のナプキン、
それすらもまた経皮吸収されるわけですから、
悪循環だらけなんですよね。
布ナプキンにすると、汚れたら捨てるわけにはいかないですから、自分で洗うんです。自分の経血を自分で洗うっていうのは、一番最初はすごく抵抗がありましたね。だけど自分の血でしょ、何が汚いのっていう感じで、意識の変換をちゃんと自分の中で起こして、そういうことが出来るようになってくると、自分を労わるようになっていくんですね。
それで、そういう時代を経て、いつかはそれすらも使わんよぐらいになれば、買わなくていいナプキンなんて。っていうぐらいまでいけたらまぁ楽ですよね。
生理期間っていうのもめちゃくちゃ短くなります。結構、生理痛も昔はすごくひどくて大変だったんですけど、
生理痛に関してはレイキを始めた瞬間に治りました。
あれだけ薬を飲んできたのに、レイキを始めるようになって、大自然、大宇宙のエネルギーを取り入れれるようになって、その次の、その次に来た生理から私の生理痛は一切なくなった。
うちのメンバーにもそういう人います。寝込んでたぐらいの人がレイキを習ったら、その次の生理から突然寝込まなくなったっていう。お腹も痛くなくなったっていう、不思議現象といっていいようなことが結構起きてますね。
そういうのがあって、次の段階は布ナプキンにしていってって。必然的に、生理じゃない日のオリモノも減っていきますから、別に何とかライナーとかもいるわけでなく、本当に快適に過ごすことができるし、しかもその膣口を閉めるということによって、第1チャクラがしっかりとグラウンディングが出来るということです。
この見えない世界を感じたり、お勉強したりする人はグラウンディングは絶対大事なので、バランスが悪いから、もう何回も言ってるけども、お花咲かせようと思っても、根っこが張っていなければ、全く持続力がない。お花咲き続けられないですから、やっぱり第1チャクラはめちゃくちゃ大事なので。
第1チャクラっていうのはこの3次元だから、3次元を精一杯生きるということも大事になってくるわけですけども。日常生活、その毎月のもので自分をコントロールしたり、いい意味で修行に活かすとか、そういうことももちろん出来るんだよなっていうのを満月の日に、それをやってないよっていう人がいたらぜひ、トライしてみて欲しいなと思います。
もし、そういうナプキンいらずでも生きていけるよっていう詳しいことが知りたいなぁという方は、メールとかいただければお伝えすることもできます。そんな感じで、昨日満月だったということで、何か新しいことが始まるのかなと思います。
私たちは満月だったから、種まきもやっていました。私あまり畑作業にはタッチしていなくて、チームでいうと解体チーム(ひとり)なんですけど、他の4人は今、畑を一生懸命頑張ってやってくれているので。満月に種まきをしたりとか、月の満ち欠けによって植物、人間にもそういうバランスがあるわけじゃないですか、流れがね。それに沿っているわけです、女性は特に。
だから種もそういうふうに、自分たちが植える種も地球に沿わせてあげるっていうやり方もありますよね。木こりさんとかもちゃんと、新月あたりに伐採をするっていうことをやってますね。
満月の時は身体に水分が溜まってますので、
人間も木も一緒です。だから、そういう時に切っちゃうと、腐りやすい木になっちゃっうので薪に適さなくなってくるとか、そういうのもあるだろうし。
新月の日は浄化ですから、身体から流れ出ている。
水分的には少ないという時に木を切っておいておけば、いい木が、材木にも薪にもいいよっていうことで。昔の人はそうやって月を見て、カレンダーなんていらないんですよね、きっとね。月を見て「あぁ、今日そろそろそんな日だなぁ」って、トントントン、木こりさんが山に入っていくんでしょうね。
面白いですね。
私も若い頃は本当に感情の起伏が激しくて、すごいドッカーンって興奮氣味にハイになって上がったと思った次の瞬間、ドッサーって落ちるんですよね。
バネみたいになってるんです、自分たちの心っていうのも。だからイヤッホーって言って上がると、ドッサーって落ちるんです、次の瞬間です。バネですから、ビョーンって上がった分、ビョーンって下に落ちるっていう、そういう反動みたいなもの持っていて。
本当に、ほとほと自分に疲れ果ててて、もうどうやったら上、下、ドンドンじゃなくて、激しい自分の性格を真ん中で凪の様に生きることができたらどんなに楽だろうかって思って。本当に自分に疲れ果てて、そういうふうに思ったことがありますよね。
その時に、当時はananかなんかを読んだんですけど、月とセックスとかそういう話だったと思うんですけど、そこに感情のことが書いてあったんですよね。満月の時は感情が昂りやすいとか、好きな人と一緒にずっと寄り添っていたくなるとか、なんかそういう氣持ちになりやすいよとか、そういうことが書いてあったと思うんだけども。
セックスについては別にあんまり見てなかったんだけど、私の中で感情についてというのがヒットしたんですね。あ、これかと。それで、日記をつけるようになって、今日はこういろんなことがあって、グワーっと荒れたって思った日を読み返すと、やっぱり満月新月にぶち当たっているっていうのを見つけて、「あ、本当だなぁ」って。
自分を実験、検査、検証して知るわけですね。それで「もうわかった」と。満月新月のあたりは氣を付けようと思うようになったけども、氣を付けるといったって自分ひとりでボッカーンするわけじゃないです。周りも手伝ってくれるわけですから、ボッカーンしやすいわけですよね。
それで、どうしたらいいのかなと思った時に、レイキというものに出逢って。
ボッカーンするっていうのは、いわゆる一般的な周波数、社会の周波数に合っているから、怒りや不安や恐れっていうものと響くのでボッカーンするんです。毎日がつまらん、だけど時々非日常があるよ、楽しいよ、もしくは楽しくないよっていう非日常が来るっていうね。
満月の日にそれがポンポンって来るわけです。
すっごい買い物したくなってみる満月だったりっていうのもあるんですよね。そうじゃなくて、毎日が特別っていう穏やかな特別っていう、上と下に行ってしまったエネルギーを真ん中にギュッと戻せば、真ん中が太く充実したものになるじゃないですか。
それを目指そうって思って、レイキというものに出逢って、その個人的なエネルギー、社会的なエネルギー、ネガティブなエネルギー、恐れ不安とか、そういったもののエネルギーじゃない中に、生きることになったんですよね。どんな中かっていうと、レイキをやり始めると、愛・調和・癒し・謙虚・感謝そういった、調和とかそういうエネルギーの中で、そこと響き合って生きることになるんです。
そうすると、あれほどボッカンボッカン上行ったり、下行ってた自分が、真ん中に生きるようになってきたんですよね。わぁ、自分結構凪っぽくなってきたなぁと。でもその振れ幅というか、凪の充実感っていうのは最初は少ないんですよ。凪だけど、でもなんかつまんない氣がするなぁみたいな。
だって、ボッカンボッカン生きるのって刺激的なんですよ。イヤッホーって言ってみたり、悲劇のヒロインになってみたりね。自分で結構それを、昔は楽しんでたとこがあるかなと思います、ちょっとナルシスト的にね。
だけど疲れるわけだよね。苦笑
それで、レイキを始めて凪になってきて。その凪の振れ幅っていうか、充実感っていうのは何もなかったんです、つまらんなと。あんなに刺激的だった毎日はどこにいったんだろうと。刺激的な中で生きてたから、周りも刺激的なわけで、友達とか、仕事の人間関係とか、そういったのが刺激的だったけど、なんかそういうのなくなってきて、「うーん、なんかいいんだろうか、これで」って多少疑問を当時持った記憶がありますけれども。
でも、あのドッカンドッカンの世界には、自分疲れるからやっぱり戻りたくないなぁと思っていて。
日常を生き切る、精一杯生きる、感謝して生きるとか、それをもうひたすら続ける、
もう小さい一歩を本当に本当に登り続けてくるっていうことを、続けてきたんですよね。
そうするとその凪の部分の充実感が半端なくなってしまって、例えばドッカンドッカンいってた振れ幅まで充実感は行っちゃったんですよね。たとえドッカンというようなことが起きても、それに引っ張られずに、自分の氣持ちがドッカンってならずに、「あぁ、よかったねぇ」みたいな。「うん、嬉しいね」「ありがたいね」「あぁ、そうですか」と。
なんだこの感じはっていう、心の器っていうのも広がったのかなと思いますね。
自分のことを言うからなんか変だけど、客観的に見てもそういう感じなのかなと、思います。環境がどっさり変わったわけじゃないですよね。解体やったり、家建てたり、いろんなことは起きてるわけです。
それによって昔は一喜一憂してたけども、なんか今は「そうですか、じゃあやりましょうか、Go」みたいなぐらいな軽い感じ。だけど一歩はめちゃくちゃ確実な感じで、フラフラもしていないし、っていう生き方に変わったのかなぁと思います。
そんなのも、やっぱり
満月新月っていうのに自分を照らし合わせて生きてみる、
生きてきたっていうことの始まりから来たことなのかなぁって思いますね。
だから大事ですね、新月満月。
この地球という星に生きている以上は、地球ももちろん無視できないけれども、月とか太陽っていうのも無視できない。
ちゃんと取り入れて、いろんなところに取り入れて生きていくと自分自身が生きるのが楽になりますので、お勧めと思っています。満月まだ影響は続いております。なので今日も満月を、ちょっと意識しながら生きてみることをお勧めします。
それでは今日も良い一日を。