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デマに負けないーー“コロナ後”に向けて、ヨルダンの ある情報教育プラン
コロナ禍で、世界中のNGOなどの市民活動も今、活動停止などの窮地に直面している。各地で子ども達の教育支援を実践している国際NGO「国境なき子どもたち」も、その1つ。
例えばヨルダンでは、松永晴子派遣員が頑張ってきた。彼女の活動拠点の1つは、シリアの内戦から脱出して来た人々が数万人も暮らす、ザアタリ難民キャンプ[写真上/8bit Newsより]。東京ドームの112倍という広大な“仮の町”にある仮設教室で、小中学生達に教育プログラムを提供してきた。
↑(昨年3月、キャンプ内で難民自身が開いている店で、私にお菓子を選んでくれる松永さん。もう完璧に、地元になじんでいる。)
◆「あの絵本を持ってきて」
―――今、首都アンマンで自宅待機状態にある松永さんから、昨日こんな私信が届いた。(公開了承済)
コロナウィルスがヨルダンでも噂されるようになってから、私はいろいろなところでコロナと呼ばれて、私の姿を見ては口を手で覆う子どもが出てきました。
そのこと自体もショックなことでしたが、それよりも、アジア人を見たら口を手で覆うこと自体が、予防として間違っていることを全く分かっていないことに、不安を感じました。本当に、正しい情報も、きちんとした情報源も持っていない。それは、とても危険なことです。
こんな時だから、できること。
絵本「窓を広げて考えよう」を覚えていたアンマンのヨルダン人スタッフが、あの絵本を難民キャンプから持って帰ってきて、と私にお願いしてきました。ぜひ、授業の中で、具体的に身近な話題から、学ぶ機会を作りたいと。
コロナを巡る情報の混乱、誤報や虚報の“感染”拡大は、日本のみならず全世界的に発生している。その対抗策として、下村が作った「あの絵本」を今こそ活かそう!とヨルダン人が思いついてくれたというのだ。
実はこの絵本、以前から難民キャンプの授業で使用され子ども達が面白がってくれている様子が、一昨年のドキュメンタリー番組「情熱大陸」でも紹介されている。情報を一部分だけ見て即断すると間違えちゃうんだな、と視覚的に体感してもらう“仕掛け絵本”だ。
要は、子ども向けのメディアリテラシー教材なのだが、制作時に私はもちろん、日本社会で使われることしか念頭になかった。それがなぜ、難民キャンプなのか。ーーー自分達は正義、敵方は悪、と互いに思い込み決めつけ合う《戦争》という行為は、思い込みや決めつけを排そうというメディアリテラシーの発想からは対極にある。だからこそ、戦場を目の当たりにしてきたこの子達に教えなければーーーと、松永さんはコロナ騒ぎのはるか前から力説していた。
◆「いつか自分自身に後悔となって…」
先ほどの、松永さんからの私信の続き。
メディアリテラシーを学ぶこと は、「ものの見方」を学ぶことなのだと考えています。多角的な視点を持つこと、視野を広げること、ものごとの裏側まで想像すること。これは、メディアを読み解くことだけではなく、身の回りのあらゆることに応用できます。
反対に、このような見方を学ばないまま大人になったら、与えられた限られた視点のみで判断する人で溢れてしまいます。自分の意思を持たず考えずに決断を下す人、自分で決めた気がしていた決断が間違っていた時、誰かのせいにしてしまう人が育ってしまうことでもあります。
それは、いつか自分自身に後悔となって跳ね返ってくる。脅しはよくないけれど、そう思っています。
ヨルダンでも最近では、メディアリテラシー が学校で教育すべき課題として取り上げられています。でも、ではどんな授業をするのか、となると、新しい分野なのでいい参考例がなく、指導案が大雑把だったり、大事なことの一部にしか触れられていないものが、手に入る資料の大方でした。
そんな教材欠乏状態の現地に出向いて、去年のちょうど今頃、私はザアタリ難民キャンプの教室でメディアリテラシー授業に挑んだ。
(「国境なき子どもたち」>「下村健一さんの特別授業~ヨルダン活動現場より~」)
憎悪でも熱狂でもなく、「スポットライトの外側には、何があるかな?」と、戦火をくぐり抜け命懸けで脱出してきた子ども達に《別の視点》を問いかける。すでに前年、現地の先生から私の絵本の授業を受けていた子達だったので、ある程度の準備はあったはずなのだがーーーやはりハードルは高かった。目を輝かす子はパラパラで、意味がわからずポカ〜ンとする子が大半。一筋縄では行かなかったが、それでも終了後の感想文には、こんな手応えも散見された。
「とても役に立った。色んな見方があって、びっくり。ナイス」
「面白かった。この授業が一日中続いたらいいのにと思った」
「いつか、シリアにも来て欲しい」
いずれこの子達が母国に帰った時、憎悪の応酬よりも《相手の立場も想像する》広い視野の情報判断を土台にして、平和社会の再建に着手してくれたらーーーと願わずにはいられない。
◆「想像すると、何だか楽しみ」
私の授業や、一部の子ども達のこうした反応を熱心に見つめていた現地人の先生は、これをヒントに自前の授業を試してみたい、と別れ際に約束してくれた。それから1年、コロナという思いもよらぬ新たな試練の中で、その取組は一気に緊急性を増し、冒頭の「あの絵本を持ってきて」に繋がったのだが…… 即応は、コロナに阻まれた。
再び、松永さんの私信より。
残念ながら、ヨルダンも3/15から学校が休校措置になり、子どもたちが話し合いをしたり、意見交換をしたりする場はありません。
しかし、ヨルダンの学校は9月〜1月まで、2月〜6月までの2学期制なので、9月からなら、学校の再開とともに、また学級会を再開できる可能性があります。それまでに、絵本という最適な参考資料があるので、これを基にメディアリテラシー の授業構成を考えたいと思っています。
この絵本自体は、日本で実際に起きたニュースを軸に、構成されています。ただ、ヨルダンでは馴染みのないものが多いので、それをヨルダン式に作り変えたり、学校の中で考えられる子ども同士のやり取りにまで近づけたりして、具体的な例を織り交ぜていきたいと思っています。
そうだ、9月でも遅すぎることはない。コロナ禍はまだ続いている可能性が十分あるし、たとえピークを過ぎていたとしても、またいつ次なる情報混乱要因が世界を揺さぶるかわからないのだから。
日々深刻化する情勢の中、街を歩けば「コロナ」と呼ばれ、外出もままならずアンマンの自宅でひとり大きな不安に包まれているに違いないのに、松永さんからの便りは、こんなポジティブな言葉で締めくくられていた。
いろいろな見方を持つことは、たくさんの考え方の違う人たちと話をするような面白さがあります。そんな面白さが感性を育て、人の深みにも繋がる気がしています。
この絵本を基にした授業ができることは、興味深い、柔らかな感性を持った人が増えることでもあります。想像すると、何だか楽しみになってきます。
いつか、難民キャンプやアンマンの学校にこの賑わいが戻るとき、素晴らしいメディアリテラシー教育プログラムが始動できますように。
ーーー松永さん、がんばって! できる限り、お手伝いしますから!
そして今、松永さん同様に全世界で沢山の人たちが、デマに振り回されない安定した社会をなんとか死守しようと、日夜奮闘している。コロナ治療に立ち向かう医療関係の方々と同様に、この情報関係のプロたちの取り組みも、社会崩壊を防ぐ為に本当に本当に重要だ。
デマによる発熱に即応する“解熱剤”としての、《ファクトチェック》の取り組み。デマに感染しない“予防ワクチン”としての、《メディアリテラシー》の取り組み。私も後者の立場で引き続き、できる限りの努力をしていきたい。
※【急告】新型コロナのデマ・ウイルスには「ソ・ウ・カ・ナ」が効く!
※仕掛け絵本「窓をひろげて考えよう」の解説動画
(2017年作成/動画内で紹介しているクラウドファンディングは、
既に終了しています。本の内容紹介部分だけご覧ください。)