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北欧語翻訳者読書日記――『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』

 『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』素晴らしい本でした。

 著者のミア・カンキマキさんとヨーロッパ文芸フェスティバルのパーティーでお話して以来、邦訳が出るのを大変楽しみにしていました。

(印象的だった言葉)

●(清少納言の作品は)平安時代によくある文章スタイルではない。それは(中略)紫式部の『源氏物語』のような物語ではない。(中略)日本人研究者が一八〇〇年代に随筆というジャンルを考えついて、死後、ようやくあなたはその第一人者に名づけられた。現代の研究者たちの中には、あなたのことをエッセイストとか警句を吐く人と思っている人もいるし、コラムニストの先駆けとかブロガーの先駆者とまで考える人もいる。(中略)一九〇〇年代の初めのヨーロッパではあなたは印象主義者だと思われていたけど、二〇〇年代ではあなたの文章の性質からするとブログになる。

●(京都の図書館で)わかった事実一をメモに取る。
「一、私はあなたの本を研究するために京都に来たのに、あなたが書いた本は、厳密に言うと存在していない」

● (清少納言のものづくしリストは)その多くが変わっているので、訳本では翻訳されずに取り除かれているほど。研究者たちは、あなたのリストが何を意味しているのか、なぜあなたは例挙したのか、どこから着想したのかについて議論を交わしている――こういったリストは日本文学であなたの前にも後にもない。(中略)リストは、あなたの本は何であって、なぜ書かれたのか、というもっとも大いなる問題を解く鍵であるかもしれない。

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●私はヴァージニアのナイトテーブルにあったウィリーの訳をついに読み終えたとき、恐ろしい事実に突然、気づいた。セイ、ウィリーはあなたの文章を省略していた。(中略)セイ、ヴァージニアは知らなかった。ヴァージニアは「知らなかった」のよ。

●アーサー・ウィリーの訳した本は多くの人が原文とまるで似ていないと思うほど、自由なものだった。

●いつの時代も、いくつになっても幼稚園から百歳まで私たちは男たちについて話している。彼らはどういう男たちで、一緒に暮らすとどんな感じで、私たちの人生にどんな影響を及ぼすのか。

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●なぜだか書いてはいけない諸々の理由が頭の中で渦巻いている。なぜ私は書いてはいけないのか。私が出版業界にいるから――都市伝説によると、私みたいな人は皆、ひそかに本を書きたいと夢見ている。だから、そういう夢を実現することはまったくもってバカげている。(中略)ところが、ウルフが(ヴァージニア大好き!)一九二九年に『自分ひとりの部屋』の終盤で高らかに声を上げた。「みなさんには(女性たちには)あらゆる本を書いてほしい。些細なテーマであれ、ためらわず取り組んでほしいと申し上げたいのです。みなさんには、何としてでもお金を手に入れてほしいとわたしは願っています。そのお金で旅行をしたり、余暇を過ごしたり、世界の未来ないし過去に思いを馳せたり、本を読んで夢想したり、街角をぶらついたり、思索の糸を流れに深く垂らしてみてほしいのです」ヴァージニア・ウルフ、ありがとう。

●福島の原子力発電所の流出箇所を埋める作業は難航していた。流れが強すぎて、コンクリートが固まらないのだ。

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●セイ、これはほとんどあまりにも皮肉なことだけれど、私が見付けることができたあなたにいちばん近い具体的な事もしくは物は、道長の日記だった。(中略)その宝に京都国立博物館の展覧会で遭遇したのよ。そういうものがあったことすら私は知らなかった。ましてや「道長の自筆本十四巻」すべてが残っているなんて。平安時代の女性が書いた一冊の原本の十四倍。(中略)目の前に広げられた光景にくらくらする。

(感想)

 素晴らしい作品だった。最後まで夢中で読んだ。『ヒロインズ』『かわいいウルフ』を読んで、新しい海外文学、女性史の新しい紹介の仕方に驚いてきたけれど、この本はそれらの作品に続く作品だと思った。

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 あとがきでは、カンキマキさんの2作目である『夜に私が思う女たち』について書かれています。デンマークの女性作家カーレン・ブリクセン(イサク・ディネセン)を追ってアフリカ→ルネサンス期の女性画家を追ってイタリア→草間彌生を追って日本へ。

 こちらも英語やデンマーク語などでしか読めませんが、素晴らしい作品です(フィンランド語は全く分かりません)。邦訳を待ちたいです。

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