否定的な意見、そこに愛はある?
否定的な意見を受け入れるってむずかしい。
他人を羨んだり、妬んだり、疎んだり。。
そういう感情も含まれているかもしれないから、
どこまで鵜呑みにすべきかわからなくなってしまう。
でも、それはそれで人間らしい感情だから、
仕方ないよなあ、なんて思ったりもする。
だから、言われてしまったら、殺気立つでも諦めるでもなく
穏やかに受け入れられたらいいなと思う。
逆に、
ときには否定的な意見も言わなければいけないかもしれない。
なんでも いいね、いいねが愛情だとは思えない。
無責任な 大丈夫 が必要なときもあるけれど、
厳しい意見を言うときだって必要なはず。
いずれの立場にしても、
意識すべきは、そこに愛はあるのか?ということ。
あとはもうね、全部結果論。
誰の意見が正しいとか、これが正解なんてないわけだから、
言葉に愛情をちゃんと乗せられるかどうかだと思う。
どんなに愛情をもっていても、伝わらなければ意味がない。
ちゃんと受け取ってもらえるように意識しないと、ね。
そして、愛のある言葉には向き合ったらいいし、
そうでないものからは目を逸らせばいい。
見極めが難しかったりするけど、目を見ればわかるはず。
目を見て言ってくれないことに関しては、
ぜんぶ見なかったふり、聞かなかったふり、でいいの。
その言葉に愛はある?
問いかけながら、なるべく穏やかに過ごしていきたいものです。