開催レポート13「自分自身の作り方」
こんにちは。れいこう麗澤会では1月16日〜20日にかけ、オンラインキャリアトークという無料のキャリアイベントを実施しています。今回は1月19日(火)に実施した「自分自身の作り方」の開催レポートをお送りします。なおこのレポートは大学生サポーターの<オダアキコ>さんが執筆してくれました!
講師紹介
宮崎 梨奈さん
神田外語大学 外語学部 国際コミュニケーション学科 3年。千葉県の公立中学校を卒業後、八千代松陰高等学校IGSコースに入学。38期卒業生。高校で韓国語を学び、韓国語スピーチ大会にて入賞。韓国語が得意だが、英語は「好きじゃない」。
大学は韓国語学科に入学を希望していたが、なぜか英語系の学科に入学してしまう。自らのやりたい事とは異なる専攻で、新たな出会いがあり、現在はコミュニケーション学、教育学、障害学など様々な分野を勉強中。
話の内容
①アイスブレイク:韓国旅行
大学1年生の夏休みに3週間、短期語学研修に行った。
・韓国の高校生の制服の体験
・現地の方との交流:相席や唐辛子の頂き
・好きなアイドルが撮影した場所への観光
・屋台での食事
⇒計6回程、韓国に行った。
<伝えたいこと>
「思い出」が自分を作る。
だから、沢山思い出を作って、経験をしてほしい。
それが良くても悪くても。
その全てを、「思い出」として作って欲しい。
②自分と韓国
(1)好きこそものの上手なれ
・小学校6年生
「第二次韓流ブーム」の時代で、ここが出会い。
“何語!?”と感じ、“喋れたらかっこいいんじゃないかな…?”と思い、直ぐに勉強を始めた。まず、ハングルを覚えて、歌詞の翻訳をしてみた。
大人には“直ぐに飽きるだろう”と言われた。しかし、自分は飽きずに韓国語を話せるようになる自信があった。
・中学校1年生
幕張メッセの韓国語表記のものが、読めることに気づく。
勉強を初めて3ヶ月位だった。
・中学2年生
初めての韓国旅行に行った。聞き取れていることに気づいた。
しかし、会話を返せなかった。
・中学3年生
2回目の韓国旅行に行った。スタバで、簡単な会話が出来ることに気づいた。自分が話せたことに本当に感動した。
(2)「好き」は「武器」になる、(3)何が好きか、誰にも負けないことを作る
高校2年生の頃、悩むことが多かった。自信がなく、自分が嫌いになった。でも、韓国語だけは絶対に誰にも負けない自信があった。実際に、その期間に韓国語のスピーチで入賞し、成績が付いてきて、助けられた。
(4)努力なしに武器には出来ない
才能があるわけではない。好きだから、努力できる。
自分も、全部が100%じゃない。
器用なわけではなくて、プライドが高いので、そう見せている。実はすごく悩むこともある。
(5)両手の器を意識する
手を抜くは、悪いことではなく、自分を守るためには必要だと思う。
全部に努力するのではなく、必要な部分は抜くことも大切であると思う。
<伝えたいこと>
自分に自信がない人は、何が好きか、誰にも負けないことを作って欲しい。そして、好きなものを作れたら、それを武器にできるように努力してほしい。でも、無理しないで、手を抜くときがあっていい。
③大学選択から現在まで
(1)大学選択
小6から韓国語の勉強を続けていることもあり、将来も韓国に関わりのある仕事に付きたかった。
具体的には、韓国の空港のグラウンドスタッフになりたかった。ある時、会社の方々にお会いできて、すごく熱心にお話してくださった。一緒に働きたい、そして恩返しをしたいと思った。
⇒韓国語学科に行こうと考えた。
第1志望校:神田外語大学 外国語学部 アジア言語学科 韓国語専攻
結果は合格!ではなぜ、国際コミュニケーション学科に行ったのか?
(2)国際コミュニケーション学科に行った理由
1.家族が韓国語学科を全力で止めた。
2.韓国語だけでは就職できないことに、薄々気づいていた。
3.英語に少しだけ興味があった。
(3)入学してから
毎日英語の授業:週8コマ
全部英語で授業される
先生が「怖い+よくわからない」
周りの友達は英語が「好き」
韓国語学科の友だちができた。その子達は、入学当初全く韓国語がわからないが、3ヶ月後には同じくらいのレベルになった。
⇒自分はやりたくないことを毎日授業でやっていて、他方でやりたいことをやっている友だちがいる。そして、いつしか“辞めたい”と思うようになった。しかし…
(4)大学に入ってしまったら、相当の覚悟がない限り、「やり直し」ができない
キャリア的にすべてが1年遅れることは、かなりリスキー。
(5)どこの大学に行っても後悔はする。
辞めて違うところに行ったところで、同じことを言う気がした。
そして…
(6)今の境遇でやりたいことが出来ないか模索する
今の境遇でやりたいことができないかを模索した。
具体的には、とにかく「韓国」とつながりのある授業を受けた。
そうすると、意外とやりたいことを全部できた。
違う文化まで勉強できる学科だったので、逆にラッキーだった!
(7)やめるだけが解決策じゃない
次の気付きは、“国際コミュニケーション学科の友だちができない”、ということだった。
そこで、“留学生のグループに入っちゃおう“と考えた。
1年生後期。日本語の講義以外は、学内では英語・韓国語しか喋らない生活になった。
それがとても良い「思い出」になった。
⇒やめるだけが解決策ではない。大学では探せばやりたいことがきっと出来る。大学だけの話ではない。
(8)セレンディピティ(偶然の発見)
3年生のゼミ決定時のこと。
日韓の歴史教育について論文書きたかったが、歴史を扱うゼミでは不可能だった。
そのため、“好きな先生のゼミにしよう“と考え、聞いてみたところ、”どんなテーマでもいい“と言ってくれた。
→「場面緘黙症の視点から見る学校教育の問題点」という論文を書いた。障害学・教育学・コミュニケーション学を学んだ。
<伝えたいこと>
大学はとっても楽しいところ!
勉強はとっても楽しいところに行けるように、そして、その選択肢を広げるためにする。
「知識の量が、未来の量を広げる」と凄く実感する。
④最後に
苦しいことからは逃げても良いと思う。だけど、準備ができたら立ち向かってほしい。
立ち向かえるか、立ち向かえないかで、人生が変わってしまうと思う。
だから、ぜひ立ち向かってほしい。
辛かったら逃げる・また準備して立ち向かう、の繰り返しをして頑張ってほしい。
こんな質問が出ました
Q:韓国語を学んで良かったことはありますか?
A:好きなことしかのめり込めなかったので、ただ好きだからやっていた。
良いと思っていたわけではなかった。
ただ、韓国で勉強する歴史を韓国語で勉強できたことが、経験としてとても良かった。韓国語が出来なければ、その勉強を出来なかったのではないかなと思う。
Q:将来、就職はどの方面でお考えですか?
A:1番は文具系の会社に就きたい。自分は小さな不便に敏感であるので、その不便を世の中から無くしたい。また、韓国で日本の100均などのものを売れたら良いのにと思う。
Q:ヨーロッパの文房具にも良さがあるが、日本の文房具が好き?
A:ヨーロッパはきらびやかなイメージ。それに対して、日本はシンプルである。その日本の文房具を広めたい。
Q:大学に入って後悔した時、家族からどのようなサポートがあったか。
A:家族には話さなかった。
英語が喋れるようになってほしいと言われていたが、自分は嫌だったので、家族の前ではごまかしていた。
感想・まとめ
心に凄く響くお話でした。特に響いたのは、”努力なしに武器にはできない”という言葉です。本当にその通りだと思います。多くの大人が、“武器をつくれ”と言います。口で言うことは簡単です。”〇〇を私は武器にしたい”。言葉ではいつでも言えます。ですが、“これが自分の武器だ”と胸を張って言えるのは、武器にできるように努力した人だけです。そして、実際に自分が努力した人にしか、”努力なしに武器にはできない”とアドバイスを出来ないのではないかと思います。
お話の全体を通して、宮崎さんは沢山苦労や辛いこともあったけれど、このようにアドバイスが出来るほど、実際に努力をした人なのだと感じました。そして、私も、口だけ“努力”というのではなく、実行できる人間になりたいと思います。
素晴らしいお話を、ありがとうございました!