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星が消えた日。

今まで読む側でnoteにお世話になっていたが、カクヨムの近況に長々書くよりもこちらに書いた方がいいと言う意見を頂いたので、こちらに投稿してみるのもいいかなと。
城之内 綾人という人間が、今まで生きてきて、なんとなく内に考えていた事とかをたまーに吐き出す場所にさせてください。

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さて、最近になってよく思う事がある。
「もし、母方のおばあちゃんが生きていたら……今どうだっただろうか」ということだ。

母方のおばあちゃん(仇名で呼んでいたので、以下仮で「Oちゃん」とする)は、今から10年前……私が20歳の時にこの世を去った。死因は心筋梗塞。それまで特に病気なんかしたことがなかった彼女の命を奪ったのは、過度のストレス。そしてそのストレスの根源は私だった。
当時就職活動に失敗し続けていた私を、Oちゃんはずっと案じていて、それがある時限界値に達したらしかった。「毎朝毎晩、ずっと仏壇に座って綾人が就職できるようにって祈っとった。ずーっとよ」と後から祖父に言われた時、そして実の母から「あんたが殺したんよ。あんたがちゃんとせんかったけぇよ」と言われた時は、でっかい岩で頭を殴られたかのようなショックを受けた。(後々母にその時の事を聞くと「そんなことを言った覚えはない」と言われた。酷いものだ)
そしてそれから約3年もの間、私は働くことも出来ず、ずっと狭い部屋の天井を見て鬱鬱と過ごすことになった。

そんな具合で、20歳を機に私の人生は大きく歪み、性格も大きく変貌した。
昔はネガティブな割にどこか陽キャな面もあったが、それらが全て消え失せ、自己肯定感だけが無駄に低い面倒臭い人間になった。社会復帰をなんとか終えた現在、たまに出会う学生時代の知人には「え!? 誰かと思った、そんな雰囲気じゃなかったよね?」と、何があったかと聞かれるザマである。もちろん上手く説明できない上に、話せば長くなってしまうから適当に誤魔化すが、原因は20歳の時のOちゃん殺人事件で間違いない。
あの瞬間、自分の中でキラキラしていた「星が消えた」のだ。

Oちゃんは、私にとってはある意味「母よりも愛してくれた人」だった。
幼い頃暇さえあればOちゃんの家に泊まりに行き、美味しい物をたくさん食べさせてもらい、セーラームーンのビデオを借りに連れていってもらったり、広い庭に出て鬼ごっこやボール遊び、竹馬、バトミントンなんかに付き合ってもらった。夜寝る前に当時流行っていた日清の「ごんぶと」というカップ麺を、Oちゃんと妹と私で祖父に内緒でこっそり食べて寝るのが冬の楽しみだった。こうして寝るとお腹がぽかぽかして寝られるような気がしていたのだ(今となっては太るだけの恐ろしい行為だが、Oちゃんは当時60代だったというのに付き合ってくれていた)。
夏の夕方には枝豆やそら豆を茹で、魚を煮る甘辛い匂いを嗅ぎながら祖父とお風呂に入り、出たら待っていたOちゃんに体と髪を拭いてもらう。テレビではカードキャプターさくらがやっていた。今でも夏の夕方にはあの頃の景色を思い出してしまう。
子供の時は、「大きくなったらOちゃんに恩返しするんだ」と、そう信じてやまなかった。私の前には常にOちゃんという星が存在し、その星が足元をなんとなく照らしてくれていたおかげで、一点を目指して歩くことが出来ていたのだ。それは間違いない。

だが、そんなOちゃんを、私は結局自分の不甲斐なさで殺してしまうことになった。

Oちゃんがいなくなった後、家族の態度は一変したし、なにより環境が一変した。母は残された祖父の介護に走るようになったし、思春期を迎えたころから険悪になっていた妹とは更に険悪になった。私はニートを何とか脱出したものの、結局スカウトで入社した事務職では最低賃金スレスレの給料しかもらえず、医療費もかかるためにお金が思うように貯まらない日々。はやく実家を出たいと思いながら、気がついたらアラサーになってしまった。

アラサーになって毎晩のように思う。
もし今、Oちゃんが生きていたらどうだっただろうと。
私はずっとOちゃんを目印にして歩いていた。その星が消えてから10年……気がつけば、私はどんどん性格も考えも醜く寂しいものになった。なんというか、それまで見えていた星の光がなくなったから、歩く道が違っても気がつかなくなった。どれが正解かわからなくなったし、今自分が間違った道を歩いているとしても、じゃあどこをどう進めば正しい道に戻れるのかも見当がつかなくなった。
「綾人ちゃん、こうよ」と優しく言ってくれるあの一言が、もう無くなってしまったのだ。

Oちゃんの中で、私は綺麗で無垢だった頃の城之内 綾人で止まっている。
だけど現実の私は、どんどん、どんどん、擦り切れてみすぼらしくなっていく。あれから10年、Oちゃんに言えないようなこともたくさんしてしまった。だけど、それらを清算することもせず、私は今日ものうのうと生き残っている。
もし、今の私をOちゃんが見たらなんていうだろう。
きっと彼女は怒らないだろう。でも、きっと悲しそうな顔をして微笑むと思う。10年も経つのに、その顔も表情も声も、まだ忘れていない。
忘れたらいけないと、そう無意識に思っているのかな……。

*****

終わらない暗闇に、星を思い浮かべたら銀河の中……と言うような歌詞を歌った曲があったが、ニートで引き籠っていた時は、本気でそうだといいと願っていた。
当時は真っ暗い部屋で、電気も付けずに息をしていた。あの時から比べたら確かに今はマシになったのかもしれない。だけど、それは恐らく「外から見た城之内」に限った話である。現在でも心はどんどん、下へ下へとゆっくり落ちているかもしれない。

星が消えた日は、いまだにずっと忘れられない。
あの日流れていた曲は聴けないし、見ていたアニメは見られない。

そんな現実を、私は今生きている。

親愛なるOちゃん。
いつか地獄に落ちる日が来たら、ちゃんと謝りたい。
でもきっと貴女は天国にいるから、どうかその時一瞬だけでいい、会いに来てくれないかな。

そう思いつつ、筆をおく。

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