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tatami_graffiti
1人で立てなくても自立論。
自立とは、依存していない状態ということ。
自分1人で立てるということ。
でも、周りに依存しないで生きることは
実際は不可能で、
赤ちゃんはもちろん
神と呼ばれる釈迦やイエスも
食べ物や住む場所を
ずっと信者に分け与えてもらった。
何かに依存しないと生きられないことを
ちゃんと自覚して
不安になったとき
絶望を感じるとき
何かに寄りかかりながらも
最終的にまた立つことができている
それを自立(した状態)と言うんだと思う。
だから、
「お前は自立してるのか?」と聞かれたら
「いろいろ寄りかかりながら、なんとか」
と答えられたら、合格かもしれない。
だけど
あまりに依存しすぎて
「依存先=自分」だと思っていると
そしてその依存先がなくなると
死にたくなる。
カッターナイフを一方的に取り上げると
本当に死ぬかもしれない。
だから
「生きたい」のであれば
寄りかかれるものが
何個かあったほうがいいと思う。
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(同じ体を傷つけるなら筋トレも自傷だと思うけど、筋トレは効果が緩やかなのとめんどくささをコントロールできる強い意志が必要なのだろう)
すべては依存しすぎなければ
自分軸を見失わなければ
何をしてもいい。
(ただし犯罪や薬物など不可逆性を強く起こすものはやめるべき)
そのように、
いろんな寄りかかれる場所があると
1人で生きることも楽になる。
本当なら、
楽するとは楽しめること。
だから生きていくことは、たくさん楽しめることがあること。
苦しみを与えられたのは、
あなたのせいじゃない。
あなたは何も悪くない。