春のカミーノ① 〜Girls Just Want To Have Fun
2019年5月16日、早朝4時35分。
熊野名産の皆地笠(みなちがさ)に、お揃いのヤタガラスTシャツを着た私たち3人は、パリ・シャルル=ド=ゴール空港に降り立った。世界中からありとあらゆる変わった人たちが訪れる、花の都パリでは、我々のこの恰好もさほど目立たないはず……と思っていたが、じろじろ見ている人は結構いた。スマホで写真を撮ってる人もいた。
まあ、そんなことを気にしてるのは私だけで、Miwakoもさくらちゃんもスーツケースを引いてウキウキと歩いていた。その姿は、まったくの観光客で、これから始まる長く厳しい巡礼の日々のことなんて、まるで頭になさそうに見えた。
私は3年前の春のカミーノを思い出していた。あのときと同じ時刻、同じ場所である。スペイン巡礼のガイド本を書くために、1カ月にも及ぶ取材旅行をするということで、私もアシスタントのアヤちゃんも、緊張してちょっとこわい顔になっていた。写真家の井島氏も、熊野本宮から参戦した鳥居さんも、聖なる旅を前にして、どこか厳粛な雰囲気だった。
しかし、この二人ときたらどうだろう。もしかして、リピーターである私が一緒だからと安心しきっているのではないか……チラリと横目で見ると、彼女らはいつのまにか、空港内のカフェに吸い込まれていた。「本場のクロワッサンを食べなくっちゃ!」という声が聞こえる。これって、いわゆる女子旅というやつではないですか?
軽く舌打ちしながらも結局、私もクロワッサンとカフェオレを注文した。それは実際、皮がパリッと香ばしくてほんのり甘い、極上のクロワッサンだった。なかなか幸先が良い──と思うことにした。
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これから14日間、フランス国境の村サン=ジャン=ピエ=ド=ポーから、ピレネー山脈を越え、スペインのラ・リオハ州サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダまで、約213kmを歩く。
3年前は、全800kmの前半ところどころをロケ車で飛ばしてしまったので、「次は1メートルもズルせず、全部歩きたい」と強く願った。今回は、それをついに叶えるための、第一歩となる旅である。
図版:新装版『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』(髙森玲子著 実業之日本社刊)より
もしかしたら、私は一人で旅に出るべきだったのかもしれない。ストイックな巡礼者として黙々と歩き、さまざまな国の仲間たちと親交を深め、決して暴飲暴食などせず、夜は質素な巡礼宿で眠る。そんな旅を、今こそすべきだったのかもしれない。
しかし私の傍らには、幼なじみで音楽家のMiwakoと、年下のセレブ主婦さくらちゃんがいた。もちろん二人を誘ったのは私なので、この状況は自分自身で招いたことである。
どちらも私が事務局を務めるサークル「熊野古道女子部」のメンバーであり、おいしいワインと生ハム、そして快適な宿が大好きという面々だった。
熊野古道とカミーノはいずれも世界遺産の道として、姉妹道となっている。2つの道を踏破すると、DUAL PILGRIM(デュアル・ピルグリム 共通巡礼者)という称号がもらえるのだが、これについては次回詳述する。
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Miwakoは昨年、つまり2018年の9月に、サリアから聖地サンティアゴに至るカミーノのラスト100kmを、熊野古道女子部の仲間と一緒に歩いていた。その模様はドキュメンタリー動画にもなっている。
彼女は歩くのは大の苦手で、とにかく驚くほど遅かったが、5キロの重さのアルトサックスを背負っているハンデがあるので仕方がない。今回の旅では、少しでも速く歩いてくれることを祈るのみである。
さくらちゃんはスペインを歩くのは初めてだったが、すこぶる健脚だということは熊野古道で実証済みだ。ただし巡礼の何たるかを理解しているかどうかは、はなはだ怪しかった。私が作成した行程表を、出発のつい数日前に見て、「えっ、213kmも歩くんだ〜。そんなに歩けるかな〜」と、非常に今さらな発言をしていた。
すでに「前途多難」というフラグが立っているようにも思えたが、日本を発つ直前に素敵なサプライズがあった。熊野古道女子部のツキジさんとイズミちゃんが、羽田まで見送りに来てくれたのだ。
二人とも、昨年のスペイン巡礼ラスト100kmを一緒に歩いた、まさに巡礼の同志だった。餞別として、ツキジさんは鮮やかなオレンジ色のバンダナと救急セットを、イズミちゃんは岡埜栄泉のどら焼きを手渡してくれた。
今回私たちは一緒に行けないけれど、どうか素晴らしい巡礼の旅を!──そんな彼女たちの思いが伝わってきた。とても心強いエネルギーが、バンダナと救急セットとどら焼きに宿っているような気がした。
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モンパルナス駅行きの空港バスは、5時45分発。モンパルナスからTGVに乗り、バイヨンヌでローカル線に乗り換えて、巡礼のスタート地点サン=ジャン=ピエ=ド=ポーに向かう。
お揃いのバンダナを首に巻いて、私たちは空港バスに乗り込んだ。出発と同時に流れてきたのは、シンディ・ローパーの “Girls Just Want To Have Fun” だった。女の子は楽しまなくっちゃ──たしかに、その通りだ。
「パリなのに、めっちゃアメリカンやね」隣に座っていたMiwakoがあきれたように呟いたが、それでも楽しそうにハミングしている。
女の子って、ただ楽しみたいだけよ 楽しみたいだけなのよ……何度もくり返されるフレーズを聴いているうちに、これが今回の旅における、最初のお告げのような気がしてきた。「ねえねえ、この曲、さくらちゃんにピッタリだね」と前の座席に話しかけたけれど、彼女は食べかけのクロワッサンの袋を握りしめたまま、ぐっすりと眠り込んでいた。
空にはまだかすかに星が瞬いていたが、ひとつふたつと、パリの街に差す朝の光に溶けていった。「星の道」と呼ばれるカミーノの空と、この都会の空が繋がっているというのは、なんだかとてつもなく不思議だった。
私は「前途多難」と大きく書かれたフラグを下ろし、この先どんな楽しみが待っているかだけを考えることにした──。
(春のカミーノ② に続く)
サン=ジャン=ピエ=ド=ポーの駅で、三羽ガラス!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
(春のカミーノ② に続く)