5歳の哲学者
三男がおもしろい。
毎朝、幼稚園に向かう自転車の上で、哲学対話が行われる。
数か月前は「人はなぜ生きるのか」がテーマだった。
「なんで人はずっと生きていくの?」
「なんでひいおばあちゃんは死んじゃったの?」
「歳をとるとおじいちゃんになるの?」
「ぼくはどうやって生まれたの?」
そんな問いを繰り返したある日、ふと言い出した。
「ぼく、わかったよ。ぼくが死んじゃったらママが悲しいから、ずっと生きていくんだね。」
そうか。
それが君がたどり着いた答えなんだね。
じんわり。
***
次の問いは「なぜ信号はあるのか」になった。
1日で終わるかと思ったこの問いは、なんとその後2ヶ月くらい続いた。
「ねぇ、なんで信号ってあるの?ぼく、いらないと思うんだけど」
「だって、ちゃんと気をつければいいだけじゃない?」
「この前、ママ赤信号でも進んでたじゃん。なんで?(うぅ、車もいなくて急いでたんだよ…)」
「車が来るかどうかは、よーく見ればわかると思うんだ」
「(2台同時に来ちゃったら?)そしたら、お先にどうぞーってすればいいんだよ」
2ヶ月かけて必死に考える5歳児に、グウの音も出ない勢いで論破され、社会ってなんだろう…ルールってなんだろう…と悩んでいたら、またまたある日のこと。
「あのさ!信号がなぜあるかというと、かっこいいから!!まちをかっこよくしたいと思って、信号ができたんだ!!わかった!!」
おぉ!
それが、君がたどり着いた答えなんだね。
サイコーだよ!
***
そして、少し前の問いは、
「元気でいい子にしてるのに、なんで怒られるの?」
長引くかと思ったこの問いは、案外あっさり終わった。
「ぼく、ちゃんと遊んで元気にしてるのに、なんで怒られるの?」
「ぼく、今日は3回も怒られて悲しい気持ちだから、もう怒らないでね」
「ぼく、何も悪いことしてないのに、なんでぼくばっかり怒られるの?」
これもある日ふと。
「ぼく、やらないといけないこと、ちゃんとやってないかもしれない。だから怒られるんだ。これからはちゃんとするー。」
その後もちゃんとはしてないけど、この問いは出なくなった。
まだまだ怒られてるのに不思議だね。
***
このところは、少し最初の問いに近いけど、もうちょっと具体的だった。
「ねぇ、なんで人は病気になるの?」
「なんで、じぃじはがんになっちゃったの?」
「なんで、じぃじのがんは治らなかったの?」
がんのことを説明するのって難しいね。
いろんな説明をしたけどなかなか納得いかなくて、
(普段だったらね、働く細胞たちがやっつけてくれるんだけど、倒せないくらい強いがんだったんだ)と説明してみたら、腑に落ちたらしい。
「あぁ、じぃじのがんは、ラスボスで第3形態だったんだね!そりゃあ強いわ!!」
治る病気と治らない病気と。
コロナの不安もあるのかな。
***
今日出てきた最新の問い。
「ねぇ、なんでぼくはこんなにかわいいの?」
なんでだろうね!
本当に三男がおもしろい。
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