サービスデザインと共創の時代へ ーー社名変更フローから少し見えたANY COLOR株式会社とにじさんじ🌈の思想的背景
いちから株式会社の改名に際して、多くのライバーさんがその名前に強い愛着を持っていらしゃったことが印象に残っている。ライバー自ら社長にかけあった例があるとなると、なかなかパワフルな集団だな…と感じる。
ところで、この社名変更に関わる文章を読んでいて、気になるところがあった。「共創」や「Inside-out」という言葉は、デザイン思考の中で言う「サービスデザイン」という分野の本で名前を聞いたことがあったのだ。
そこで、今回の記事では、実際にワークショップで交流のあるパートナー企業の様子なども踏まえて、「共創」という言葉をデザインや経営学の基準で見て見ようと思う。
マスクドいちからは、改名と共に役割を終えてしまったかもしれない
MIMIGURIの思想 ーー心から信じられる「問い」と「遊び」を続けること
「人は事象を定義し、枠組みをつくり、ルールを明文化することで、課題解決や目的の達成を目論むもの。ただ、そもそもその既存の枠組みはどういったものなのか、何に囚われているのかを自問自答し、その枠組みや日常から解き放たれてはじめて、物事の本質や創発にたどり着けます。 ですから、組織として自覚的にその活動を獲得していかなければならない。ワークショップの理論的基盤を築いた一人である哲学者ジョン・デューイは、一人ひとりに内在している創造的な『衝動』の重要性を説きました。その議論は提唱から100年経ったいまでも色褪せない。創造的衝動に目を向け、組織にとって意味のある変革やイノベーションを起こす力に転換させることこそが、ワークショップの本質だと思っています」 「『衝動』に忠実に、問いと遊びをデザインし続ける——ミミクリデザイン安斎勇樹」より
株式会社MIMIGURI(旧Mimicry Design・旧DONGURI)は、ANY COLOR株式会社が改名する際、ワークショップを通じて支援を行ったという。
インタビューなどを読んで感じるのは、MIMIGURIのメンバーは従来の営利企業とは違い、「答えがない問い」について、対話やワークショップを通じてトコトン考えていくことを是としていることである。通常ならば利益がない会議はやめましょうとなる所である。
同社はCreative Cultivation Modelと呼ばれる、個人-チーム-組織がそれぞれ複雑に絡み合い、新しいいイノベーションを生みやすいモデルを作り上げている。そしてファシリテーションやワークショップそのものをみんなが「遊び」だと考えているという。
ワークショップやモデルはあくまでフレームワークの問題なので、これがそのままANY COLOR株式会社の思想だとは言えないが、少なからず影響を与えているだろう。
「共創(co-creation)」の文脈 ーーサービスデザインの思考
ライバーさんも、相当多芸な方が揃っている
共創という言葉は、デザイン、ビジネスの世界で今話題になっている新しい概念である。ここでは武山政直『サービスデザインの教科書 共創するビジネスのつくりかた』を参考に、「共創」という概念の歴史を見て見よう。
従来の価値観は「価値提供の世界観」(G-Dロジック)と呼ばれる。これは、企業の生産活動によって消費者のニーズにこたえる商品が誕生し、その売り買いにより、商売が成り立つ。これは一般的なビジネスのイメージと違いはない。日本は、特に三種の神器と呼ばれる家電メーカーの進出により高度経済成長を迎えた。
しかし、工業化が進み、生活必需品(食料や家電など)に関わる部分が満ち足りることによって、第三次産業(サービス産業)が他の産業のシェアをはるかにしのぐという現象が発生する。つまり、製品の作りすぎが発生したのだ。
これまで製品とサービスの差は①無形性②非均一性③不可分性④消滅性の四つの区分で語られてきた。しかし、これも例えばNikeのシューズに走行時速度や消費カロリーを測定する機械が導入される、UberEatsのような運送自体のサービス化など、Iotの促進により、製品と商品の間の明確な区分すら怪しくなり始めている。さらに、世界がグローバル化するにつれ、顧客側も多様化し、ニーズが細分化している現状も存在する。
スタバには、ユーザーにアイデアを募るオンラインコミュニティが存在する
近年では、入場料を取る本屋「文喫」が人気を博している
こうした時代に注目されているのがS-Dロジック、つまり消費者が財を使用することによって生み出される使用価値(value in use)に注目するあり方である。例えば従来のG-Dロジックでは、コーヒー一杯を購入することに注目が集まっていた。S-Dロジックでは、カフェを訪れた客がコーヒーを飲むときに、どのようなおしゃれさやくつろぎを感じたかに注目する。
おしゃれさやくつろぎは主観である。その価値はユーザーが体験しないと観察できない。故に、その価値は、ユーザーと生産者の間で一緒に作り上げるものになる。これが価値共創である。『サービスデザインの教科書』では、価値共創ビジネスの利点について
①成果志向(自分のたりたいことを達成することができる) ②持続的な接点(製品を購入した後も、ユーザーの文脈にコミットする) ③多様な文脈への関与(製品の使い方は人によって異なるので、高い不確実性と多様性が必要になるが、自分の製品を広い文脈に広げられる) ④顧客の能力の活用(顧客のやりたいことを一緒に目指すことで、顧客の能力を引き出すことになる)
と述べられている。この価値共創やS-Dロジックは公共事業などに向いているとも述べられている。ポイントは、起源が人の主観であるため、ユーザーと製品開発者はある製品の持つ意味について、色々な解釈を行うことで意味付けを行うことである。(例えば新聞は、人によっては情報を得る読み物だが、お母さんにとってはゴミ捨ての際ものを包む袋である。)使い手と作り手の区別は曖昧に、あるいは時に入れ替わることになる。
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さて、ここで、ANY COLOR社のミッションを引用してみよう。
僕らは、テクノロジーで、エンタメを変える。
もっと自由で、もっと多彩で、もっとディープなコンテンツを送り出し、
魔法のような新体験を世界に届ける。 そして、その先に見つめるのは、新たな「エンタメ経済圏」だ。 近い将来、人々の生き方や働き方が大きく変わり、
よりクリエイティブなものに時間を注ぐ時代がやってくる。
それは同時に、ユーザーとクリエイターの垣根がなくなる時代で、
消費と創作の新たなサイクルのもと、
「エンタメ経済圏」が加速していくだろう。 僕らは、そんな新時代の切り込み役として、
世界の人々の日常に魔法をかけていく。 (ANY COLOR社 MISSIONより)
エンターテイメントに変化が起きている。
消費者と創作者が共にコンテンツを創る「共創」の時代が到来した。
人々の個性や多様性がより重要視されるようになった。 たとえば、配信中のコメントがコンテンツを面白くする。
たとえば、本気で遊び、本気で楽しむ姿が面白いコンテンツになる。
個性や多様性が発揮されることで、コンテンツがもっと面白くなっていく。そう信じて当社は歩みを進めてまいりました。
そして今、我々はそんなエンターテイメントを文化として広げ、次なるステージへと飛躍したいと考えています。
「共創」を通じて、より多様なエンターテイメントの可能性を追求する1COLORから、ANYCOLORへ
会社という真っ白なキャンバスに、共に未来を描いていこう。 (社名由来のメッセージより)
ここまではっきり描かれているということは、やはりにじさんじの価値についても、半分は私たちユーザー側にゆだねられていると考えていい。それはライバー達についてもだし、会社側もそのようなスタンスでいる。
ライバーとリスナーの関係性についてはこちらの記事
サービスデザインやS-Dロジックは、繰り返し製品の価値自体が変わっていく考え方であるため、従業員同士の深い対話が必要とされる。「ジャーニーマップ」「サービスブループリント」など、ユーザーの体験を俯瞰し、作り上げる手法なども存在している。
思考すべきポイント
①Outside Inの設計と「闘争的サービス」
緊張を強いるサービスに人はなぜありがたみを感じるのかといえば、否定されることで客は自己を確かなものとして感じることができるからです。 例えばファストフードのような画一化されたサービスでは客も店員も匿名性が高く、その人がどういう人間であるかがそれほど問題にされません。気楽ではありますが、高品質のもてなしを受けたという実感は湧きませんよね。これと正反対の位置にあるのが鮨屋のサービスということです。 鮨屋では、客と店員がそれぞれに自己を呈示しているのです。そのせめぎ合いの中で、店側は客に対して、うちのサービスは高度だが、あなたはどういう人なのかと問うている。それにそつのない素振りで応じることで、客は自分を卓越化しようとするわけです。緊張感のあるやりとりの中で両者が互いに力を見せ合い、そして相手の力を認めていく。それを「闘争」と形容しているのです。山内裕「客を否定する「闘争的サービス」が支持されるのはなぜか サービス提供者と客が価値を共創する」
実は、サービス志向的な相互作用の中には、職人と目利きのように、独特の緊張関係を作っている場合がある。緊張感があるコンテンツがありがたいのは、承認欲求の問題がある。一方が無条件に人を承認する奴隷であれば、主人は必ず承認される。しかし、自分に従属している人間の承認はそもそも承認ではないため、形式的なものにとどまってしまう。故に、闘争が必要となる。京都大学の山内教授は、サブカルチャーの愛好家の欲望を読み解くこと、自分を証明する手段がない人たちの不安を埋め合わせることで、作品をヒットする秘訣になるかもしれないと述べている。
先日終了した黛灰くんの物語は、彼のファンだと思っていた人の心に強い揺さぶりをかけることになった。かなり否定的な感情を持った人もいる。おそらく、にじさんじを見るということは、引退なども含め、時にこうした強烈な価値観の揺さぶりに遭遇することを考えなくてはいけない。そして、その時には、自分自身の価値観を確かめる必要がある。コンテンツというよりも「体験」として、自分がどのように現象を咀嚼したか、言葉にすること。
美兎委員長の考察させるようなトピックもこれにあたる
ご本人の意向もあり、多くは語らないが家長むぎさんのこちらの配信とnoteも考えるきっかけになる
②FOMO(取り残されることへの不安)への対策
私の周りにも多くいるが、例えば一か月界隈から離れると、基本的にVtuberで何が起こっているかわからなくなり、今価値があることを追うことは困難になってしまう。しかしこれは現代の病(FOMO)として、問題となっている。Vtuberは流行の世界であるため、取り残される不安からライバーを見ている人も多いだろう。
Vtuberを追うことは、その長時間配信も影響して、相当な困難を伴う。自分が何を持ち帰るか考えるのも大事だ
対策として、精神科医の名越氏は、今の時代にまったく関係のない古い映画を見ることで、自分の世界を保っておくことをお勧めする。
③解釈違いの問題 ーー新しい価値を生み出すこと
マイケルジャクソンは、黒人差別問題に反対するため、強烈な歌詞の曲をポップソングに乗せて歌うことを選んだ
星野源は、米津玄師との対談で、自分が選んで世の中に出ていくことになり、成功して感謝しているが、時々感じる不毛な視線で見られてしまうことへの違和感を、やっと「さらしもの」という曲で出せたと述べている。
インターネット上で活動しているならばなおさらだが、S-Dロジックで物事を考えるということは、ファンとのインタラクションが意識できる反面、物の価値を演者が自分自身で確定することができないことを意味する。
そして、これが商品やキャラクターならいいのだが、Vtuberは半分キャラ、半分人の存在である。二次創作のしやすいキャラ性は、色んな解釈を演者さんに見せてくれる。ただ、見ている人が多くなればなるほど、解釈がどういうふうになるかのランダム性は上がっていく。また、ファン同士の参入時期などによる解釈不一致というのも増えていくだろう。
また、前回の記事でも言及したが、案件ごとや大きな大会など、共創の論理をどこまで貫いていいかわからない事案も存在している。(個人的にはもう一歩運営の方針を言ってほしい気持ちはある)
オーイシマサヨシは、音楽を作ることはサービス業だと述べた
解釈についてはこの記事でも言及した。私の解釈に関する答えは、「ライバーさんに言及する時は、本人に語り掛けるように書く」である。
唐突にSCP認定されることもある
また、人に対する解釈(あっているとも間違っているとも言えない)を言うことは、一定のリスクを伴うのも事実だろう。ただ「創造的行為」として考えると、この文章の文脈ではそのリスクは時に必要なものである。
海外(私が知っている例はアメリカ)だと、「自分はこうしたいと考えている」「こう思っている」と話すことは、文化や宗教が物理的にも多様なため、重要なことである。日本であっても、空気に頼らずにはっきりと思っていることを言うことは、インターネットの時代に大事になってくるかもしれない。
アクシアくんは、絵文字BANについてまっすぐ自分の見解を伝えた
終わりに ーーコール&レスポンスの時代に
創造行為というのは、不安定要素の多い、一筋縄ではいかないものである。そしてANY COLOR社は、ライバーだけではなく、会社ごと「何が価値か?価値か?」をファンたちに問いかけている。やはり、自分自身の価値観やライバーさんを見た時の感想を残すことは、大事なことだと再認識した。それが時に、インターネットの海を渡り、違う場所での反響を生むことがあるのだから。