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2025-02-05:Pixivを辞めた日とAIイラスト哀歌の湯
AIイラスト哀歌
足掛け2年くらいNovelAIという、AI画像生成サービスにサブスクリプションしてイラスト画像の生成をしている。その行為が生活の一部になっている。公開したり素材に使用することはせず、ただ生成していた。妙なプライドだったり心理的な障壁があり使っていなかったのだが、時代の波に価値基準の転換を余儀なくされたので今回から使うことにする。
20年近く絵を描いていたが、このNovelAIのサービスに出会ってからはほとんど描いていない。絵を描くこと、描くという行為プロセスそのものに私は喜びも意義も見いだせなかったということなのだと思う。
私が絵を描いていた理由はひとえに自己満足、性的嗜好の充足、ポルノを生み出し消費するためだけにあったのだ。学生時代は日本画の真似事などをして、膠を擦りながらその歴史的精神性を借りてみようとしたこともあったが、結局のところ矮小な内発的動機は、この技術革新によって取り繕うこともなくなった。
Pixivを辞めた日
過去に描いた私の絵は今は、「gelbooru」だとか「e-hentai」みたいな海外の海賊版投稿サイトにしかない。NovelAIが初めてリリースされる直前、私は長く利用していたイラスト投稿SNSの「Pixiv」を退会し、自身から絵を公開することを辞めた。至極くだらなく、情けない理由が発端だ。
Pixivの事務局から10年以上前の投稿に大量に、「局部の修正が薄い」と指摘が来て、絵を一時的に閲覧停止にするという。面倒なのでそれを放置していたら、今度はアカウントが一時凍結されたのだった。そのままでも有料会員制を取れる「PixivFANBOX」というサービスのアカウントは使える状態だったので、そちらにはずっと投稿していたのだった。
その後、PixivFANBOX上でフォロワーから「Pixivのアカウントを復活させてほしい」と請われたので、ではいっちょやるかと…なったものの。
昔々のファイル原本を探して局部の修正を濃くして、言われた通り修正版をアップロードして事務局に返信する。すると数日後、メールがきて、まだこの絵の修正が薄い、と指摘が来る。本当に更新が漏れていたものもあってああしまった、となって再度修正して連絡するとまた数日後に、今度はこれまで指摘されていなかった投稿も薄い、と返答が来る。そんなやりとりを5回ほど繰り返していくと、今度は修正はできず、投稿を消すしか無いという。
これまで散々放置していたくせに、いざ消すしか無いと言われると、その投稿に貰えていた「いいね」とか閲覧数やらが妙に愛しく思え、それをこういう形で削除しろと言われることに妙な憤り、これまでの憔悴、辟易が頂点に達し、Pixivは完全に退会し、FANBOXもその時限りで閉じることにしたのだった。
その直後、Midjourneyをはじめとした画像生成AIが世に出回ることになる。Pixivは一時、大量に生成AIイラストが投稿されはじめ大混乱、あわや崩壊という憂き目に陥ったのだった。その後は収束したようだが、理由はどうあれ非常にいい時期に見切りをつけたなと思う。
再びAIイラスト哀歌
画像生成AIの中でもNovelAIというサービスは著作権的にかなりアウト寄りのグレーで、学習元に海賊版サイトのデータを用いている。多くのアーティストのハンドルネームを入れると、それらしい絵柄の絵が現れる。これを盗用であると抗議し糾弾する人も多い。至極当然だと思う。
私のハンドルネームを入れても、私の絵らしい絵柄が現れる。だが多くの絵師がするであろう反応とは異なり、これに私はとても救われた気分になる。誰にも覚えられていないであろう限界絵師の成れの果て、不貞腐れてアカウント消した人間のデータが、どこからかラーニングされ、プロンプトに私の名前を入れればその画風の特徴が現れてくれる。これは恐ろしいことでもあるのだが…
筆を折った私が、グローバルなサービスに私自身の名前を入れると、新しい私の絵が出てくる、という体験。これはどこか存在の証明、生きていた証、そして不貞腐れに対する慰めであり。これまでの人生のを世界から一つ、承認されたような感覚を得もするのだった。
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AIイラスト哀歌 余談:
NovelAIの生成エンジンはアップデートを繰り返していて、V3の時点で自分のハンドルネームに反応することが確認できていたのだが、V3は私の絵にしては「上手すぎ」た。デッサンが肉感的でほぼ完璧で、塗りも繊細で暖かい。確かに自分の絵の特徴はあるのだが私の絵ではない、それはそれで嬉しかった。私が絵を描き続けた未来、このような絵が掛けていたらという願望の具現のような気がした。
そこまででも良かったのだが、V4で私の絵そのものが出るようになった。デッサンの崩れ、線の歪み、髪の流れの不自然さ、雑な彩色など。恥ずかしいくらいに私の絵だ。実際にはもっと下品なので、「design」とか「abstract」とか「anbient」みたいなワードで仕立てている。楽しいね。