生い立ち(出生~幼少)
2004/6/23
両親ともに公務員という周りから見れば裕福な方の家に、僕は生まれた。 僕には2つ離れた兄もいた。 好奇心旺盛なのに注意力がなくて周囲の人をよく困らせていたそうだ。
2歳 父親の仕事の関係で海外へ移住した。 記憶は薄れつつある。でも、それなりに友達もいて幸せだった。 誕生日には知り合いをみんな呼んでパーティーをするという文化を初めて知った。
2歳後半頃 母方の祖母が亡くなった。 母親は祖母に会いに一旦帰国したが、祖母に言われて最期を看取ることが出来なかった。
「“僕の本名”が待ってるから、早く帰んなさい。来てくれてありがとうね」
これが母親が聞いた最期の言葉だった。思えば母親はこの時から心の奥底で僕を嫌っていたのかもしれない。僕がいたせいで母親は祖母の最期を看取れなかったんだから。
5歳 父親の勤務期間が終わって帰国。 地元の幼稚園に通うが、人との接し方や日本語の難しさに戸惑って、周りから馬鹿にされることが多かった。キリスト教系の幼稚園だったから、先生はとても優しかった。
卒園式前日 東日本大震災。 僕はあの日、幼稚園の預かり保育で遊んでいた。家が古かったから次の日には近所に引っ越しする予定だった。だから、家具などに損害はなかった。家が傾いただけ。地震発生から1週間、車中泊を余儀なくされた。四国に住む父親の友人が物資を持って車で来てくれた。毛布や食料、ガソリンの他に、僕と兄にお下がりの服とお菓子をくれた。人の暖かさに初めて触れた。