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子ども
2024年1月23日 instagram投稿内容掲載
「あなたは子どもに好かれやすい」とよく言われる。たしかに嫌われることがあまりない。最初は警戒していても数時間後には大体ちょっかいを出されるまでの関係性を築くことができる。
じゃあ子ども好きかと言われればそんなこともない。もちろん嫌いでもない。ただ子どもと遊んだりお話しするのは好きだから自然と関わる機会が多い。
母親曰く「同レベルだからよ」なんて一言で片付けられるが、それよりも大人と子どもを二極化せずに延長線上にあるものだと捉えているから。
自分も子どもだった。そして今でも中に存在している。微かに残るものが同調しているのだ。
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山梨を拠点に活動するようになって、東京へ行くときは友達の家に泊まる機会が増えた。
最近では家主不在の中、鍵を借りて滞在する時間も増えている。なんて図々しいと思う反面、「この人なら大丈夫だろう」とそれなりの信頼を感じ取ることができて、デリケートな現代においてありがたく貴重な関係性だ。
「やあ」
友達の息子Iくんから「いつ来るの?」と電話が掛かる。彼は開口一番に「もしもし」ではなく「やあ」とか「元気?」などと話すので、幼いながらにスタイリッシュだなぁと感じた。
家に到着するとIくんはゲームをしながら床でゴロゴロしていた。テーブルの上にはお菓子の袋が散乱している。
「これね、さっきまで友達と遊んでた名残り」
親不在の子どもが部屋で過ごすとこんな状態になるのだろう。よく母親が「こんなに散らかしてー!」と怒鳴っていた記憶が蘇る。そのままにする訳にもいかないので8:2の割合(もちろん自分が8だよ)で片付けをした。
ご飯を一緒に食べることにした。外出しようと準備していると、Iくんは半袖で出かけようとするから全力で止める。外は寒い。
「どうせ近いらから大丈夫だよ」と話す姿が、幼少期一緒だったTくんに似ていた。彼もいつも半袖短パンだった。寒い冬をいかに薄着で過ごすか我慢大会をしていた。周りは不思議と賞賛に近い雰囲気になって、Tくんも満更ではない様子だった。
そんなTくんと似た感覚なのかと思えば、シンプルに上着をパパの家に忘れただけで、自分の服をを貸し出すとあっさり着るから「なんやねん!」とツッコミを入れる。
金曜日はお店が混雑していて、予約時間まで夜の街を散歩する。腹ごしらえにたい焼きを立ち食い、ゲームセンターに寄り、マリオカートで火花を散らし、UFOキャッチャーでお菓子をゲットする。ベンチに座り、街並みを眺めながら食べる。
そんな腹ごしらえのおかげで、Iくんのお腹は程よく膨れていた。ご飯のお茶碗がすーっと自分の元に寄せられる。「なぜ食べれないのに頼んだ」と目を細くして視線を送ると、Iくんは若干の申し訳なさと甘えた感情を出してニヤリと笑う。大人にそんな目線を送られたら笑うしかないよね。
腹が満たされて、帰宅後は風呂に入ってあとは寝るだけ、風呂上がりに濡れた髪を乾かさずに横になるので風邪をひかないようにドライヤーを促す。
子供は寝相悪いのが当たり前なのだろうか。甥と姪もとっても寝相が悪い。隣で寝ているIくんも例外ではなくて、毛布を足で蹴飛ばしていた。
代謝が良くて暑いのかな?でも寒さで体温はすぐに戻ってしまう。気づいたその都度、毛布をかけ直す。斜めに寝ようものなら自分のスペースが無くなるので、よっこらせと定位置に移動させる。
ちょっと貴重な子育て体験。
全世界の母と呼ばれる存在に頭が上がらない。
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いつの日だったか、産まれて間もない子どもに「この子には発達に問題があります」と発言をしたお医者さんが存在することを聞いて目が丸くなった。医学的な基準があるのは知っていたけれど、『産まれたてなのに、そんなすぐに決められてたまるかいな!』と内心ツッコミを入れたくもなる。
真っ白なキャンバスみたいに、その子は何色でも染まれるし、自由にその一瞬一瞬を長い人生をかけて味わうのが楽しいのではないかと思っている。少年少女たちよ言葉だけに囚われてはいけないぞ。