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不登校娘、再び学校へ行く

前回、登校したのが4月の終わり。

それから約4週間後、娘は学校へ行き、

その2日後の今日、再び登校した。

今日は友達と歩いて帰ると言った。


中1日空けただけで連続登校したのは、
2年前の小学4年以来だった。

あの時もまた「明日も続けて行く」と意気込んで、確か行ったのだけど、僅かだったエネルギーは完全にプツンと枯れて、それからまた行けなくなった。

昨日の夜言った「明日は行く」は、
本人としては2年前のそれと大して変わらないかもしれない。
でも、私が見る分には明らかに変わっている。

その違いは本当に僅かなものだけど、
自分と周りの「折り合い」をつけられるようになってきた、のだと思う。

2年前は登校した様子を聞いても
「別に」
「さあ」
それだけだった。
それ以上聞けない、殺伐とした空気があった。

今回は割とたくさん話してくれる。
今日も帰宅してから、
「今日さ、窓から下の学年の男子がこっち見てて…」
「うんうん」
「で、手振っちゃった(笑)」
「ええー(笑)」
なにその返し…
最上級生になったことでの「心の余裕」が出ているのかもしれない。


もちろんまだまだ集団授業は無理。
(なので別室登校で数人と過ごしている)

でもそれでいい。
無理やり参加させない担任の先生や学校の対応がありがたい。


それでちょっとずつでも「自分なりの学校の接し方ができるようになった」と思えてるとしたら、自信になっていると思う。

2年前、生まれて10年にも満たない人生で、わけがわからないまま自分にも周りにも絶望して。
たぶんあれは思春期も重なったんだと思うけど。
そして自分自身を傷つけたりもしたけど。


少しずつ少しずつ、自分を認め、
それから、
理解はできなくとも他人を認め、

やっと今、
少しずつ少しずつ、
できる範囲から再び社会に加わろうとしている。

ここまで長い2年…いや、不登校としては、短い2年か。

きっとまだまだ不登校状態(年間30日以上の欠席という定義での)は続くだろうし、たぶん中学校もこんなのか、完全に行かないかもしれない。

でもするとしたら「意識的な不登校」で、「わけがわからない時期」は、そろそろ終わりかもしれない。

どんどん心も体も成長する。


でふと思った。
そうしているうちに、ある日突然「子育て」の終わりがやってくるのだと。

あと数年もすれば、長男も含め、一緒に過ごした日々はもう二度と訪れない。

そう思うと、不登校で親の私が経験したことは、もしそれがない人生と比べたら、本当に感謝しかないような気もする。

…気が早いか。

娘よ、本当にいろんな経験をありがとう。

でも、これだけは言いたい。



小学校の勉強は大事なんやで…
学校行かなくてもいつかやるんやで…
お母さんとやるんや…毎日や…
めちゃくちゃおもしろいで…

プッ
断られそう(笑)