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スタァライト応援上映と唐十郎本の湯|diary:2024-06-05
ナンセンス!
「唐十郎がいる 唐組のある二十一世紀」という本を読んでいました。
なんで手元にこれがあるかというと一年前、友人と雑司ヶ谷を散策中に神社で偶然唐組のテントを発見、まだ昼時だったので、夜にやるという観劇には至らなかったもののその空間と佇まいに興味をもち、物販で当本を買ったのでした。この時点では唐組のなんたるかも知らず、調べもせずここ最近まで読まずに積んでいたのが、唐十郎氏が鬼籍に入られたニュースなども目にし、ぱらぱらめくり始めたのが先週末、何やら大変な劇作家にして舞台人であったと分かるのでした。魂をよこせ!
この本は何名かの論客の劇評・論考をまとめた構成で、読み進めれば戦後の時代ともに歩んだ唐組の輪郭が見えてくるのですが、面白かったのは巻末の唐十郎本人のインタビュー「ケータイを身体の一部にしている人のアタマに楔を打ち込む演劇はどこにあるのか」。タイトルも素晴らしいが何より、文中の”60年代後半の客は舞台を見ながら「意義なし!」とか「ナンセンス!」とか掛け声を飛ばしてくる”という一文、もう笑ってしまった。時代柄なのはわかる、でも「ナンセンス!」って掛け声なんだよ!そんなの知ったら私も言ってみたいじゃないか!唐十郎本人も「流れる虚構空間に対してナンセンスとはどういう意味だ」と突っ込んでるのですが全くその通りでそのツッコミどころも含めて好きすぎる。ナンセンス!言いてー!
スタァライト応援上映のおもひで
話はまた遡って、去年末だったか、おらがほの街の映画館にレヴュースタァライトの応援上映がやってくる、ということがありました。今となっては「マサラ上映」などが定着しているようですが、最初聞いたときはなんと安直な、レヴュースタァライトの応援上映ってなんだよ…歌って踊ってるアニメならなんでも応援上映やりゃいいってもんじゃないだろ!と。「へぇーこれがプリズムショーかぁー!」に対して「そうだよー!」とか返す、わかりやすい合いの手がスッと発生するような作品でもない。曲がりなりにもエゴぶつけて奪い合ってるわけで、見守りこそすれ気楽に応援などできるか!ってなもので、疑念がもりもり。
とはいえおらがほの、しかもほど近い映画館でスタァライトは初めてだったのでチケットをポチ。公開当初は居住県だけ上映館がなく、隣県ではじめて観てこいつはヤベエとなってトチ狂い、以降毎週違う県違う映画館に行脚して観ていたのでした。それを思うと感慨深い!
しかしどうすりゃいいんだ、どう応援すばいいのか。とりあえず「張った張った!」は言うか…しかし他はなんだ。「56してみせろよ、大場なな!」に対して「そうだそうだ!いてまえぇ!」とか言ったらいいのか?トマトを持参して神楽ひかりに合わせてスクリーン投げつける?あるいはキリンと一緒に焼身を?
結局、タンバリンが渡されたので曲がかかってる間はひたすら叩き、歌う。燃やせ燃やせぇ!正直それくらいしかやることがない!隣のはるばる福島から来られたというお客さんは思い思いのセリフへの合いの手を入れていたが、やはり苦しい。基本スタァライトのセリフはどれも安直に肯定しづらいし、基本的にツッコミどころでできているのだ。だんだん声がか細くなるのがわかる。彼に合わせて私も最初は「大学進学のじゅんじゅんも見てみたい!」とか言ってみていたのだが。
ただ最前列の若い子が発したどうぶつしょうぎのシーンへの「そうはならんやろ!」には笑ったなー。やっぱり応援よりヤジっぽい合いの手とかツッコミの方が合うと思う。「しょうもなとはなんだ!しょうもなとは!」とか言えばいいよ(友人の一人、このセリフやたら気に入らないらしくて)
と言うことで
結果的に、スタァライトの応援上映は当初の懸念通り、乗り切れる企画ではなかったなーという思い出。後ろの列の方が観客の盛り上がり方をみれて楽しいだろうとか、知見も溜まった。願わくばどこかで「ナンセンス!」を言いに、もう一度行きたくはある。これだけ前衛的でアバンギャルドな内容で、声出しOKの上映が企画されるアニメ映画なんてそうそうない。「ナンセンス!」を言うのにこの上ない映画だ。早く唐十郎のインタビューを読んでいればなぁ!またどこかでスタァライトの声出しOKの上映があったら、思い思いの場所で「ナンセンス!」って叫ぼうぞ。今のうちにめぼしいシーンをピックアップだ!
さてそしてそして、唐組の劇「泥人魚」を今週末見に行きます。こちらもまた楽しみだー。ナンセンス!