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親父と俺と
今は「亡き」、クソ親父はパチンコ依存症だった。ギャンブル依存症の人がいる家庭の悲惨さは、テレビ番組などで紹介されているのでご存じの方も多いと思います。
ご多分にもれず俺の家庭もなかなかに悲惨だった。週末の夫婦ゲンカ、借金の返済問題、生活費の工面とどれをとっても、その原因はクソ親父のパチンコだった。
そんなクソな親父のことだから、子どものお年玉や貯金箱の小銭をパクることなんて屁とも思っていなかっただろう。毎年、正月にお年玉をもらうときは、いつも複雑な気持ちになっていた。お年玉をもらうときはうれしいのだが、すぐに「どうせ親父にもっていかれるのだろう」という気持ちになるのだった。
小学生くらいまでは親父にお金をパクられても諦めていたが、中学生ぐらいになるとそうではなくなった。成長期に入り体がどんどん大きくなり、親父に対する反抗心も強くなったきたからだと思う。
親父の方も、成長してきた子どもを驚異に感じてきたのか、小学生のときほど、子どもの金に手を付けることが少なくなってはきていた。
しかし、中学の三年生の時だったと思う。机の引き出しに入れていた千円札数枚を親父にパクられたのだった。もちろん腹が立って仕方なかったのだが、文句を言ったところで、どうせ屁のカッパのクソ親父だから、無視をするしかなかった。
それから数日が経って、突然、親父が俺の前に来て、「自分の血を売って、お金を作ってきた」と言って、数枚の千円札が入っていると思われる小さなビニール袋を、俺の前に差し出したのだった。
俺は親父のその言葉を聞い瞬間、怒りがこみ上げてきて、本当に殴ってやろうかと思った。人の金を勝手に持ち出した挙げ句、返す時には恩着せがましく、せっこい小芝居じみたことしやがってと、腹が立ってしかたがなかった。金をパクられた以上に、ホンマにむかついた。
あの頃、本当に血を売って金に変えるところがあったのかどうかは知らないが、あったとして、俺には全く関係がなかった。黙って金だけ返せクソ親父としか思わなかった。
親父を睨み付けながら、俺は手渡されたビニール袋を無言で受け取ると、家を飛び出したのだった。血を売って作ってきた金など気持ちが悪くて持っておきたくなかった。ビニール袋には、2千円か3千円くらい入っていたと思うが、ゲームセンターで使ったり、飲み食いしてその日のうちに全部使ってしまった。
それからどれくらいの月日が経っただろうか。俺と親父との間で緊張状態が次第に高まり、ある日、とうとう胸ぐらをつかみ合う親子ゲンカが勃発したのだった。
ケンカを何回かしたことのある人ならたぶん分かると思うのですが、つかみ合った瞬間に相手の力量というのはだいたいわかりますよね。あ、これはヤバイ、これなら勝てるといった具合に。
俺と親父の場合は、掴んだ瞬間に「あれ、親父力無いやん。俺、勝っちゃうな」と、ここで顔面に一発入れれば、親父は簡単に倒れるなと感じてしまったのだった。
そうなると不思議なもので、親父を殴ることができなくなってしまった。親父に対する失望や哀れみといった感情がわき出してきたのだと思う。また、クソな親父でも自分の親であり、曲がりなりにも今まで育ててくれたという事実は重かった。オカンならまだしも、子どもの俺が、親を殴っていいはずがなかった。
俺は、すぐに親父をふりほどいた。親父は無言だった。オカンが間に入ってその場を取り繕ってくれたように思う。
数ヶ月後、親父は家を出た。いつもの家出かと思っていたが、それ以来、親父が家に戻ることはなかった。
冒頭で今は「亡き」と、かっこ書きにしたのだが、もし今、親父が生きていれば80過ぎだ。まだ生きてしぶとくパチンコ台に向かっているのか、もうすでにあの世にいってしまったのか、あの日以来、俺は知らない。