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esportsと競技スポーツから考えるゲーム文化論 ーーにじさんじとapexの話題から一歩引いて長い目で考える🌈


はじめに ーーとりあえずかわいい女の子の話から

※本記事は、引用の関係で若干ショッキングな言葉を含みます。ご注意ください。

先日、アニメ化の決定した漫画『対ありでした。 〜お嬢さまは格闘ゲームなんてしない〜』を友達に勧められて読んだ。こういうかわいい絵柄の本を読むような奴ではないので、困惑しながら読んでみた。

『ゲーミングお嬢様』原作者大@nani先生のツイッターより

かわいい顔をした女の子たちが、単純な罵りを超えた、もはや芸術的な煽り言葉を放ちながら、アケコンをプロ顔負けの手さばきで操っていた。さながらジ〇〇〇の○○な○○第五部に出てくるアバ茶を振舞うギャングスタのようなものである。


…私はかわいい女の子を宣伝に来たんじゃないはずだ。

「コロッセオ」の語源となった古代ローマの時代より、人と人が争う戦争状態を疑似的につくる競技は存在していた。しかし、異世界ファンタジーものでもコロシアムが出てくるシーンは残虐な手練手管や罵声が飛び交う世界になりやすい。これは、人格の問題よりも、「勝利や敗北/疑似的であれ生死が目的になり、強い集中でアドレナリンがドバドバでてくる環境」では、そうした言葉を抑制する理性自体が働かなくなる可能性がある。友達曰く、ゲームセンターにはもはや「人ならざる言語」を話す人がいっぱいいるという。「競技」は、そうした難しい負の感情を引き起こしてしまう一面はある。


アゴン -競争 :運動や格闘技、子供のかけっこ、ほか。
・アレア -偶然 :くじ(宝くじなど)、じゃんけん、サイコロ遊び、賭博(ルーレット・競馬など)、ほか。
・ミミクリ -模倣 :演劇、絵画、カラオケ、物真似、積み木、ごっこ遊び(ままごとなど)、ほか。
・イリンクス -めまい :メリーゴーランド、ジェットコースター、ブランコ、スキー、ほか。

さて、段々と話をにじpexに寄せていこう。以前の記事にもあるように、遊びについて研究した文化人類学者ホイジンガは、人間の遊びを次の4つに分類した。このうち偶然、模倣、めまいの遊戯については、ずっと論じてきた。そして、apexは競争の遊びに分類されるだろう。


私のこの大会への立場は、「勇気ちひろさんや樋口楓さんが尽力されていることがよく伝わってくるので、大会開催には賛成。ただし、CRカップを何回も経たうえでいまだにマイナスの声がある現状、今後はかなり工夫をする必要がある(特ににじさんじ運営)」というものです。にじさんじ運営が重要だと考える理由は後述しますが、apexの持つ競技性は、にじさんじの掲げる「個性尊重」「自由主義」の方針に時にぶつかることがあるため、慎重に扱う必要があるからです。そして大会に対して「嫌なら見るな」を繰り返し繰り返し続ければ、個性が失われるのは間違いないでしょう。



戦争に例えられるように、競技性のあるスポーツは多かれ少なかれ敗者と勝者が決まるものです。オペレーションズリサーチをはじめ、戦争から生まれた戦術論は人を「数値」や「順位」で括るものです。その優劣の決まり方の残酷さや激しい罵詈雑言を緩和・抑制するために、スポーツやゲームディベロッパーは、演出やルールに数々の工夫を仕掛けてきました。その一部を知る限り書いてみます。

実は、前から叶さんや葛葉くんについて色々書いてみたいと思っていたのですが、競技性の高いゲームを中心にやっている人をどう語るか、ずっと悩んでいました。今回の記事はその土台になります。


LOLは、ゲームそのものの主題歌としてImagine Dragons "Warriors"を起用。ゲームを知らない人でも、戦闘以外の目線でゲームを楽しめるように海外ゲームは工夫がされています。Imagine Dragonsは日本で言えばKing Gnuやヒゲダンクラスに知名度のあるバンドです。


前提① 褒めすぎない/けなさないーーアドラー心理学

アドラー心理学によれば、けなすことは当然よくないのですが、ほめることも、他人の評価を気にするようになるのでよくない、とされています。何事も完璧はないので、したい時はすればいいのですが、淡々とアイデアを出すことが今回の場合大事に感じます

前提② 表現の自由 ーーミルの『自由論』

政治思想家のJ.S.ミルは、思想の自由と表現の自由の重要性について、次の四つの根拠を述べています。

第一に、発表を封じられている意見は、もしかすると正しい意見かもしれない。そのことを否定するのは、自分は絶対にまちがわないと仮定することなのだ。                                            第二に、発表を封じられている意見は、やはりまちがった意見であっても、一部分の真理を含んでいるかもしれない。またじっさい含んでいるのが通常である。どのようなテーマについても、一般に流布している意見が真理の全体であることは全体であることはめったに、というか、けっしてないのであるから、真理の残りの部分は、対立する意見がぶつかり合う場合にのみ、得られる可能性がある。                                       第三に、世間で受け入れられている意見が真理であり、しかも真理の全体であるとしても、熱心で活発な論争が許されない状態が続くと、またじっさいに論争がなされない状態が続くと、ほとんどの人にとってその意見は偏見と変わらないものとなる。それ自身の合理的な根拠がほとんど理解されず、実感もされなくなるからだ。                                   第四に、これも同じく自由な議論がなされない場合、自分の主義の意味さえ分からなくなり、ぼやけていまう危険性がある。すると、それが人間の性格や行動に与えるはずの重要な効果さえ失われてしまう。信条は単なる標語にすぎなくなる。それは人間をそだてるどころか、人間の成長を妨げる。理性や個人的体験から、本当の、心の底からの確信が育つのを妨げるのである。        J.S.ミル「第二章 思想と言論の自由」『自由論』

また、論争の際の道徳についてはこのように述べている。

論争のどちら側に立つ人であれ、主張のしかたが公正さを欠き、悪意や偏見や心の狭さを露わにしている人は、だれであろうと非難される。ただし、その人がわれわれと反対の立場である場合、彼のそうした欠陥をその立場のせいにしてはならない。そして、どういう意見の持ち主であれ、反対意見やその持ち主について冷静に観察し、誠実に説明し、相手の不利な部分を決して誇張せず、相手の有利な部分、あるいは有利と思われる部分をけっして隠さない人には、当然の称賛を与える。                                         これこそが、公の場での議論における真の道徳である。           J.S.ミル「第二章 思想と言論の自由」『自由論』                 




esportsから ーーゲーセンからネットへ 国内最大規模大会スタッフアユハ氏の視点

アユハ氏は、国内最大規模のオフライン大会『ウメブラ』企画の中心的スタッフであり、Twichの社員である。先日『最強の可視化問題』という記事がTwitterでバズっていた。かなり骨太の文章を書かれる方である。

アユハ氏によれば、元来、ゲームというのはゲームセンターのような小さなコミュニティで行われてきた。つまり「井の中の蛙」状態であったが、2010年代ごろからウェブの台頭やTwitterの台頭により、そのようなローカルコミュニティは消え、仲間内でしか通用しない用語や戦術が消えてしまった。最終的には、オンライン対戦に代表されるような「大きなピラミッド」に組み込まれるようになる。小さな村のゲーセンの子供たちの間であれば、煽り合いなどもかわいいことで済むが、インターネット上になれば話が変わってしまう。

この時、「共同体感覚」の崩壊が各地で起こっていることをアユハ氏は指摘する。

共同体感覚とは、自分がコミュニティの一員である自覚です。共同体感覚があることで、公開して民度を軸に批判する方の登場を防ぎやすくなると考えます。(中略)                                                   例えば最近視る機会があります DJ イベントでは、なにか技術トラブルがあっても運営を応援する発言が多いです(データありません)。定性的な仮説ですが、このきっかけは聴く側・視聴者の方々がどこかしらのライブハウスで誰かと繋がっており、一つのコミュニティである感覚が醸成されていると考えます。           「共同体感覚とゲームシーン」より引用

そして、このような状況を作った原因に「過剰な数字主義」があるとアユハ氏は述べる。数字主義とは例えば「ライブ配信が見られた回数」「アーカイブの再生数」「ツイートのインプレッション」のような、数字が取れるものが良いものと考えることである。順位含めて、こちらにこだわってしまうと、「プロは大事だけど自分みたいな弱い人は意味がない」「自分がライブ配信しても見る人がいないから意味がない」といった発想が蔓延してしまう。

そのため、アユハ氏は各個人の「自分がどう楽しかったか」「私が得られるエクスペリエンスは何か」といった個人個人の感情で大会の経験は語られるべきと述べられている。

2019年のウメブラ大会の様子。

にじさんじ甲子園で優勝し、見事ゲームに実装された椎名唯華さん

さて、今回のにじさんじの件であれば、「にじさんじ」と呼ばれる大きなコミュニティと、apexの大会の間に摩擦が起こっている。特に「飽きが来た」という意見が多い。そして私見ではあるが、パワプロを「キャラクター性」という切り口から新たに盛り上げることに成功したにじさんじ甲子園とは違い、apexはにじさんじらしい楽しみ方を開発できていないのではないのだろうか

この場合問われるべきは開催の有無(1か0か)ではなくて、個人個人が大会を見た時に感じる感情をよりよいものにする工夫である。そして良い大会にするためのアイデアを書くことは明らかに応援になり得る(採用されなくても)。以下は、ざっくり見た限りの否定意見である。

・にじさんじライバーが少ない ・エンジョイかガチかわからない                        

にじさんじの共同体感覚が薄れる(これはアユハさんの記事でも指摘された部分に被り、またにじさんじの個性尊重主義とぶつかっているため、検討に慎重になった方がいいと私は考える。)


〇大会運営について参考になる記事

アユハ氏が先日Twitterで紹介していたこの記事は、長期的に大会を続けるうえで非常に重要で冷静な視点を与えてくれる。大会を強引に爆発的成功に導く以外にも、少しずつ育てていくことも可能なはずだ。

アユハ氏によるコミュニティ大会運営のコツ。にじさんじは企業ではあるが間違いなく役に立つはず。

(6月12日追記)

アユハさんご本人に本記事を言及いただきました。ありがとうございます。引用ツイートを見て見ると、格闘技界など様々な世界で「タレントとプロ」の大会における問題が議論されているとのことです。


野球 ーーエンターテインメントとしての競技

「優勝したけど、お客さんの入らない監督と、成績が悪くてもお客さんを呼べる監督。果たして、どちらがプロの監督として価値があるんだろうか」  こう自問自答気味につぶやいたのだ。しばし沈黙していると、長嶋監督はこう言い切った。                                                  「プロの世界なのだから、営業的にお客さんを呼べることが一番大事なんだよね。ファンあってのプロ野球だよ」(上記記事より引用)

メジャーでは必ずしも結果は出せなかった川崎選手。しかし、その明るいパフォーマンスは全米のファンに愛され、日本に帰る際はMLB公式でも取り上げられることになった。

ダブルスタ丼氏のnoteでは、Apexにハマったライバーからみたプロプレイヤーのことを「野球好きの人なら知っているが、一般人は知らない人間」を例えるために、元福岡ソフトバンクホークスの川崎宗則選手(ムネリン)の名前を出している。しかし、これは申し訳ないがいい例だとはいえない。(その例なら、送りバント数ギネス世界一位を持っている元巨人の川相昌弘選手の方がよい例である)。

何故か。ムネリンは、日ハム新庄剛志、杉谷拳士に並ぶエンターテイナーとして有名である。つまり、独特のユーモアで「野球を知らない人でも笑えるネタを供給しようとする野球人の代表の一人なのである。ムネリンがゴールデンタイムのバラエティに出ても、遜色がないだろう。

日本ハムファイターズの杉谷選手は、リアクション芸のレベルの高さに「野球のできる芸人」と言われる。とんねるずのタカさんのお気に入り。

さて、日本で一番人気のあるスポーツのひとつである野球は、長嶋茂雄さんの時代から、勝負事の世界ではある一方、観客を楽しませるエンターテインメントとしての側面を常に強調されてきた。読売巨人軍をはじめ、野球は歴史的に新聞社などの大手スポンサーを背景にしていることもあるだろう。流石に乱闘をよしとする風潮は今はないが、川崎をはじめとするスター選手の存在は、こうした野球界の良い面を示しているだろう。

野球から得られる教訓はこうである。誰もがイチロー級の選手になれるわけではない。というか、イチロー本人が自分ひとりで野球ができるわけじゃないと言ったのを聞いたことがある。

「飽きる」という意見が繰り返し出てくるならば、例えば杉谷選手のようにパフォーマンスや、歌、apex専用キャラクターなどと言った周囲の文化を盛り上げるのは明らかに長続きする秘訣である。


樋口楓さんの推し球団広島カープの大ファンのバンドくるり。なんと数日前にひたすら有名選手の名前を並べるだけの曲を作り、動画をアップ。もちろんムネリンもいた。

中日ドラゴンズの伝説的マスコットドアラ。「ゆるキャラ」ブームの先駆者ともいわれます。名古屋での試合では、必ずバック宙を行い、それによって中日の勝敗が決まるなんて俗信もあります。                 


サッカー ーー「お客」と「ファン」

サッカーは、日本に普及したのが80年代ごろからであり、どのクラブも比較的歴史が浅い競技である。そのため、経営者の方に「コミュニティをどうやってつくり出すか?」という考えがしっかりしていることが多い。

サッカークラブ勤務のえとみほさんは、軽いノリでやってくる「お客さん」と自分がチームに貢献したい「サポーター」の二つを分けて考えることを述べる。

「お客さん」=じぶんがこの試合から何を得られるかを考える(Take)

「サポーター」=じぶんがどうチームに貢献できるかを考える(Give)

ここでポイントは「お客さん」は勝ち負けに固執しないが、「サポーター」は勝ち負けに固執することである。そしてえとみほさんはサッカーが「お客さんが自分の役割を見つけてそれをたのしめる場所の提供の必要性」が大事という、A8.netの柳澤社長の意見が重要だと考えた。

MAKIHIKAさんは、サッカー選手本田圭佑の物まねで一躍有名に。ちなみに本田本人公認。


再びesportsから ーーApexとの向き合い方に是非再考を

#esportsで検索をかけた時に出てくるこの記事は、「遊戯王デュエルリンクス」という競技が、ルールが難解すぎる故に、観る側に要求するハードルが高すぎるという。将棋や囲碁もルールは難しいが、この二つは徹底的にルールが1000年変わらなかった実績を持っている。このように、競技の性質によっては「見世物」としての限界が出てくる場合は当然ありうる。

この記事では「プロ化する→盛り上がって人が増える」のではなく、「盛り上がって人が増える→プロ化する」のが、競技としての正しい道のりではないかと提案している。裾野が増えれば、自然と選択肢は増えてくるはずだという。

実は、勇気ちひろさんの話を聞いていて気になったことがひとつあった。それはちひろさんの目線はライバー間の話に行っていて、にじさんじの影響でApexの裾野が広がる可能性まで追いついていない。逆に、彼女を擁護するファンも、大会に対して意見をするものが多く、「Apexをやってみたよ!」という影響を受けた報告があまりない

おそらくここに問題点と打開策がある。「Apexをやってみたい」と思わせることができれば、自然と理解者は増えていく。しかし、現状の大会の方式はそうはなっていない。

esportsライターの但木一馬さんは、勇気ちひろさんの配信を見始めたというが、Vtuberの中で耐久配信が頻発している現状に危機感を抱いていた。特に海外ではNinjaというFortniteプレイヤーが寝る間も惜しんで世界No.1配信者となったが、結果として大きく配信頻度を下げてその地位を手放してしまった

私は以前、このような記事も書いている。今回のように勇気ちひろさんがapexに関して騒動に巻き込まれたり、体調を崩されたことは少なくない。

しかし、これほどの頻度で大会を行い、炎上を回避して良い理論を蓄積してもよいはずなのに、何故か再び勇気さんが標的になりかねない形で話が出ている。私は、申し訳ないが、そろそろ運営が罪深いと言わなければならなくなってきている

何度でも繰り返すが、田角社長は「Vtuberを文化にする」ことを目標として掲げている。しかし、すでにほかならぬesports側から長時間配信への危機感の声が出始めている。そして、今回の大会の件も、流石にこうした大きなイベントの運営に関するノウハウを持っているのはライバーよりも運営ではないだろうか。大会の話は、ライバーを守る意味でも、ライバーよりも運営がもっと前面に出てきてもいいはずだ。

次に示すように、Apexとの向き合い方はその文化的性質も考慮に入れるべきだと私は考える。


にじさんじと「自由主義のパラドックス」 ーー 個性と共同性の衝突

さて、にじさんじとして、競技性の高い大会を行うことが、その理念に反するかもしれないということを言ってきた。これはどういうことか。にじさんじは、それぞれの活動形態をライバーの個人の自由に任せる主義である。この「個人の自由」に関する言及は、各所の記事にも現れているし、その自由な活動に惹かれてファンになった人も多いだろう

しかし、これは政治学や倫理学でいう「自由主義のパラドックス」や「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか?」という問題に衝突することになる。例えば、今回の件でいえば「競技性の高い大会」を何度も繰り返すことは、「視聴にも参加にも一定の専門的な技量を必要とし、勝敗がはっきりつく、ライバーの時間を拘束する可能性の高い時間」を作り出すことになる。人間、体はひとつしかない。

この時、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか?」の問題が発生する。読んで字のごとく、障壁の高い大会を何度も作ることを自由と呼んでいいのか、それはにじさんじの風土と合うのか?という問題である。これに関しては残念ながら政治学の専門家でもずっと話し合いが続いているため、確定した答えはない。

故に、私は今回の件ではにじさんじ運営側が、今一度にじさんじの理念とにじpexで上がった声を吟味し、理念を再確認する場はいるだろうと私は考えている。これを決めるのはライバーであり、運営である。

田角社長は、「トライ数×命中率」を上げる戦略を常に心がけているという。しかしapexにまつわる状況は珍しく改善がうまくいっていない例に見える。


トップesportsプレイヤーを見てみる ーーウメハラ・たいじ・あばだんご

①ウメハラ ーーストリートファイターシリーズ

ウメハラがぁ!!!
捕まえてぇぇ!!!
ウメハラがぁ!
画面端ぃぃっ!!!!
バースト読んでえぇっ!!!
まだ入るぅぅ!!
ウメハラがぁっ!!!!
・・・つっ近づいてぇっ!!!
ウメハラがぁ決めたぁぁーっ!!!!  実況者 ガマの油

この言葉は、ストリートファイターの選手として、そしてesportsの先駆者として有名なウメハラ本人の言葉ではない。しかし、格闘ゲームそのものの魅力を分かりやすく伝えた言葉として有名になった。(ぶっちゃけミームになった)

にじさんじで言えば「こんな配信がしたかった」(By 舞元)などがそうだが、ある大会を印象づける言葉やシーンが出てくれば、それは成功体験として語り継がれるものになる。

ウメハラがぁ!その後

②たいじ ーースプラトゥーンとパワプロ

スプラトゥーンとパワプロでプロとして活躍するたいじさん。勝負の世界でやっていくためにはもしも継続できなくなった時に戻れる場所をきちんと作っておく必要があるという

たいじ そのくらい確固たるものがあってからプロを目指すべきですよね。収入もなくただゲームだけをやってたら、引きこもりですよ。有名になって稼げるというのは本当に一握りだと思います。だからゲームだけやっているのはダメですよ。バクチです。子どもたちには勉強もちゃんとした方が良いという。勉強もした上でゲームをして、上を目指せばいい。ゲームがうまかったら、このゲームは上にいけるなとか分かるんですよ。僕も社会人で仕事をしながら、やることをやった上で時間を割いていた。最初からプロゲーマーを目指して1日十何時間とかやっちゃダメ。やっぱり自分で自立してやるべきだと思う。それは現実的に考えた方がいい。(同記事より引用)

前述の但木さんも述べたように、Apex配信は注意しないと、終わりのないマラソンになってしまう可能性もある。そのため、別の軸を用意しておくことは安全のためによい。


③あばだんご ーー大乱闘スマッシュブラザーズ

スマブラのトップランカーであるあばだんごさんは、スマブラを布教するために多くの番組に出てきている。こうした地道な布教活動がスマブラコミュニティの平和を広めているのは間違いがない。

不破湊さんとのコラボでも有名になる

まとめ ーー具体的提案を出してみる

剣持刀也大先生のありがたい言葉

私も決してゲームに詳しい人間ではありません。しかし剣持師匠がこういうなら、私なりに何か書いてみましょう。

判明した問題点:にじさんじ運営がApexをどうしたいかわからない(ファンには解決不可)

これは今後、にじさんじが大所帯となったために、大会や大きなイベントをするさい必ず問題になるだろう点です。今回の大会は「エンジョイなのかガチなのかわからない」「にじさんじらしくない」など、何がしたいかわからない点が人々の不安を呼びました。

前述のように、にじさんじの「自由な風土」は、「勝利至上主義」の世界観と必ずしも相いれない部分があります。今回はそれが先鋭的な形で現れた可能性はあります。

正直、今わたしはにじさんじ運営がApexにどういう立場をとるのかが全く読めなかったため、あえて断言を避けて、色んな似たような例(スポーツ、esports)から言葉をつないでみました。しかし、本音を言うとライバーさんを守る意味でも、私はもう少し運営がしっかり大会の理想の形を言語化するなど、工夫をしてほしいです

提案概論:「嫌なら見るな」「文句を言うな」ではなく、「見やすい/語りやすいApex」を作ってみる

叶くんは、すでに戦力差という問題点に気づき、にじさんじ全体で大会をするならこうなるという代案を示した

アユハさんの記事をはじめ、いくらか使いやすそうな材料は用意したが、私も下手ながら、提案を出してみよう。(当然中の当然だが、従う必要はないファンのアイデアは、万が一にも使えたらよいものだ。)

私が以前叶くんや葛葉くんの記事を書こうとして困ったのは、ApexやLOLなどの競技は横から語りにくいことだ(カードゲームの記事を参考)。また、あばだんごさんのように、スマブラを語る10-20分の番組や集団も存在しない。こうしたFPS専門ゲーム番組や解説動画をにじさんじ公式で作っておくのはアリ。

にじさんじゲーマーズ復活という手もあるだろう。

葛葉くんは「ファンは楽しめばいい」と言った。これは正しい。しかし「楽しい」という感情は、自然と湧き出るものであり、無理やり我慢して「楽しむ」ことにも限界は存在する。そこで、まさに川崎宗則選手のように野球やサッカーがいかに初心者や興味のない観客を楽しませてきたかを考慮して、以下のようにアイデアを出した。

これも、Apexのことを詳しくない意見であるが故、限界はある。しかし、大会を「継続的に」「文化的に」行うためには、こういう考えもあるということで、出させていただく。


①提案1:分かりやすい合言葉・パフォーマンスをつくる ーーソフトバンクホークス松田選手はじめ、野球から

先日、パリーグ三塁手連続出場記録を塗り替えたホークス松田宣浩選手。ホームランを打つと必ず「熱男!」と叫ぶパフォーマンスを5年以上続けています。これは川崎宗則選手がファンを盛り上げる姿勢を見習ったといいます。

ファンがついてこれないのは、実は「どう喜べばいいのかわからない」「どこで笑えばいいのかわからない」といった、空気感の問題でもあります。スポーツのチームのムードメーカーとなる存在は、パフォーマンスを通じて観客やベンチ全体の士気を高めます。これはApexの大会でもそのチームでも取り入れることは可能だと思われます。

ゲームにも輸入されるパフォーマンス

②マスコットキャラをつくる ーーポンタの「んほー!」で人は救われる


オリックスバッファローズは、近年あまり優勝争いに絡めず、負けが重なっている。しかし、マスコットキャラのポンタくんが「んほー!」と言ってくれる様子を見て、「まあ、ポンタも悲しがってるししゃーないか」となったファンが続出した

Apexは、何せ銃や戦争をモチーフにしたゲームなので相当ものものしい雰囲気があるのは事実です。野球やサッカーでは、マスコットキャラクターを設置して、ファンの怒りを慰めたり、近づきやすいイメージづくりを行っています。


③語りやすいストーリーをつくる  ーーにじさんじARK・にじさんじ甲子園の成功例から

ARKで生まれたチームAXFは最高の思い出

にじさんじ甲子園は、天開司から舞元に渡されたバトンだった

私が今回のにじPEXで個人的に危機感を持ったのは賛否両論があったことではない。「これまでちーちゃんや樋口さんはApexであんなことやこんなことを乗り越えてきたから、今回も大丈夫だよ!」と過去のストーリーから彼女たちを擁護する声があまりに少なかったことだ

これは、Apexの配信が視聴者の中で物語として蓄積していない可能性があり、非常にまずいものを私は感じた。

Apexの大会で名言が出たり、偉業が語り継がれることになれば、「次回も開催しよう」という話が出たり、「あの感動はもう一度」となってやる気は出てくるはずである。何より、ライバーたちのモチベーションになるはずだ

こうしたストーリー化を達成するには①歌にする②きちんと大会を解説する番組を作る③川崎宗則のように、ファンサービスをきちんとする など様々なやり方がある。

クロノワの一曲目のサムネは、FPS好きらしく銃。

④Vtuberファン向けに、Apex初心者向け動画やネタ集をつくる

ウメハラさんの初心者講座は、もはやストリートファイターの歴史解説

プロゲーマーと重なり合った不破君の勢いは止まらない

かわいそう

普通に考えて、Apexというゲームが素晴らしいものと思っているのならばその歴史や初心者向けに入りやすい入口を作るのはありです。



この記事の限界 ーーFPS視点の欠如

今回の記事の大きな弱点・限界点を示しておく。私はFPSに決して詳しい人間ではないということだ。そのため、今回はesportsという大きな網目で物事を見ることになった。ここにかんしてはApexに詳しい方に細かい論点を譲りたい。(しかし、Apex側もキャラクターひとりひとりにきちんとストーリー付けをしているようだ)


おまけ KONAMIのパワプロebaseball ーーにじさんじも関わったモデルケース

ありがたいことに、にじさんじには強力な見方がいる。スポーツ系ゲームの第一人者であるKONAMIである。遊戯王、ウイイレと様々な種類の大会を開催しており、恐らく国内でも最も大会開催のノウハウを蓄積している会社のひとつになる。

ebaseballという名前で、賞金を出して行われる大会は今年で三年目に突入した。ロッテのスンスケさん、巨人のてぃーのさんをはじめ、あらゆる宣伝方法で、「大会を大会として」作り上げようとした。

当然、大企業主催の大会であるため、簡単にこのような演出ができるわけはない。しかし、「どうしたら大会が観客の体験として面白いものになるか?」というコツに関しては学ぶところが多いはずだ。

にじさんじ甲子園のドラフトと同じく、選手の発表も大々的に行われた





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