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開催レポート6「青年海外協力隊という選択肢」

こんにちは。れいこう麗澤会では1月16日〜20日にかけ、オンラインキャリアトークという無料のキャリアイベントを実施しています。今回は1月17日(日)に実施した「青年海外協力隊という選択肢」の開催レポートをお送りします。なおこのレポートは大学生サポーターの<オダアキコ>さんが執筆してくれました!

講師紹介 

山崎 尚子さん
 麗澤高校卒業後、津田塾大学で国際関係学を専攻。
 大学卒業後は書店にて正社員として約8年間勤務。
 退職後、青年海外協力隊として、小学校の頃から行きたいと思い続けたアフリカ(ベナン)へ。保健衛生の分野で2年間活動し、濃密な時間を過ごした。
 2019年に帰国。現在は福島県双葉郡楢葉町で勤務している。

話の内容

➀協力隊に参加するまで

(1)国際協力に関心をもったきっかけ
小学生・・・トットちゃんの本との出会い
小学生から中学生・・・国連や地雷撤去に興味を持つ
高校生・・・イラク戦争が始まり空爆の映像に衝撃を受ける
大学生・・・国際関係学科へ
社会人・・・就職後忙しかった。時間を作る余裕が出始めたときに、ボランティアなどをしてこれからを考え始めた。

(2)書店で学んだこと
 基本的な社会人としてのスキル。
 また、本に触れることが多かったため、社会・政界の動きに敏感になり、世界が広がった。
 さらに、お客様や営業さん、会社の人など、大事な人がたくさんできた

(3)協力隊に不向きとみられる
 自己肯定感が低いタイプ。協力隊に行かないタイプだった。
⇒他人を受け入れる力はあったと思う。
 また、断ることが苦手だったため、諦めない気持ちもあった。

(4)協力隊に参加するきっかけ
 少しの勇気やご縁で、説明会に参加した。
 その説明会で得たものは、自分にできるものを伝える力。
 さらに、他人と接するときに意識するようになった。

②協力隊生活&活動@ベナン

(1)ベナンとは
1.地域
 西アフリカと呼ばれる地域。奴隷海岸のところ。ナイジェリア、トーゴ、ブルキナファソ、ニジェールと国境を接している。
2.大きさ
 日本の約3分の1。
3.人口
 日本の約10分の1。
4.特徴
 民族が約46部族あるため、様々な方が住んでいる国である。
5.言語
 フランスの植民地であったことから、フランス語が公用語となっている

(2)活動していた地域
1.名称
 ドンガ県バシラ市ペネスル区ナガイレ村
2.接され方
 白人に会うと、現地の子供は怖がることが多い。
 現地では、いろんな方々に挨拶しながら歩くイメージ。
3.環境
 日本に比べ、厳しい環境であるため、死が身近である。
 赤ちゃんが亡くなったとき、悲しいけど神様がまた連れてきてくれると考えている。
4.宗教
 ほとんどがイスラム教。キリスト教徒もいる。対立はなく、平和的に共存している。
 開発の担い手として、宗教の存在を感じた。
 人々にとって「宗教」や「神様」の存在が大きい!
 イスラム教最大のお祭り:タバスキ・・・牛の解体をする。自分たちで食べたり、周りの人に振る舞ったりする。
 訪れた村の教会:モスクにも行ったし教会にも行った。
⇒しかし排除しようという考えはなく、信じることをお互いに尊重していた。現地には、いがみ合うということはない。
5.民族・言語
 フランスが国境を引いた。民族同士の対立はあまり聴いたことがない。ただ、トーゴ民族と遊牧民族は少し聴いたことがある。
ナガイレ村では、沢山の言語が話されている。子どもたちは、たくさん話せることが多い。フランス語は学校で学ぶため、全員が習得できるということではない。
6.インフラ
 電気・・・不安定。停電は頻発。
 水 ・・・天水の利用が基本。基本大家族で暮らすため、一日に何回も汲む。水くみは重労働。お家に引くことは少ない。乾季は足らないため、早いもの勝ちとなってしまう。水を買うこともできるが、買うことは難しいお家もあるので、上澄みを飲むお家もあった。また、飲水だけ買うお家も。
 エネルギー源・・・薪や炭の利用が基本。ガスは高価なので使う人はほとんどいない。
7.健康
 マラリアなどの感染症が多い。お薬を飲めば治るが、放置すると輸血が必要となってしまう。抵抗力のない子供はマラリアが原因で亡くなってしまうこともある。現地では、マラリアに罹っている方が多く、雨季にはかかるのがあたりまえという感じだった。
⇒座学では学べない、現地に行ったことでわかることが多かった。
 虫や毒蛇などの被害もあった。
 手洗いうがいの習慣がないので、風邪が引きやすい。
 やけどや切り傷の外傷:怪我をして良くなってなくても、お金がないので治すことができない。火やナイフが身近にあるため、外傷が多くなってしまう。辛かったことは、誤って指を切ってしまった子供もいた。。。高度な医療を払えないお家が多かったり、遠くに行かなくてはいけなかったりすることもあるので、無理やり縫い合わせることも。。。

(3)現地ネーム
 アワ・・・初めて入る白人さんという意味(アダムとイヴのイヴのイスラム名)

③安全と交通事情

道が悪い、車の状態が悪い、過積載、運転技術や交通マナーの問題がある

⇒交通事故が起きてしまう。

④協力隊の紹介

(1)JICA海外協力隊とは
 日本のODAのひとつで、JICAが実施する。
 開発途上国からの要請に基づいて、それに見合った技術・知識・経験を持つ人を募集し、選考・訓練を経て派遣する。
(2)目的
①開発途上国の役に立つ
②異文化理解
③社会還元
(3)応募
1.種類
 一般条件 短期/長期 広く応募(一部案件は45歳まで)
 シニア案件 短期/長期 要請ごと
2.資格
 20-69歳の日本国籍の人
3.応募期間
 春と秋の2回
4.方法
 一次:WEB応募
 二次:面接二回(技術/人物)
(4)協力隊の仕事
 JICA海外協力隊のHPから見ることができる。
(5)合格から派遣まで
 合格=候補生であり、様々な学習・研修などを行う。
 さらに、派遣前訓練(訓練所での訓練等)をおこなう
(6)2年間の流れ
1.渡航
 1ヶ月現地に行く。
 生活に慣れ、言葉に慣れ、仲間との関係を築く助走期間である。
2.配属
 3ヶ月の移動禁止期間。
 任地に慣れ、任地を知り、住民を受け入れてもらう期間。
3.活動期間(税金で行っているため見れるようになっている)
 2年間で5回の報告書を提出する。
(7)お金
 ボランティアのため給料はない。ただ、必要費用をいただいている。
(8)健康や安全のこと
 JICA事務所や企画調整員等の方々に相談できるようになっている。

⇒もっと詳しく知りたい方。。。URL https://www.jica.go.jp/volunteer/index.html

⑤今とこれから

大きく変わることはないけれど、ちょっとの成長ができた。宝物を沢山手に入れることができた。
 そして、かけがえのない仲間(さまざまなバックグラウンドや世代の方と仲間になれる)や少しの自信、前向きさ、度胸などを得ることができた。
 また、現地に行ったからわかったこともあり、考え方が変わった。
 これからは、ベナンの仲間と交流を続けていき、ベナンが発展していくことを見守っていきたい。

こんな質問が出ました

Q:現地でフランス語はどれくらい話したか。
A:ほとんど話さなかった。
村全体で活動だったため、学校に行っていない子どもたちもいたので、現地語で話していた。学校での活動、保健センター職員との会話の時の場合は、フランス語になる。現地パートナーの方とは、現地語やフランス語で会話をする。現地語を教えてもらっていた。

Q:ベナンで一番苦労したことは。
A:人間関係づくりが大変。
バックグラウンドがなにもない外国人が急に村にやって来るため、マイナスからのスタートだった。
 少しずつ同じ活動して、言うことを聞いて、できるようになったら認めてもらえて、やっとパートナーができて。。なので1年くらいかかった。

Q:同期で新卒の方は何を武器にして面接に受かったのか。
A:勉強=スキルという感じだった。また、学生のときに海外経験があるかたや、教員免許を持っていて、教員として行く人もいる。

感想・まとめ

 お話を伺うことのできる機会が少ない、貴重なお話でした。今までにも、ボランティアの方々のお話を聴講したり、メディアを通して現地のことを知ったりする機会は何度か有りました。ですが、実際に現地に行って経験したことを、経験した方から直接お聞きすることは滅多に無く、今回お聞きできたことに喜びを感じております。
 また、ひとつ身に染みて感じたことが有りました。それは、私達が医療を受けることができるのは、本当に幸せなことだと言うことです。お金がないから病院に行けない。治療を受けられない。治せない。そして最悪の場合、死に至ってしまう。私は医療関係の大学に通っていることもあり、とても心が痛みました。そして、この幸せな環境で生きていることに感謝しようと思いました。
 素晴らしいお話をありがとうございました!

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