忘れえぬ野球小僧
ガキの頃の夢は、プロ野球選手になることだった。
もう小学校の低学年ぐらいから、近所のお兄ちゃんたちにまじって、野球をやっていたように思う。そして、本格的な野球チームに入ったのが、小学4年生の時だった。
そこのチームにいた二人の先輩が、その当時僕の憧れであり、今だ忘れえぬ野球小僧である。
憧れの一人であるN先輩はセカンドを守っていた。N先輩の守備を見て、天狗の鼻がへし折られた。
抜けない。守備範囲が広く、球際も強かった。鉄壁の守備である。
何しろチームで一番小柄だったのだが、右へ左へ飛び込んでヒット性のあたりを捕球する姿がとてもカッコよかった。
チーム内で一番守備が上手いN先輩は、僕たち後輩の憧れの存在であり、同級生からは一目置かれる存在だった。監督やコーチが、守備力だけならNは関西で五本の指に入るだろうと言っていた。
その後、中学生になった僕は、N先輩のいる野球チームに入り、再びN先輩と一緒に野球をすることになった。久しぶりにN先輩の華麗な守備を見ることができるとわくわくしていた。
しかし、鉄壁の守備を誇っていた小学生の頃のN先輩の姿は、そこには無かった。
わが目を疑った。左右のボールに追いつけないどころか、正面のボールさえポロポロしていた。セカンドのレギュラーには、僕の知らない先輩がついていた。
なぜ、N先輩の守備力が低下してしまったのだろうか。
それは、僕自身が中学生の野球に触れることにより、その原因の一端を知ることになる。
小学生の時と比べてフィールドが広くなり、ボールも少し大きなり重くなる。さらには、小学生の頃と比べて、中学生は体格が大きくなる。そのため打球が格段に速くて強くなる。鉄のポイントが付いたスパイクさえ重く感じた。
N先輩も中学生になり成長したのだろうが、やはりチーム内では一番小柄な体格だった。N先輩は決して守備が下手くそになったわけではない。スピードとパワー不足が一番の原因だったように、僕には思えた。
本来なら、体が成長するにつれて、中学校の野球に適応していくのだろうが、悲しいかな、N先輩は体力が追いついていないように思えた。だから、左右のボールに追いつけず、正面のボールにも打球の威力に押されて、ファンブルしてしまう。
予期せぬ栄光からの挫折。N先輩自身も中学生の野球に触れることによって、厳しい現実を知り、何度も挫けそうになったことだろう。
でも、N先輩は腐ることなく、グラウンドでは汗まみれ、泥まみれになりながら懸命にボールを追いかけていた。まさに野球小僧の真骨頂を見るおもいだった。
さて、次に登場するT先輩は、エースで四番。さらには、チームをまとめるキャプテン、まさに僕たちのチームの大黒柱だった。聞くところによると、学校の成績もトップクラスということだった。
僕はT先輩を知ることによって、「天は二物を与えず」なんてのは、ウソなんじゃないかと思った。その当時、それほどT先輩のことを完璧な人だと見ていたように思う。
T先輩に関して忘れられない思い出と言えば、予告ホームランのことだ。
その日は、練習試合を自分たちのホームグラウンドで行っていた。T先輩やN先輩の活躍もあり、練習試合を難なく勝利していた。
あれは練習試合も3試合目ぐらいだったと思う。T先輩が右打席に立とうとした時である。ベンチにいる監督さんが、T先輩に向かって信じられない言葉を投げかけたのだった。
「ボールをあの学校に放り込んだら、好きなもの食べさせたるわ」
この言葉で、球場全体がざわついた。当然僕もびっくりしてしまった。
冗談にしても、相手チームに対して失礼だし、ホームランバッターのT先輩といえども、小学生に予告ホームランなど打てるわけがないと思った。
それよりなにより、T先輩のオーバーフェンスは見慣れていたが、学校の塀を超えるホームランは一度も見たことがなかった。
当のT先輩は打席に立った時、ホームランを狙っていたのだろうか。それともいつものような心構えだったのだろうか。
僕たちは、固唾を飲んで、T先輩の打席を見守った。
あれは何球目だっただろうか。T先輩のバットにボールが当たった瞬間に、誰もがオーバーフェンスを確信しただろう。
打球の行方を見守った。ボールはフェンスを越え、グングンと延びていく。まさか、ホンマに、行った、入った。学校に飛び込む予告ホームラン。
腰を抜かす監督。歓声が沸く球場。我先にとボールを探しに行く後輩。
ダイヤモンドを少し照れた様子で周るT先輩。ベンチ前で待ち構えるチームメイト。
ひと時の間、球場全体が興奮のるつぼと化していた。凄すぎる、T先輩。
この時から、僕にとって予告ホームランと言えば、野球の神様ベーブルースではなく、真っ先にT先輩を思い浮かべるのだった。