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さめる気持ち

コロナの影響で、イベントごとはことごとくなくなってきた、子ども達の通う小学校だが、なんとか野外活動は縮小しつつも行われることになった。

初めて親から離れ、同級生たちと一泊するという冒険に、長男は不安に思いつつも大変楽しみにしている。

というのが、前提。

さて、情緒学級に通う長男、薬もきちんと飲み、病院にも通い、比較的安定した毎日を送っていたのが、小さな出来事から不安感が増大し、久々に「僕なんか劇場」を開催してしまった。

その際、担任教師が切ったカードが、これ。

「そんなんじゃ、野外活動に行けません」

頭に血が上り、ネガティブを全力で受け止め、自虐を目いっぱい出していた長男は口にする。

「じゃあ、野外活動に行きません」

□ □ □ □ □

その後、担任教師は校長の元に長男と行き、長男が野外活動に行かないことを念押しし、校長も了承したとのこと。

なんでだよ!

情緒不安定になった長男が、そんな売り言葉を聞けば、全力で買い取ることは目に見えていたでしょうに。
いや、分からなかったのかな?

その後、情緒学級の先生に「まだ、撤回できるからね」と諭されたのち、長男は絶望しながら帰宅した。

「先生に、お母さんに伝えてって言われたんだけど……僕、野外活動に行かないことになった」

涙目で言う長男に、私は言葉を失った。
だが、今は長男の気持ちを優先しなくてはならない。
あらましを聞いて「行きたいんでしょう? なら、撤回してもらおう」と説得し(超長い事説得した)長男は
「野外活動に行きたい。撤回してもらえるよう、伝える。勇気だす」
と、気持ちを上向きにさせることに成功した。

翌日、担任に撤回を伝えると「校長先生に言ってください」と言われたため、校長のところに。

校長「もうキャンセルしたんですけれど、頑張るというのなら何とかしましょう。自分を傷つけるの、治してくださいね」

この話を聞いた私は、頭の中が真っ白になって、真っ赤に変わって、そして諦めた。
これが、今まで私が信頼し、相談し、理解を求めてきた、小学校だ。
期待も、信頼も、相談も、理解も、少し冷静になって諦めた方がいいのだと、教えられたのだ。

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<諦めその1・担任教師の使う脅迫カード>

担任は、脅迫をよく交渉カードに使っていた。

「そんなんじゃ、〇〇できないよ」
「これじゃあ、○○させられません」

これは、決して間違った交渉カードではない。
このカードによって危機感を覚え、現状はいけないと考えを改め、気持ちを奮い立たせられる人も数多くいるからだ。

ですが、長男には全く合っていない。

長男は
「不安を増長させる」
「ポジティブ情報とネガティブ情報があれば、ネガティブ情報を積極的に取り入れる」
「受け取ったネガティブ情報から、己が無価値であり、存在してはいけないと判断する」
「一度凝り固まった思考は、落ち着くことができるまで、周りがどれだけ否定しても聞き入れない」
という特性がある。

脅迫カードはそんな長男の特性と相性最悪で、強迫により
「○○する僕は、悪い人間だ。だから、ここにいてはいけない」
という思考を展開してしまうのだ。

上記の特性の事は、情緒学級の先生を通じて伝えており、長男が興奮した際には
・簡素に、落ち着いて
・落ち着かなければ話ができないと伝える
・否定したりネガティブ情報を入れない
という話し方をしてほしい、と伝えていた。

ところが、今回、その伝達は使われることもなく(最初は使っていたのかもしれないが、長男の脳内には残っていない)相性最悪の脅迫カードが切られていた。

しかも、よりにもよって楽しみながらも不安に思っている、野外活動というカードを。

今回の説得の際、この脅迫カードは長男の脳内に深く刻まれてしまっており
「先生は、僕が自分を傷つけるようでは、野外活動に行けないといった。自分を傷つける僕は、悪いやつだ。だから行けない。もう行かないといったので、やっぱり行きたいとも言えない」
と繰り返し言っていた。
恐らく、先生が本当に伝えたかった事は、長男の頭には一切入っていない。

なので、今まで担任教師が行ってきた、強迫による前例を出していき
「担任教師は、過去何度もやめると言ってきたが、頑張ると伝えれば撤回してきた。つまり、今回も頑張ると伝えれば、撤回することができる」
と長男に伝えたところ、徐々に前例を思い出していき、最終的に撤回を伝えることができた。

この説得が、本当に長かった。
でも、なんとか持って行きたかったところへ持っていけたので、私の交渉は成功したのだろう。

□ □ □ □ □

<諦めその2・校長の対応>

野外活動は学校行事の一環であり、できない体験をするという目標があるのだから、生徒本人が勢いで言った「行きません」を即実行するとは、考えていなかった。

もしするとしても、一言親に「本人が行かないと言っているので、野外活動は不参加になります」と伝えるべきではないだろうか。

本当に実行したかは分からないが、校長は長男に言ったのだ。

「もう、キャンセルしたんですけれど」と。

この時点で、長男にはショックだっただろうし、その後に続いた「なんとかしましょう」の恩着せがましさも辛かっただろう。
生徒の自主性を重んじるとは言葉はいいが、重要な学校行事を生徒本人の意思(しかも反射的な)で勝手にキャンセルするとは……。

さっき、本当に実行したかは、といったけれど、私はキャンセルしていないと踏んでいる。
脅迫を交渉カードに出すときには、本当はしてほしくないことを出すからだ。

子どもの頃、悪戯をしたり嘘をついたりしたとき「そんな悪い子はいりません、出ていきなさい」と言われた経験はないだろうか。
本当に出ていったら、きっと親は子供を探す。
出て行かないだろうと踏んでいるし、出ていったら困る。
それでも「それくらい悪い事をしたのだ」と分かってほしいから、そのような脅迫をする。
ある意味、互いに信頼関係が築けていなければ使えないカードの一つではある。

話を戻す。
実際、親に連絡が来ていない時点で、学校側が長男を野外活動に(本音では来てほしくないと思っていたとしても)来てほしいと思っているだろう。
だからこそ、簡素に済ますべきだ。

「分かりました。なら、頑張りましょう」

たったこれだけ返せばいいのに、わざわざ「キャンセルした」「何とかする」と長男に伝えるのは、はっきり言って無駄に傷つける行為でしかない。

ついでに言えば「治る」という言葉にもひっかかった。

長男の特性は「治す」ものではないと思っている。
元々持っている特性を、治す、とは、一体どういうことなのだろうか。
元の状態に戻すことを「治す」というはずだ。ならば、元々が現在の状態ならば、どうすればいいのか。

せっかく前向きになれてきたところに「治らない僕は、駄目な奴だ」と呟いた長男の心を思うと、苦しい。

今迄、散々「一人一人の生徒に寄り添います」「個性を大事にします」と言ってきた学校の長である、校長が言う言葉なんだろうか。

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ドイツの小説家ヘルマン・ヘッセの短篇小説 『少年の日の思い出』のエーミール少年の言葉が頭をよぎる。

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」
「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。 そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ。」
Wikipedia「少年の日の思い出」より抜粋

教科書に載っていたため、たくさんの人のトラウマを植え付けた物語の一節が、今回の出来事でよみがえった。

そうか、そうか、つまり学校はそんなところだったんだな。
今日また、君たちが長男をはじめとする子ども達を、どんなに取り扱っているか、ということを知ることができたさ。

私は、過剰な期待と信頼を学校に寄せることを、やめた。
連携はする。相談もする。電話も受けるし、迎えにも行く。
だがそれはすべて長男が少しでも過ごしやすくするための事であり、決して学校という場に頭を下げ、頼り、信頼しているからではない。

今回の出来事は、私に諦めを教えてくれる、本当にいい機会だったのだ。

もしかすると、全国的に見れば「いい学校」の部類に入るのかもしれないけれど。
私の為に、長男の為に、きっとそれくらい冷めた気持ちでいるほうが、気持ちよく学校に向き合えるはずだ。

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