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昭和の民間療法⁇
蜂に刺されたときにはオシッコ、火傷にアロエ、擦り傷にツバ(唾液)、ナメクジに塩。どれもこれも、ガキの頃(昭和50年代)に試したものばかり。
効き目があったかどうかは忘れてしまったが、今でも蚊に刺されたときには、患部に爪でバッテンを付けて、その上にツバを塗っている。ある種のおまじない。痛いの痛いのとんでけ~である。
昭和の常識は、令和の非常識。
ここ1,2年、はしかの流行に関するニュースを見ていて、ガキの頃のことを思い出していた。
あの頃、近所ではしかや水疱瘡などの流行り病が出ると、「大人になって罹るとしんどいから、はよ、もらっておいで」と周りのおっちゃん、おばちゃんからよく言われたものだった。
相方にその話をすると、「そうそう、よく言われてたね。でも、さすがにはしかは言われたことないわ」とのことだった。いつもの通り、僕の記憶違いか。
まぁ、いずれにしても、「アホなこと言うな」と、わざわざ病人に近づいていくことはなかった。でも、おかげさまで、おたふく風邪以外は、小学生のうちに罹ったように思う。
おたふく風邪に罹ったのは、確か中学校の三年生の時だったように思う。
連日40度以上の熱が続き、顔がパンパンに腫れあがった。さらに、ほとんど何も食べられずにいたので、点滴の針を腕に刺すという初めての経験をこの時にした。
病院の先生から、「おチンチンは痛くないか」と聞かれたのは、おたふく風邪に罹って、2,3日が経過したころだっただろうか。
熱にうなされながらも、「先生はこんな時に、なんでチンチンの話なんかするねん」と思っていた。
病院から帰った後、オカンから「高熱が続くと、将来子どもができないようになることもあるねんで」と聞いたように思う。
ただでさえ高熱でしんどいのに そのことを聞いた僕は「ウソやん」と急に不安になるのだった。
ようやく熱が下がり始め、ものを食べられるようになったのは六日目ぐらいだったろうか。トイレに行く時など、立ち上がるとまだふらつきが残っていたと思う。
でも、「子どもができなくなる」というオカンの言葉が頭からはなれないでいた。その不安を払拭するためには出すしかない。
オカンが買い物に行ったのを確認すると、すかさず自分のチンチンをこすり始めたのだった。当たり前のことだが、そこにいつもの気持ちよさなどはなかった。「子どもができなくなる」という不安を払拭したかっただけだ。無事に出たいつもと変わらぬ白い精液を見て、安心する僕だった。
そうなんです。アホなんです。
精子がいるかいないのかが問題であって、しかも、精子を目で直に確認することなどできない。だけど、そのことを知るのはず~と後のことでした。笑いたければ笑いなはれ。
幸いにも、僕には元気な娘が二人いる。
最後に、オカンから見聞きした強烈な話をして終わります。
オカンが子どもの頃、歯が痛くなった時に親にしてもらっていたとのこと。虫歯で穴の開いたところに、脱脂綿にあるものを沁みこませて詰めていたということなのだが、そのあるものが、新聞紙から出てくる液体だということだった。
むかしむかしのことなので、ぼくの妄想、聞き間違えの可能性が高い。またその当時、あまりにもむちゃくちゃな内容だったので、アホ臭くて聞き流したようにも思う。だから、詳しいことは一切わからない。
ただ、オカンの家は貧しかったと聞いている。薬の代用として本当に使用していたのなら、バカにはできない。なんだか切ない話ではある。
もう一つは、切り傷、擦り傷の血止めにたばこの葉を使うというものだった。
ある日、オカンが脛の毛をカミソリで剃っていた時、誤って皮膚を傷つけてしまったことがあった。その時、オカンは親父の紙巻きタバコから、タバコの葉を取り出して傷口にぬりつけたのだった。
それを見た僕は、当然「何するねん、オカン」とビックリしたのだが、オカンは、「ホラ、これで血は止まるわ」とあっけらかんとしていた。
この親にしてこの子あり。いやはや。
でも、絶対にマネはしないでください。