幼少期に何があったのだ
心理に関するいろんな本に書いてある。
「幼少期に何かあったのではないか」
実際に言われたこともある。
何の話でだったかは忘れたが、職場の懇親会みたいな席で、ある生産者の男性(人生論にクセがあると定評?)が私の話を聞いたあとにそう言った。
酒の席なので、その場はみんな笑ってすんだのだけど、私は内心うろたえた。
私は幼少期に、何があったのだ?
そのせいで、なんか生き辛いのか?
その「何か」をきっかけに、ずっと私が抱えているらしきものが「罪悪感」である。
罪悪感をもたない人などいないとも言うが、私はとりわけこればかり出てくる。
話す相手が不満や不機嫌になるとすぐ自分のせいだと思う。
相手に悪態をついてもすぐ自分を責める。
社会で困っている人が訴えていると、何も知らない自分も加害者なんだろうかと思う。
夕飯がカレーだと知った夫が「俺、昼カレー食べたんだけど」と言ったら自分のせいだと思い、さらに(何それ?私が悪いの?)と逆ギレ(心の中で)してしまう。
義父の手伝いを断ったことにものすごいストレスを感じ過ぎて翌日熱を出す。
…さらっと書き出すだけでも、なんかこう、「受信の質」が周りの人より過剰に重たい。しかも、ほとんどが「独りよがりの思考」なのだ。
加藤諦三氏によれば(昨日読んだ)、これは自意識過剰からくるのだと言う。
自意識過剰の人は、自分の世界しか対象ではない。他人に関心がなく、コミットしていない。
加藤氏はまた、こうした神経症的行為は親との交流の喪失からくるとも言う。また中村あやえもん氏は、「劣等感」は母親から愛情をもらえなかったことが原因だと書いてある。
あの母が?そうなの?
なんかピンとこない。
確かに母は、私と似て(いや私が似たのか)感情表現を抑え気味ではあるが、幼い私を放置したりとか、「あんたを産まなきゃよかった」みたいな言葉を言うような人ではない。ちゃんとご飯も3食つくってくれた専業主婦。ただ、生活面で「このくらいしなきゃダメよ」とか「そんなんじゃやってけないよ」みたいなことは言われたけど、私があまりにめんどくさがりだったりルーズだったこともあり、口うるさく言われた。母の小言みたいな。そのくらいみんな言われてるだろうくらいの。
だから、母とは関係なく、「何か」がきっかけで、「私はダメなんだなあ」とか「自分は変わらなきゃいけないんだ」とか思うようになったのでは、
と思ってるんだけど、今書いたこと読み返すと母が言ってたことそのままやんけ。
なんだけど、
そんなに強烈に、反射のごとく「私が悪いのか」って出てくるほどの威力、あるんかな?
いろいろ記憶を探る。
小学3年のとき、転校をした。
それまでは人間関係に苦労するような記憶はなくて、この時初めて「引っ込んだ」。
クラスにはすぐに馴染めた。
引っかかったのは地区の子ども会。
キャラの強い上級生とかスポーツのうまい下級生とかに文字通り「はさまれて」、いじられることはなかったけど、自分の運動音痴に気づいたり、ラジオ体操で寝坊ばかりしたり、だから子ども会の苦手意識がめちゃくちゃあった。(6年で上がいなくなってちょっと自信がもてた)
あと、夏休みの宿題は最後まで終わらないタイプで、めちゃくちゃやっつけ仕事で片付けてた。
夏休みが始まる前の計画表では、理想の自分が早くに済ませている姿があって、でもそれができない現実。
うん、この頃に「自分はできないんだなあ」のひな型がほぼ完成されたように感じる。
一方で、絵を描くのが得意とか、なんか独特で面白いとか、そういう友達からの評価をプラスにとってる面もあって、悩むことはほとんどなかったと思う。
でも、今それがこんなに
「私のせい」
「私はこんなに頑張ってるのに」
まで拗れてしまったのは、何でなんだろう?
中学生で思春期に入ったあたりから、「自分はできないんだなあ」が強化されていったんじゃないかと思う。
部活はやっぱりそんなに上手くはない。
2年のとき同級生に友達束縛されて、ことあるごとにめちゃくちゃダメ出しされた。(本人は愛情表現だったのかもしれん)
3年のとき告白されて同級生の男子とつき合うことになったのだけど、そこでもことあるごとに「もっと自分の気持ち言ってよ」と言われて、ますます押し黙った。
私はこのままじゃダメなんかなあ…
みたいなのが、
ずーーーーっとあった。
と今思う。
高校はそんなに感じることなかった(けっこう楽しかった)けど、大学はそれこそ大量の、いろんなキャラの同級生に「種まきさー、それじゃダメやって」「ほんと天然だよねー」みたいなノリの突っ込みの連打を浴びて、
社会人になって初めての就職先がどえらいワンマン社長だって、人格否定のような罵声をみんな浴びて、
私はダメなんかなあ…
に
でもこんな会社のほうがダメやろ…
がくっついてきて。
そのクソ会社を1年半で辞めた時、
「私はダメなんだ…もうゆっくりしたい」にはならず、
「あれに比べたらどんな仕事も楽でしかないわ!私は耐えてきたんじゃ!こんなんじゃダメや!!もっとできるんじゃ!!」
みたいな反動の気持ちになってて、でも一方で「なんや、ここも結局この程度の組織か。ダメだな」みたいな逆ギレもますますかますようになって、
もー傷つきたくないとプライドをガチガチに守りつつ(私はえらい!)できない自分にも会社にもダメ出し(この会社を選ぶ私もダメだ)
という悪循環にはまっていった。
そして今ここなう。
みたいな。
盛大に同じことを繰り返して(ていうか強化して)いるな。
こんな今の自分に効くクスリは何なんだろう。
「ありのままの自分でいいよ☆」
「すべてはうまくいくようになっている」
「そんな自分を許し、他人も許そう」
「感謝しよう」
あーーそうか。
私は、私は、私は
の羅列。
うん、たぶん、世界のすべてを一人称で見ている、その視野の狭さが自意識過剰を起こしている。加藤氏が言ってたそれ。
私にとっては、すべての出来事はとても重大でどれも見過ごせない。
この私の世界は私の頭の中にしか存在しない。
そして、自分で、苦しいドラマに仕立てあげている。
外から見たら、けっこうよくある、「まあそれなりにダメ出しのつらかった、でもそのおかげで今はいろんなことできるようになってまずまずハッピーな日々でもあるよね」
なのかもしれん。
私はハッピーになりたいんじゃないの?
何にそんなにこだわってるの?
幼少期の「何か」が、今そんなに問題なの?
ハッピーでいたいよ。
なんもしなかった日も、のんびりできたなーって感じるだけでいいのよ。
でも「このままじゃダメなのでは」ってどこかで思うのよ…
…ってやっぱりおかんの呪文か!!
うう、でもこの呪文の書き換えは、
今さら難しいところあるかも…
これもひっくるめて、私の「個性」だ。
なんならそう思うくらいに、受け入れるしかないのでは?
「いやー、キッチンに立つと、なぜかいつもおならが出ちゃうんですよ。プッて。1人でいるとリラックスしてるんかな」
みたいなことにできるんじゃないか?
罪悪感が?
できるの?
「いやー、何でもすぐ自分ダメだなあって思うんですよ。そう個性、いや反射、反射です。幼少期からの。これ社会と折り合い悪いんですよねー。
なんで、『自分ダメかな…』て出たらすぐ『はい反射逮捕ー!!』て叫ぶようにしてます、頭の中で。んで続けて『はい君のせいじゃない君のせいじゃない君のせいじゃない』ってコールかけます。そして、ここで、目の前の相手に『どしたん?何かあった?』と聞くんです」
…みたいな?
とっさに考えたにしては面白い…
私は何者なのだ笑
とにかくも、幼少期、子どもにかける言葉。
威力強すぎ問題!!
自分も気をつけないとだな。