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自分

「自分」が作り上げられていく過程とは。

まず弱くて馬鹿な自分を変えたいと思ったきっかけはある人との出会いだった。
その方は私のことを知って1時間も経っていないのに、昔から支えて助けてくれていたかのように私をわかってくれる人だった。実際はスピリチュアルの力を使って亡くなった方と繋がり問題解決に導いてくれた。初めは馬鹿馬鹿しいと思った。そんな短時間で私の何が分かるのか、何を知った気になって言ってくるんだろうと思った。でも違った。

昔飼っていた猫の話、亡くなった祖母の話、その方には色や特徴、性格や出来事まで実際に体験したかのように見えていた。

「どうしたいの?」
「わかってるんでしょう?どうしたいのか。どうなりたいのか。」
「あなたは強い。」
「あなたの事として考えないで、同じ状況に立ったお友だちがいたらあなたはどうやって声をかけるの?」
その言葉は私を試すかのようだった。「強い」なんてそんなの誰にでも言えるのかもしれない。客観視して考えてみるなんてメンタルが安定している人であれば思いつくのかもしれない。だけどその言葉に救われた。

そこから這い上がった。
投げやりにしていた夢、今の大学だと何も叶わなかった。大学に通いながら国家試験を受けるための勉強を始めた。遊んで飲み歩いていた私が家にこもって勉強した。そのほかにも自分が人としてどうありたいのか考えるだけでは考えていないのと同じ、何事も行動に移してみることにした。

這い上がっている最中私の考えるいい女性像に私を何度も重ねた。
人と会う機会も作って話した。いろんな人の価値観を知った。知るだけではなくて素敵な人物像を取り入れたいと思った。弱くて馬鹿な私ではなく、そんな弱くて馬鹿な友だちを助けられるような私になった。今でも呑み会で話している私は理想像なのかも知れない。でも救い出してあげられるくらいのメンタルはある。こうやって私の人生第3章は始まった。


結局、自分が自分でいるためにしていることは理想をもつことだ。そこに近づいていけるように先に言葉にして発信していく。私の考える最高で最強の私の姿でいられるために何度でも踏ん張る。守りたい人、守らなくてはいけない人、たくさんの人に囲まれながら自分は自分でいる。
私の周りの大切な人は私が全力で守りたい。何があっても救いだすし、何があっても私と関わってきた時間を楽しかったと思わせたい。いつでも笑顔でいてほしいと思うよ。

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