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素うどんと先輩

「つまり素うどんだよ。素うどんを愛し愛される人と結婚すればいいんだよ。」

そう言い残して先輩はタバコ休憩に行ってしまった。
タバコ休憩から戻った先輩に私はたまらず詰め寄った。

「素うどんは何を例えていますか?素のうどんは"素の自分"ということですか?愛し愛されるということはお互いに素うどんを有している状態ですか?素うどんが美味いと思えばその店のうどんは自分の嗜好に合致しているということですか?味付けを変える日もあるし少し豪華に着飾る日もあるが全てを愛する自信がある。そしてやっぱり素うどんが好きっていう…あ!あのスッピンが好きって嘘つく男子大学生みたいなことですか?素うどんに天かすを乗せるのは美しいものは穢したいみたいな衝動ですか?(以下略)」

お互いに疲れすぎていた。

でもこの先輩の一言にはかなり可能性を感じている。

まず素うどんというのがいい。
うどんという言葉の響き、気の抜けたのんびりとした響きが、結婚という生活感のこもった言葉にとてもしっくりくる。

次に素うどんといういわゆる「貼らないカイロ」現象が起きている言葉をチョイスしたのもいい。
もともとは素うどんがうどんだったのに、(うどんの歴史には全く明るくないがおそらくその辺のデブが)あらゆるオプションバリエーションを付け加えたことによって、ただのうどんを素うどんと読ぶことで区別する必要が生まれたのだろう。
結婚するにあたっては素のあなた、素の自分を愛し愛されることが重要だと先輩は言いたかったのだ。
現代社会において様々な自分を用意して着飾って取り繕ってそのうちにちゃんぽん麺のようになってしまった自分と区別するための、素の自分という表現だ。

なるほど。先輩はなかなか良いことを言う。

さらにすごいのが、素うどんの比喩には食べるというフェーズがある点である。
食べる、つまり相手を受け入れる、味わう、咀嚼する。そして自分の血となり肉となるが、ほうれん草を食べた自分の手が緑色にならないのと同じ様に、相手に染まりきることはない。
ただ、生きていくための栄養となる。

なんて素敵なことを言うのだ、先輩!

この素敵な話を是非とも共有したい、さらには議論を深めたいと思い、日々お昼ご飯を共にしているお姉様方に話してみた。

「それは、天ぷらうどんを食べると少し胃がもたれちゃうよ〜。ということかな?」

私はこの人たちが大好きだ。

それでは、良い週末を。

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