#40 『正解』を探し続けた人生だったかも 21/100
昨日、とある人に
『あなたが何がしたいのか?がわからない』
と言われました。
この言葉、記憶にある限りで言われたのは2回目なんですが、今日はその話。
■1度目は整体のテスト
一度目は約13年前…?
整体の最終試験の時でした。
行っていた整体学校は最終テストとして、
学科試験と実技試験がありました。
実技は先生の身体を使っての施術。
施術を終えた後、先生に言われた一言が、
『んーっとね…出来てるか?と言われたら出来てるから合格なんだけど…
◯◯さんが何がしたいのか??
…は、わからない
そんな感じかな。』
その時は、
『はあ…』
と思いつつ、合格できたことに安堵したことを覚えています。
■2度目は自分の講座の後
二度目は昨日。
とあるカフェで、自分が資格をとった分野の講座を開いたのですが、参加者さんが30分ほど遅れてきたのです。
※その資格はあえてオフレコにさせてください。
なので、時間配分等がぐちゃぐちゃに。
次に講座を開く予定だった方(Mさん)が既にきていて、その光景(わたしの講座)を見てたのです。
Mさんはもう70歳過ぎの大ベテラン。
キャリアも経験も積んだ方。
自分の講座を終えた後、Mさんの講座に勉強がてら参加させていただき、その内容や講座の流れに圧巻。。
年齢も経験も違うので、そこは比べても仕方ない話。
なので、問題はそこではなく。。
講座終了後、Mさんに言われたのです。
『さっきの見ててね、あなたが色々やりたいことがあるのはわかったんだけど、
あなたが一番伝えたいこと、したかったことはわからなかった』
自分でも“まさに”…だったので、出る言葉もなかったのです。
■ベクトルが変わってしまう
実は整体も、今回の件も同じことが言えるなって思います。
それは、、
《誰に対して頑張ってるか?のベクトルが変わってしまう》
整体も今回の資格をとった分野も、
少なくともわたしは
ー誰かの役に立ちたい!ー
って思って勉強したんですよね。
しかも、大人だからそれなりに大金も払って。
でもそれがいつの頃からか、、、
ー先生に怒られないようにー
に変わってしまった。
だから、わたしのエネルギーは目の前のお客さまではなく、
見えないところにいる指導者(先生)に向いてしまってたのかもしれません。
■思えば小さい時からそうだった?
これに気づいたとき、ふと、小2の時の感覚がよみがってきました。
それは、
《…このままではいけない…》
というもの。
これ、たまに思い出すんですけど、
実はこの感覚、よくわからなかったんです。
でも確実に小2のときにそう思ったことがあり、そこからある意味で『本当の自分』を捨てて生きてきました。
その自覚はあるのです。
今回、その時の感覚が蘇ってきたとき、
わたしはこの時から
『上の人間(先生)のご機嫌をとる』
ことに決めたのかもしれない…
と思いました。
☑︎褒められたい
☑︎認められたい
☑︎存在を知ってほしい
そのために、
☑︎何が先生にとって正解なのか?
☑︎どうしたら先生は喜んでくれるのか??
そればかり考えていた。
そこにもちろん、自分は居ない。
いつも“誰かの正解”を探していました。
■もう大丈夫だよ…
ちなみにさっき、『ご機嫌をとる』って書いたけど、
結局誰かの『ご機嫌』なんてとれたことはなかったかもしれない。
わたしが良かれと思ってやったことは、
もしかしたら誰も喜ぶことではなかったのかもしれない。
そう思うと悲しくも寂しくもなるが、不思議と、
不必要だとは思わない。
全て必要な経験だったとは、思う。
だけど、小2の時のわたしに、今なら言える…
もう大丈夫だよ
って。
もう誰かの正解探しはやめよう。
自分を生きて良いんだよ…と。
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