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《33通目》ピアスと、ろけっとランチャー
先生へ
今日はちょっと奇抜なこと、というか…
一大学生が何を書いてんだってことを書きます。
アートって、この世から完全に消すことができない「爪痕」として、原子みたいに消えずにあり続けると思うんです。そして多分、アートだけが「この人」って人がこの世に確かにいた、証拠になると思うんです(もう写真も加工できる時代になっちゃってるし…)。
そんなアートの中には、社会に対してもの言いたげな感じの作品もあふれていて。論文だったり(今のところアートの一つなんじゃないかな…って思ってて、先生どう思いますか…)、お笑いだったり、音楽だったり、詩だったり。
今日はちょっと音楽の話を。
世の中に対して何か言いたい、もの申したい。この気持ちは二種類に分類できる気がする。
一つは、私を認めてよっていう不満。二つ目は、私も含めた社会への不満。
不満に私が含まれているかどうかの違いです。
でも、それだけでだいぶテイストが変わってきて。
具体例を挙げることは出来ませんが、一つ目の私を認めてほしい系の歌詞は、どんな優しい歌詞でも、ピアスとか、ブレスレット、派手な髪色やナイフを武器にして主張するような、どこか攻撃的な印象を受ける。
二つ目の、私も含めた社会への不満系の歌詞は、ロケットランチャーや、ヒーローの人形みたいな、おもちゃみたいな武器を使った反抗のように映る。
どっちが良いとか悪いとかって話ではなくて…。
一つ目に関しては、私はそんな主張する自信もパワーないなー、強いし、すごいな。とか。
なんとなく二つ目に関して、言葉がおもちゃの武器に見えるのは、自分が無謀さを感じてて、諦めがあるからだろうなーとか。
一つ目の方が、現実的にどうにかできる気がしてるんだろうな。でも、二つ目を考えられるような人間になってやっと、人生始まるのかもなっても思う。
ピアスは時間経ったらどこいくか分かんないんだけど…。多分だけど、ロケットランチャーは持ち主がいなくなった後も、古く、さびれた公園で、次の持ち主を待ってるんだろうなって気がする。
そーゆうことをごたごた考えました。
2024.11.21 バズ欲しい、おもちゃじゃないけど れいん。