正しい思考とは
おはようございます。4月1日水曜日、今日もradio sufi 始めます。
今日から新年度という方も多いのではないでしょうか。ただ、職場に行けないという方々も多いのかなという今の状況なんですけれども。どうでしょうか、みなさんどのように生活が変わっていったんでしょうか。あまり、変わりがないよっていう人も中には、きっと職種によってはいらっしゃるのかなと思います。ま、学生さん、、は聞いてはいないのかなとは思いますけど。フリーランスの方々とかね、いろんなお仕事されていると思いますが。
自分の役割って何だろうなっていうお話を、よくメンバーの間でもするんですが。さやちゃんとね、パンの販売について、こういろいろ考えることがありまして、ちょっとミーティングなんかをしてたんですが。
なんか私は、結構ひとりで仕事してきたことが多いので、何か事業を始めるにあたって、何かを相談するとか、誰かの面倒を見るっていうことは一切なくて、自分ひとりでこう突っ走っていれば何の問題もなく、進んできたことなんですけど。
時折、若い頃に企業に就職したり、どこかのお店で働かせてもらったりとかっていう時に、いち従業員、同じ立場の人たちが増えると、あからさまにこう違いっていうのがよく見えたりしていて。
“与えられたことだけをやっていればいいんじゃない”
みたいな人が結構多いなっていうのを、すごく感じていて。
私は、よくそういう場面になると、どこか組織なり企業なりに入ると、常に「どうやったら良くなるんだろうか」っていうことが、いつも念頭にあるんですよね。
だから例えば、マッサージ業界にもいましたけれども、お客様との施術の間で、「こういう風にしたらいいんじゃないか」とか、そういうのをいつも考えているんですよね。そういうのを社長とかに報告したら、ある時、その社長からこう言われたんですよね。「お前、お前らは、」要するに従業員はっていうことです。
「言われたことだけ、やってりゃいいんだ」
って言われたんですよね。
「えぇっ、それでいいの?」みたいな。なんか、確かに周りを見渡してみれば、そんな風に考えている人たちってあんまりいなくて、決められたことをその通りにやって、定時で上がるなり、そこからちょっとでも出たら残業代がいくらかとかね、そういう方向にすごく執着してて一生懸命になっている。何が楽しいんだろうなって私なんかはすごい思ってしまって。
そういうことが続くと、やっぱり雇われるのは向いてないなと思うわけですよ。「どうやったらうまくいくか、それは俺が考えることだ」みたいなね、言われちゃうわけですから。そういう社員とか、そういう従業員の人たちからの現場の意見を吸い上げてこないと、お店って発展しないんじゃないのかなって思うんですよね。現実にその会社は、やっぱりもうなくなっちゃいましたね。それでいい訳ないんじゃないのかななんて、思っちゃうわけですよね。
よくよく考えてみると日本人って、考えることを良しとしない教育っていうか、学校の勉強にしたってそうですよね。答えが先にあって、それを暗記できたら成績がいいわけです。どの授業もそんな感じだったと思います。全然楽しくない。
考えることを、「先生、これこうなんじゃないんですか」って、それを言うと、「お前はそんなことより、テストに出るこれを暗記しないとダメだ」みたいなね。なんか、何も面白味がないって思うんだけれども。毎日、毎日そうやって学校行って言われて、やってしまえば、
洗脳されたかのようにそれが当たり前になっちゃうから、そのまま社会に出ちゃうんだよね。
そうすると、会社とか社会に出ても同じことしかできない。言われたことだけやればいい。これって、言われなければ何もしないということですからね、すごく使えない人間ですよね。なんかロボットじゃないんだから、人間、脳みそあるじゃないですか。しかもその脳みそって、ほんの少ししか使われてないって言いますよね。
100%使えるうちの、何%しか、まったく使われてないって言われている。その他の脳みそ、眠っているみたいなんですけど、なんかもったいないなぁって思うんですよね。
きっとそれも、前にもお話ししたように、戦後のGHQによって教育も変えられましたから。日本人の素晴らしさを押し潰そうというやり方があったわけです。目的があったわけで、大成功してますよね。今の政治家とか見ててもそうですよ、戦後の人たちが今、ほぼ全員ですから、その教育を全員が受けているわけだから、
自分で自ら考えるっていうことをする人がいかに少ないか
っていうのを、大人、私たちの上の世代、団塊の世代とか見ててもすごくよく思います。
「何が問題なのかなぁ」とか、「いや、問題だらけじゃないですか」って私なんかは思うんです。何で、私がそういう風に思うかっていうと、やっぱり若い頃に大人たちを見ていて、「この大人たちは絶対間違っている」と思ったわけですよ。質問しても「いや、それは考えることじゃなくて、こういうものだから」というような言い方しかしないんです。
先生も親も、周りの大人たちもそんな感じでした。やっぱり多感ですから、「そんなわけないじゃん」って思えるんです、まだね。だから私、高校とかあまり行ってないんです、実はね。前もお話ししたんだけども、「この大人たちの言ってることと逆をやれば、自分自身は絶対活かされるようになる」と思ったんですよね。間違ってなかったなって思います。
自分で考えること、自分で感じることをそれを実践するっていうことを、やっていくことが身についてしまった。まぁ、身についてきたっていうか。。。ただし、レールに乗らないわけですから、そういった答えのないところ。
レールがあるっていうのは、これを覚えていればうまくいくよ、高校を卒業したら、進学をするなりして、もしくは就職をするなりして、安泰を得なさいと。お金をしっかり稼いでいけなければ、うまくいかないよ。
今どうですかね、そんなこと言ってる場合じゃないですよね。そんな時に、「あれ?」目が覚めませんか。「あれ?言われた通りにやってきたのに、なんかおかしくない?」でも、まぁ自分たちの上の人たち、要は政治家とか、間違ってないとかって言うわけですよ。いまだに経済を優先しているような感がありますよね。
もう、「あーあ」って思っちゃうけど、彼らも戦後の教育の人たちですよね。
この間、天皇陛下が代わりましたけれども、みんな時代は戦後の人間たちなわけですよ。だから、眠っているような感覚です。「自分で考えなくていいよ。こうしなさい。アメリカの言う通りにやりなさい」とかね、ずっとこう上から下まで、ずっと来てるわけです。それは、親から子供へっていうのももちろんそうだし、雇い主から従業員とかそういう関係でも、もう全てがそういう形になってしまっている。
でも、脳みそちょっと使わないと、今こうやって変化が起きている地球ですから、適応していかないと、臨機応変っていう言葉ももちろん大事なのですが。
ここ数年、太陽の位置も全然違っているし、春の太陽が冬に出たりしてるし。北海道で言えば、12月とか、雨が降るとか、全くありえないような天候が来てるわけですよね。そういうのをたくさん自然とかは見せてくれています。災害がとても増えていたりだとか、人工地震とかね、そういう話ももちろんあるけれども、そういう状況の変化をよくよく見ていけば、「あ、これはなんか今まで通りじゃいけないよな」っていう危機感を持たないといけないんじゃないのかなと思うんです。
危機感っていうのは、「今まで通り何々すべき」とか、「何々するべきでしょう」とか、
既存の固定概念のまま生きていたら危険ですよ
ってことですよ。「毎日学校行きなさい」、「毎日仕事には行くべきだ」と。でも、急にコロナウイルスが出てきて、仕事には行けなくなるような状況に来てるわけですから、
じゃあ、どうやったら良くなるだろうか
この状況をプラスに転換するためには、どうしたらいいんだろうか
ということを頭を使う、思考する。
思考というのは、そういう時に使うものだと私は思っています。
心配するとか、「こうなったら嫌だな、ブチブチブチブチ」とか考えているその思考は一切無駄なこと。する必要のないことと覚えておいていいと思います。
どうやったら良くなるだろうか、この状況が。このマイナスに見える状況は、どのようにしていけば、考えていけばプラスに転換することができるだろうか。もうちょっと進めば、プラスに転換して、氣づきを得て、学び、成長に繋げられるだろうかっていう風に考えること、それが必要な思考になります。
あとはいりませんっていうぐらい、思考のほとんどが無駄なものっていうのが、人間たちが、人間の脳でやっていることと言われています。
「どうやったら、この状況は良くなるんだろうか」そういうことを常にいろんな場面で見ていくと、成長も学びも早いし、進化も早いし、変化にも適応できていくし、という風になります。脳みそはそんな風に使いましょう。
4月1日心機一転、せっかくなので眠っている脳をコンコンコンっと起こして、「どうやったら良くなるだろうか?」、「マイナスと見える現実をプラスに転換するには、どういう考え方が必要で、どのようにそれを実践、行動に繋げていけばいいだろうか」っていう風に目の前にあることひとつ、小さなことでもいいから、続けてみて欲しいなと思います。
それでは、今日も良い一日を。
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