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アウトプットが怖いとき、そっと背中を押す言葉 〜自己流〜
アウトプットって、エネルギーがいる。
物理的にも、精神的にも。
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人前での発表、文章や作品の投稿、会議での発言…。
身近にアウトプットの機会はたくさんある。
おうち時間が長くなって、クリエイティブな発想力が試されてる感じがする。
私もせっかくやからとこの機に乗じ、noteを始めたり、筆ペンの手書きポストの更新数を上げようと奮起したり。
定期的に更新する!と意気込んでいた。
……最初は。
言うてまだ1か月経つか経たんかぐらいの短期間やのに、早くも壁にぶち当たり。
目標高すぎた、とか
目的迷子になった、とかありながらも、
毎回感じてしまうのがこれ。
なんか知らんけど出すのが怖い!
新しいことってわくわくする。
でも同時に、どきどきもする。
気持ち高まるどきどきだけじゃなく、
不安や怖さ、自信の無さも含まれてて。
・出して大丈夫かな
・このレベルは恥ずかしいかも
・笑われたらどうしよう
”人の目を気にしすぎ星人” は、こんなことばっかり頭を過って、どんどんどんどん怖くなる。気にしてもしょうがない。そんなん分かっとるけど、なんか心許なくて。武器なく晒されるような、裸で飛び込んでいくような感覚。
自分で出しときながら、出すのが怖いっていう矛盾…。
きっと人一倍、失敗するのが怖いんやと思う。
実際に渡ってみんと分らんのに、何度も何度も石橋を叩きまくるスタイル。いや、ただ頭で思い巡らしてるだけやから、石橋の前でウロウロしよるだけかもしれん。ナンテコッタ。
そんなときに思い出す、
お守りのような言葉がある。
評価の土台に上がっとること自体、もう評価に値する。
誰の言葉かも、正確な言葉かも曖昧なんやけど、
はっとした考え方。
アウトプット(世に出す意味で)
= 他人に評価されうる土台に上がること
とするなら、
その土台=勇気があるから立てる場所。
やから評価される台に上がっとる時点で、
既にその場所に立つ勇気と行動力は評価されて良いんだー!って。
うわあ…
って、何か反省したのを覚えとる。
例えば芸人さんがめちゃくちゃスベったとき、テレビの前であーあって笑いよったけど、そのステージに立ってやり抜いた勇気、確かに凄いかも、、、とか。
(芸人さんの本望かは置いとかせてもろて(__))
全世界のアウトプットしてる人に
拍手を送りたくなった。
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たとえ自己評価30点や40点のものでも、
それを出すのを止めたら 0点 なわけで。
たとえ出して周りからの評価が低くても、
その場所に立っているという勇気は
それ自体もの凄いわけで。
そこに本人の自信があれば、
心なしか魅力度割り増しになってる気がするし。
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私もまだまだやと思いつつも、
数こなすうちに
いつか量が質に転化すると信じながら、
出すのってまあまあ凄いぞー!って
自分で応援しながら、
マイペースに続けていこうと思う。
どうしようって二の足踏んでしまうときは、
またこの言葉に背中を押してもらおう。
あと、素敵やなと思ったことには、
「素敵ですね!!!」って、もっと相手にアウトプット届けようと思う。
私がもらって、めちゃくちゃ嬉しかったから。
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今日も今日とて、
私のアウトプットにお付き合いいただき(しつこい笑)ありがとうございました。
感謝を込めて。
おしまい。