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《50通目》私を知るとは

先生へ
あっという間に50通目になりました。

まだ、手ごたえみたいなものを感じることは出来ていません。おそらくそれを感じられるのは来週先生の授業を受ける時かと…。
その時に先生と考えのやり取りをしたときに、手ごたえとか、前に進む感覚を感じることができるかもしれません。

このことから…。
自分を認識するには、必ず他の人の存在が必要不可欠ということを改めて考えさせられます。
自分のことは、自分で見ることができないから、他の人に触ってもらう。そうやって、私の内と外の境界線を、色ペンスケッチで引いていく。
自分を知るって、そういうイメージです。

私という人間を他の人に打ち明け、その人から返信をもらう。
「それな」
「でもその観点からいくとさ」
「おもしろいね」
「考えたことないわ」etc…
私は今までそういうやり取りを通して、私という人間が何をよく見て、何についてよく考えているのか。それを知る事ができたように思います。

そうやって知る事を繰り返しながら、自分って人間がどういうやつなのか、描写していくと思うんです。
その過程で、うれしい時もあるし、がっかりすることもある。
プラスの線(多分黄色)で自分が描かれれば、いい思い出になる。
マイナスな線(多分みずいろ)が重なれば、他の人を痛みを理解できるようになっていく。
みんな黄色もみずいろも使いながら、自分って人間を描写していく…。

来週、もし先生に、れいんの頭の中を喋ることができたら。
やり取りができたら。
私は、私を知る事ができる。つまりは、手ごたえを得られるのだと思います。

黄色いペンでシャッと線を落とすかもしれないし、みずいろの線でじわっとにじませながら描くのかもしれない。
あるいは、どちらのペンも使うのかもしれない。
うん。どっちでもいい。
自分がどこにいるのか知りたい。

圧倒的内向的で、人と関わるのは苦手。
だけど…。わがままだけど。
寂しがり屋だし、自分のことを知りたい。
やっぱり私には、「誰か」の存在が必要なんです。
だから、いつも私の「誰か」になってくれる人にとっても感謝します。

2024.12.3 早く来週なれー れいん。

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